第3章 事例分析
3.2 事例1:蕪栗沼
3.2.4 蕪栗沼での協調への移行プロセス
蕪栗沼での協調への移行プロセス1は、①伊豆沼での取り組み(伊豆沼での長年の取 り組みから知見を蓄積)、②農業との関係の重要性への認識(鳥がいることが農業にプ
1 蕪栗沼での協調へのプロセスを明らかにするにあたっては、2007 年 12 月に、アクターへのインタ ビュー調査を行っている。
ラスとなるという考え方の必要性を認識)、③環境に関心を持つ人たちへの情報発信
(地域と関わりのある多くの人たちへの課題提起)、④協働アクターとの出会いと賛同
(地域のアクター(蕪栗沼の農家の代表)との出会いと協調への始まり)、⑤協働アク ターを介した多様な地域パートナーとの接触(協働アクターによる地域内の人たちの 紹介)、これらのプロセスが観察できる。
また、協調に向けた流れが生まれると共に、⑥行政も含めた多様なアクターが集う 協調の場の形成、⑦提案型のコミュニケーション(行政への先行的提案と合意形成)、
⑧互いが持っていた専門的な知識(野鳥の生態系、水田耕作)を媒介としたコミュニ ケーションの深まりとこれらを通じた相互の信頼関係の醸成、⑨マイナス要素(否定 的感情)の解消、という関連するプロセスも観察できる。
以下は、協調へのきっかけを生み出した唱道アクターへのインタビュー結果および 先行研究をもとに、協調への移行プロセスに沿って整理したものである。
①伊豆沼での長年の取り組みから知見を蓄積
蕪栗沼での取り組みの場合、近接する伊豆沼での経験が背景にあるという。伊豆沼 での長年の経験を踏まえ、伊豆沼での失敗や成功経験を参考に取り組んできたという。
反面教師として伊豆沼での取り組みがベースとなっているという。こうしてはいけな い、こうしたらうまくいかないという失敗事例・経験を積んできたという。蕪栗沼が うまくいった背景として、伊豆沼での取り組みから得られた教訓があったという。蕪 栗沼の場合、蕪栗沼のみで考えるのではなく、伊豆沼での経験も含めて考えることが 有効であったという。改めて蕪栗沼のケースを振り返った時、非常に順調にいったケ ースであったという。
伊豆沼は、日本で2番目にラムサール条約登録湿地になった場所である。国の天然 記念物への指定、宮城県の自然環境保全地域・国指定の鳥獣保護区特別保護地域など 法的な規制が講じられてきた地域であった。これらなど伊豆沼に対する法的な制度は 整えられてきたが、一方で、沼の周りは依然として農地であることに変わりはなかっ たという。これは、現在においても同様である。10 年以上前は、依然として農業が元 気であり、鳥は農業の敵であり、なぜ鳥ばかり保護するのかという声が大きかったと いう。地元はほとんどが農家であり、農家の感情的な反発が多い状況にあったという。
伊豆沼でのラムサール条約への登録にあたっては、その代償として観察センターなど の施設を整備するなどされたという。なんとか地元での調整がつき、ラムサール条約
への登録にたどり着いたのがかつての伊豆沼であったという。
②鳥がいることが農業にプラスとなるという考え方の必要性を認識
伊豆沼がラムサール条約登録湿地になったことは水鳥保護の面では大きな成果では あったが、一方で、水鳥の立場から見ると、夜間はねぐらである伊豆沼にいるが、昼 間は餌場である周辺の水田にいることとなる。しかしながら、餌場である水田には法 的な保護対策は講じられていない状況にあり不安定な状況であったという。雁は、白 鳥と異なり、人間が与える餌には近寄ってこないし、人間には近づかない生き物であ るという。雁は、餌場として水田を利用しており、間接的には地域の農業に依存して いる状況にあったという。これは、現在においても同様である。
農地には、雁が利用しにくくなる要素は数多いという。例えば、稲の刈り取り後に 水田を耕してしまうと、水鳥の餌である落ち籾がなくなってしまうという。これによ り餌が取れないこととなり、将来、鳥たちが来なくなってしまう可能性が高まってし まうこととなる。これまでの慣行型農業を前提とすると、効率的な生産性を追求しよ うとするため、そのような状況が出現してしまうこととなる。これまでの慣行型農業 の枠組みの中には、水鳥の生息については考慮していないし、鳥にとって利用しづら い環境にますますなっていき、このままの状況で行くと、いずれ鳥たちがいなくなっ てしまうことも十分予想できたという。そのような事態を招かないためにはどうした らよいかと考えると、最終的には、鳥がいることが農業にとって恩恵をもたらす具体 的な形を示さないといけない、そしてそれを考え、提案していかないといけない――
―と考えたという。農業者を巻き込む新たな枠組みをつくらなければいけない―――
と考えたという。この根本的な点を満たさないといけないと考えたという。鳥への理 解が深まってきた現在においても鳥のために田んぼを起こす(耕す)のは止めて欲し いといっても、無理であろうという。農業者は、自分らの農業のことを考え取り組み、
その取り組みが結果として鳥にもよい環境を提供するようなものを示すことが大事で あると考えたという。そのようなことが見えてきたという。
農家の収入を考える場合、従来は生産量の増大を考える枠組みであり、米価が高か ったためその延長で見ていたという。しかしながら、鳥にも良い環境を考えようとす る場合、生産量拡大といった従来からの枠組みの延長では問題解決はできないであろ う、流れを変える必要があると考えるに至ったという。
伊豆沼での取り組みでは、なかなかうまくいかなかったケースを数多く経験してき
たという。伊豆沼の場合、ラムサール条約登録湿地となっても何も変わっていないの が実態であるという。知名度は高まり、観光客は増えたが、湿地の賢明な利用や持続 可能な利用といった考え方は浸透していない状況にあったという。その理由の1つと しては、登録時にラムサール条約に登録する意義を議論することが不十分であったこ とがあるという。このため、地域に役立てよう、鳥がいることをプラスに活かしてい こうという考えは生まれてこなかったという。まずは、プラスに活かしていこうとい う考え方を生み出すことが必要であると考えたという。
③環境に関心を持つ多くの人たちへの問題提起
1995 年頃は、雁は伊豆沼にほとんど集中していたという。蕪栗沼は、環境的には良 好であったが、鴨小屋があるなど狩猟の場であったという。雁にとっては、鴨を撃つ 銃声に驚くなど不安定な環境にあったという。その結果、雁は鳥獣保護などの措置が 講じられていた伊豆沼に集まってきていたという。しかしながら水鳥が集中すると、
病気の蔓延などにより致命的な事態が生じる可能性があり、いかに水鳥を分散させる かが課題となっていたという。このような状況に対し、当時の環境庁(現環境省)で は、雁の分散を考える検討会を設置し、伊豆沼から蕪栗沼に雁を分散する考えを検討 したという。当時は、まずは蕪栗沼を鳥獣保護区にしようとする考えであったという。
宮城県が主体となり鳥獣保護区にしようとする活動を行うが、伊豆沼以上に地域の農 家の人たちの鳥に対する反発があり、鳥獣保護区の指定には至らなかったという。そ のような経緯の中、いろいろな人とつながりができてきたという。
蕪栗沼を鳥獣保護区にしていこうとする取り組みの中で、宮城県内部に蕪栗沼を掘 削する計画があることが判明する。その計画が実施されると、蕪栗沼の生き物がすべ て排除されてしまうことが懸念され、掘削計画を止めることが重要と考えたという。
県としては、実施の意向であり、どうすればよいかを考えたという。
どうすれば止められるかという模索が始まる。まず問題となったことは、当時は、
蕪栗沼を誰も知らなかったことであったという。その価値ある自然がなくなっても誰 も気づかない状況にあったという。そこで、蕪栗沼の価値を地域に関わるキーパーソ ンに伝える必要があると考えたという。
蕪栗沼での水鳥保護に取り組んでいた唱道アクターには、地域の農業者とのパイプ は全くなかったという。環境サイドの人が、農家の人と交わることはなかったという。
一緒に議論する枠組みはなかったという。農家の人は、環境サイドの人は水鳥のこと