原
︑ 高 山 岩 見 踏 査 報 告 附 闘
︾
網 野 鹿 北 方 回 面 の 高 低 と 乙 其 雁行在なすもの﹀部なり︑故に此割れ目は展張裂憾なり︒ て北西方じ射出し︑Yグ︒乙園の裂糠は不蓮績線に封見ゆるは停車場及附近のパラ
L
割りしものなり︒丘の附近ι ι
側卸東側は沈下水ら湛へ西側は隆起す.背景中央の丘は網野騨南の丘にて第百十五園の割れ目は此丘の脊た 伴ふ小裂糠・甲固有側さ中央の人物の中程に断商品露はさざる不連績線あι
れ甲
乙
第 百 十 じ , 聞 く藤原、高山、岩見踏査報告附圃〉
木津村の滞水、闘の中央部前方の丘低くなら木のなき所│こ谷間Aわりo右側山沿ひの'上野部落1:j信ふて枇る〉小JIIと闘の左端俵野Lり来り山艇か繰りて北l二流ろ〉小川ミ此谷間lこ合して海に入る。海!:t園の中央
ι
り会手の訟の有る砂丘邸「封j山Jの向ふ側に在り、此寓費l t
木津温泉 場より上野部落l二行〈道ミ依野道之の分岐思附近l二て北に向。1て撮ろく昭和二年四月十七日〉此7./tlHiの部分l:t震災前l:t良回なりしむJ地震の際1:r
上。山Jの東側の谷lこ臨む舗面の崩落さ其南方谷の入り口より「上り山」の腰lこ沿()て地盤の隆起あり Lさの震に水路か断れれ急蹴lこ浸水し、一時(1温泉場附近迄も浸水しれりしが、崩落しれる砂l:t幾程もなく7"'1こ流れ去りて河床た露しれる1
; t
1こ及人工lこて隆起部l二新lこ河床・ル坊i
翠しt=ろ昂iこ税減*しれoL f,.J此岡l二示す程度の湖沼た存しめリO一一叫尋J
第 百 十 八 園 ( 藤 原
︑ 高 山
︑ 岩 見 踏 査 報 告 附 闘
︾
申﹁上り山﹂の南
ι
於げる断層的高低︒水面は滞水の一部なり︑元来水平なりし悶面が三尺の高低差た生?︑段違ひ線の方向ば略南北なり︑此線の北方延長上に出庄崩れ見ゆ此農は赤土ι
して崩落商た直角に割る割れ目わけ其巾約一尺此山犀崩れ4りも手前の回百日間方向じ更ι
大なる高低差か生じれる所わけ
O
第九三国参照)(
乙岡は減水た計る矯に人工にて掛り仁る川なり闘の小山三人物との中間に見ゆ ろ岡商は山形に降起しありc
甲
乙 第
百 十 九 闘 ( 右 同 )
﹁上サ山﹂砂丘上の陥落︑甲桃林
ι
て略水平ι
返く左リ側
4り右側
ι
斜下しめリれるものが︑地震の伺い見ろが如く大陥民ルなす︑出仙段州の如く見ゆるもの元は一平面内に有りしものなり︑乙同所松林中の陥泣い
4ろ段遺
υ
︑高低差一丈館︒甲
‑
、
7 .
第 百
十 園
( 藤
ドキュメント内
口繪(北丹後地震の地震計記象寫眞三葉、北丹後地震激震地に於ける被害狀態の寫眞、北丹後地震と割目の研究寫眞、北丹後地震踏査寫眞)
(ページ 43-46)