第 242‑6次
14 西大寺 旧境 内の調査 第 242‑19次
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は じめ に共 同住 宅 建設 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 区域 は西 大寺 旧境 内、創 建 時 の伽 藍 中心 部 の北 東 に当 り、 想 定 され る伽 藍 中心 軸 か らは東 へ約
70mに
位 置 す る。 調 査 区 は当初 、敷 地 面 積456∬の うち中央東寄 りに東 西 約8m、
南 北 約15mを
設 定 し たが、調査 区西半 で建物基壇 と南北 に連 な る礎石抜取 り穴及 び根石1列
を検 出 し たた め、一旦埋 め戻 し、西方 へ約4m拡
張 して再 発 掘 した。 拡 張 区 で も基 壇 が連 続 し、礎 石 抜 取 穴 等 が検 出 され た。更 に柱 列 延 長 に小 トレ ンチ5箇
所 を設 けて柱 列 の確認 に努 め た。 調 査面 積 は187∬、調 査 期 間 は1994年 3月8〜
30日で あ る。―‑ 97 ‑―
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遺構
調 査 区 の基 本 層 序 は上 か ら、現代 の整地土、耕土 、床土 、整地上 (遺物包含層、
中世
)で
遺 構面 に達 す る (地表 面 か ら60〜100cm)。 調 査 区東半 で は整 地 上 が20〜30cmあ り、 そ の下 が黄色砂質土 の地 山 とな る。調査 区西半 は南 か ら北 西 へ地 山 が 高 ま る。調 査 区南 端 で は60cmほ どの整地上 の下 が黄色砂質土 の地 山 (地表面 か ら 110〜140cm)だ が、地 山 の高 ま りに従 って整地上 が薄 くな り、調査 区北 半 は地 山 直上 が 中世 の整 地 上 とな るも調査 区北 西端 で は、地 山 は地表面 か ら80cmであ った。
基 壇 建 物
SB01
調 査 区西半 で建 物基 壇 の高 ま りを検 出 した。 南北 方 向 で18,7m分 あ るが、南北 と も更 に連続 す る。東西方 向 は約9m分
を検 出 したが調査 区西端 で 南 北 溝SD06に 撹 乱 され、 それ よ り西 の状 況 は不 明 で あ る。 基 壇 の造 成 は地 山 の 高 ま りに従 って南北 で異 な って い る。地 山 の低 い南半 で は堀込地 業SX03を 行 な っ た後 、基壇 を築成 して い る。 掘込地業 の深 さは基壇東側 の整地 土上面 か ら50cmほ ど、基壇 の高 ま りは同 じく整地土上面 か ら30cm程 度 が遺存 して いた。基壇築 成 上 は数層 を な し、下層 は黄 褐色土 また は赤褐色土、上層 は灰緑色粘質土 また は黄灰 色 粘 質土 で あ るが、各層界面 は凹 凸が著 しい。 南 北 溝SD02は基 壇 化 粧 抜 取 痕 跡 と見 られ る。 これ に対 し地 山 の高 い北半 で は地 山を削 り出 して基 壇 と して い る。基壇 化粧抜取痕跡 は検 出 されなか ったが、調査 区北 端 で南側 の基壇上層築成土 と 同質 の土 が一 部 に残 り、 一 連 の遺 構 と考 え られ る。
基 壇 上 で は柱礎 石 の据付掘形、抜取 穴、 また は根石 が検 出 され、 南 北
4間
分 、 東 西2間
分 が確認 で きた。柱 間寸 法 は南北 が南 か ら12尺、9尺
、15尺、12尺、東 西 が13尺で、基壇 の出 は東側 に6尺
、東 西 棟 の建 物 と考 え られ る。ただ し9尺
と15尺 の柱 間 の部分 は遺構 の残 りが悪 く、12尺等 間 の可能 性 もあ る。 また東 か ら3列
目 は南北溝SD06の 撹乱 によ り、礎石据付掘 形 の み を検 出 した。 東 か ら2列
目 の柱 列 を南 へ延 長 した小 トレンチで は柱 は確認 で きず、遺構 は建物東南端 と想定 され る。しか し、基壇土 は更 に南 へ続 き、基壇 を共有 す る建物 が存在す る可能性がある。その他 の道構
基 壇 よ り東側 には中近世 の柱穴 が い くつ か検 出 され たが、建 物 と して はま とま らなか った。基壇東端 にかか るSE04、 SE05は 近世 の野 井 戸 で あ る。
――X‑144999
‑ 145005
‑ 145011
一―X‑145017
‖750m 一 748m一一
図61 第242‑19次調査遺構図 1:150
Y‑19917
│
‑
図62 建物基壇 断面 図 (X=‑145,014地点) 1:60
ー
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表10 第242‑19次 調査出土瓦集計表
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遺物
瓦 は、基壇掘込地業 内か ら軒丸瓦
6133S?(8世
紀 後半)が
出土 した。 この ほか 遺 構面 よ り上 の新 しい整地土層 か らは、西大寺創建 の軒 丸瓦 と軒平 瓦 や、 中世 の 軒 平 瓦 が 出土 して い る。詳細 は出土 瓦集計表 に示 す とお りで あ る。土 器 は、基壇掘 込地業 か ら須恵器鉄鉢
(8世
紀 前半)、 須 恵 器 杯A(8世
紀 後 半)な
どが 出上 した。 また基壇建 物 SB01の 礎 石 抜 取 穴 か ら、 中世 の羽 釜 な どが 出上 して い る。 建 物 基 壇 の上 層 築成上 (粘質 土)は
円筒埴 輪 、 楯形埴輪、形象埴 輪 な どの埴 輪 片 を含 んで お り、古 墳 の土 を採取 して用 いた もの ら しい。遺構面 よ り上 の新 しい整地上層 は9〜
11世紀 の土 器 片 を多 く含 み、9世
紀 後半 の緑 釉 陶 器 椀 片 (京都 産)、 11世紀 の山茶椀 片 (東濃産)も
出土 した。4ま
と め基 壇 建 物SB01は 、遺 物 の出土状況 か ら、 奈 良 時代 に創 建 され、 中世 に廃 絶 し た もの とみ られ、西大寺 関連 の建物 と考 え られ る。 しか し、調査 区周辺 は これ ま で発 掘調査 が乏 しく、 また調査面積 の限 られ た今 回 の発 掘 のみで、遺構 の性格 を 確定 す る ことはで きなか った。 しか し、 SB01が 基 壇 を もつ建 物 で あ る こ と は、
西大 寺 伽 藍 にお いて、主要 な建物 の一 つで あ った ことを意 味 して い る。 ここで は 遺構 か ら想定 され る建 物 につ いて若干 の考察 を試 み、周辺調査 の成果 を待 ちたい。
食 堂 院築地 塀 の門
西大 寺 伽 藍 につ いて最 も詳 しい復元案 は、宮 本長二郎「奈良 時代 にお け る大 安 寺・ 西大寺 の造営」(古寺 美 術 全集『 西大寺 と奈 良 の古 寺』1983 年 1月
)所
載 の復 元 配 置 図 に示 されて い る。この復元 図 に今 回 の発掘 区 を重 ね合 わせ ると、伽藍北東 の食堂 院 の西側 を区画 す る南北 方 向 の築地塀 に当 た る。 今 回検 出 され た基 壇 建 物 SB01を 、 この築 地 塀
軒 丸 瓦 軒
平
瓦 文 字 瓦 凝 灰 岩 丸 瓦
形式
種 点 数 形式
種 点 数 形式
種 点 数 刻
印「十」
刻印平「大」
刻印平「 中」
1
1
1
量 数 重
点 2.5kg
9
量 数 重
点 171 3kg 6133S? 912
6125 A 6236 A
I 1 1 1 1
K Q R
?
73 73 73 73
形式不明 中
世 近
世
l
l
l
嬉 平 瓦
そ の 他
量 数 重
点 20 6kg 15
量 数 重
点 630 3kg 4,313 瓦 製 円 板 11