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人(人)口土地改革前土地改革後土地所有の互初大 然農家関係階級 土前改土後改土.(畝地)い(頭)1牛(台車)1風(台車)水(台車) 士(畝地)1車(台基)1(家間)

増(+)減(‑)助級 村(畝)組社社 207 203の三男中農5 5 11.81 1 12.66 1 2.5 0.85  208 中農3 4 11. 45 1 4.17 2 5 ‑7.28 * *  朱209 高級社第7大隊長貧農4 4 1 9.59 1 3 9.59 * *  210 211の義父,212の岳父貧農2 2 1. 82 1 5.25 1 3 3.43 * *  211 210の義子貧農4 4 4.36 8.68 3.5 4.32 * *  家 212 210の招婿(改姓した)貧農7 7 13.88 1 3.5 13.88 * *  213 貧農2 3 2.67 1 7.79 2 6 5.12 *  宅214 204, 205,206,207の叔母貧農1 1 4.47 1 2 4.47 *  215 貧農6 6 1. 62 1 11. 64 1 5 10.02 *  216 雇農1 1 3.22 1 3.22 *  217 218の兄地主5 4 20.16 

6. 38 3 ‑13. 78 

.. 

218 217の妹、地主1 2.16 1 2.16  219 217, 218の従兄弟地主

, 

6 217.95 12.49 1 8.5 ‑205. 46  北220 富農7 7 34.76 1 15.77 2 

, 

‑18. 99  221 中農6 4 9.10 1 17.69 2 4 8.59 *  222 中農4 4 3.74 1 10.82 1 6 7.08 *  徐223 中農5 6 17.32 1 17.95 2 5.5 0.63 * *  224 225の兄嫁中農3 3 10. 52 1 12.44 1 6.5 1. 92 * *  225 224の夫の弟中農7 'l 26.67 1 3‑1. 01 2 5.5 4. 34 * *  家226 227の兄貧農2 2 0.44 6.61 2.5 6.17 * *  227 226の弟,228の夫貧農4 4 0.44 1 10.18 1 5. 5 9.74 * *  228 227の妻貧農1 1 2.28 2.28 * *  229 貧農5 5 5.50 1 12.40 1 3 6.90 * *  230 貧農2 2 4.84 1 1 4.84 * *  231 貧農4 3 1. 52 8.16 2 3.64 * *  232 236の弟雇農1 3.00 1 3.00 * 

l

233 J234の兄中農

s  I 

11.181 i 

14. s2 

2 ¥ 

s. 

5 3.14 

I  *  I  I  * 

廿回漉ヰ3印淫r溌桝 (L) ︵出田

・r)

613 

96  塙234 233の弟中農6 5 10.00 1 16.16 1 4.5 6.16 * *  235 貧農2 8. 71 1 5 8. 17 * *  頭236 232の兄貧農6 5 4.19 1 6.11 1 5 1. 92 * *  237 半地主6 6 27.98 1 15.98 2 4 ‑12. 00 *  荘238 中農6 6 14.48 1 15.08 1 5.5 0.60 * *  239 中農7 6 6.94 1 15.00 2 5.5 8.06 * *  家240 中農4 4 7.80 1 10.80 1 5.5 3.00 * *  241 中農7 7 20.14 3 4. 5 20.04 * *  242 243の弟中農4 4 13.08 1 14. 04 1 7 0.96 * *  243 242の兄貧農4 4 6.69 10.28 3 3. 59 *  244 地主7 6 102. 18 1 12.02 1 5.5 ‑90.16  245 中農5 6 4.20 1 17.09 2 7.5 12.89 *  246 247の父中農

, 

5 20.37 1 14.03 1 4.5 ‑6. 34 * *  癖247 246の息子,高級社副 中農4 9.59 1 4 9.59 * * 社長 248 貧農3 4 4.38 10.40 4 6.02 * *  249 村長貧農3 3 1 8. 00 1 1. 5 8.00 * *  250 貧農4 3 1 11. 70 1 3.5 11. 70 * *  家251 貧農4 4 5.50 10.66 1. 5 5.16 * *  252 貧農1 1 3.07 3 3.07 *  253 貧農7 7 4.40 1 12.38 1 4.5 7.98 *  橋254 貧農3 3 4.40 1 6.41 1 2.5 2.01 *  255 貧農6 5 2.07 1 6.58 1 5.5 4.51 *  256 貧農7 7 1. 13 1 19.50 2 3.5 18.37 *  257 貧農6 5 1 10.80 1 3 10.80 * *  258 雇農1 1 3.48 1. 5 3.48 * *  出所)奉賢県梢案局より提供された資料と聞き取りにより作成。 注1)農家番号1は夫の死亡後,外村人と結婚し,婚出。その土地は農家番号5が受け継ぐ。 2)農家番号2の娘は地主分子として独立して記載されていたが,土地改革後に農家番号11と結婚したので,本人とその土 地1.9畝は11の人口と土地に参入した。また,11は地主の娘と結婚したため農会主任を交替させられた。 3)農家番号13は青村港鎮東街の茶館で働いていたが,土地改革で村へ戻り,土地の分配を受けた。 4) *の農家は互助組,初級合作社,大社に参加した農家。初級合作社については唐家村を構成する5自然村のみ判明。他 の自然村は聞き取りをしていない。

614  蚕固汁梱「階遥酪満」瀕38~ffi(1989~1 JI) 

中国農村の伝統と変革(上)(石田・万) 615  本村の多くの地主は在村地主であり,第

6

表に見られるように,かなり大規 模な在村地主が存在する。第6表を見ると,最大地主は顧家塘の農家番号15と 16の兄弟がそれぞれ839.84畝と703.39畝を所有している。 1900年頃かれらの祖 父は300畝を所有するに過ぎなかったが, 1939.年にはその3人の息子, 顧品仁

(長男,秀オに合格)が1,000畝以上に,顧貞堂が800畝,顧応堂が800畝に増やし た。品仁の土地は農家番号15が,貞堂の土地を農家番号16が,応堂の土地を農 家番号17が受け継いだ。また,農家番号17は15・16と従兄弟であることからか なりの土地を継承したと思われる14)。かれらの父や叔父は別に商売をしていた わけではなく, 高利貸しにより土地を集積した。その年利率は20 30%であ り,例えば禽光楼の母は夫が死んだ時に米1石を借りたが,その時の利子率は 20形であった。かれらの生活は普通の農民と同じ水準であり,生活を切詰め倹 約して土地を購入していったようで,農民との関係は非常によかった。 1937年 1945年に日本軍がこの地帯を占領していた間は治安がよくなく,土匪が金持 ちを襲った。大金持ちであれば上海へ逃げたが,これらの地主はそれほど金持 ちでもないので,南泄県周浦鎮へ逃げた。この間は小作料は取れず,催頭が取 れるところから小作料を取り,周浦鎮まで持って行った。地主はこれでなんと か生活出来たような状態で,農家番号22は地主・顧貞堂の催頭だったので,こ れに協力した。この間の小作料は金納で,催頭の収入はわずか30元であった。

日本軍が引き上げ,国民党軍が再び戻ると,地主は村に帰ってきた。

地主の対農民への高利貸付は,①青田買い, ②土地の買い取り(絶売),⑧土 地を担保にして金を貸すという方法があり,土地の地主への移動はRと③によ る。①青田買いの場合には収穫されるであろう農産物をその価格の約60 70彩 で買い取られ,農民は収穫まで農作業をしなければならなかった。一般に借金 14)農 家 番 号1516は兄弟であり, 15が品仁の土地を継承したということは品仁には子供 がいなかったからであろうか。この点は不明である。 また, 応堂の息子である17

64.46畝しか所有していないが, これは梢案局職員の書き写しミスで, 640.46畝 の 間 違いではないかと考えられる。なお,本稿で個人を扱う場合には第6表 の 農 家 番 号 で 表す。ただし,農家番号が不明な場合にはその限りではない。

97 

98 

1

表土

改革の実態 農家出生在住家族構成所有地

炉 警

地出租土地改革前雇工土地改革後 階級 (畝)(牛頭)風(台車)牛(台車)水(台車)家(間屋) 土(畝地)(牛頭)1風(台車)(車台)水(台車)家(間屋) その他 番号年自然村員と人数(畝) (畝)(畝)(エ) 母妻人(7親,人子,計本)供5人人2 , 102 14 88 1 1 1 7. 5 短工 7 

゜ ゜ ゜

元・北港郷長 52 1921 地主凋家塘20  (109.23) (0) (0) (0) 30  (14.06) (2)  工 母親,本人, 40余40余1 1 1 長エ花米行会計 82 富農楊家塘妻,妹,計 4人(5人)(66. 18) (1) 不明不明1人(30. 69) (2)  本人,妻, 13 8 1  115 富農唐家塘計2人 (4人)(22.69) (1) 不明不明(11. 11) (2)  本人,妻,13 3.6 16.6 1 1 1 13 1 1 1  長年副

19

釦37,主任19,+4950j庭年55会甲139 1914 中農徐家塘 娘,計3人(13.54) (1) (1) (1) (13.52) (1)  計8人15 10 5・ 1 1 15 1 1 地主・顧貞堂 22 中農顧家塘 の催頭 (7人)(12. 25) (1) (0. 5) (1) (18.15) (2)  『子計(5供6人岱.人) 

な:

5余10 15余1 1 元・桃園長出 166 1922 貧農徐家塘 (5.40) (1) (1) (1) (17. 71) (2) 

616  蚕岡汁憮「階遥酪装」濾38~ffi(1989<¥‑ 1 Jl) 

所)聞き取りと第6表より作成。 注)()は第6表より記入。土地改革後は風車とか水車とは記載されておらず,車基と記載されている。139は副業として豆芽 を栽培し,奉城鎮の市場で売っている。166の母親は長工に出ている。

中国農村の伝統と変革(上)(石田・万) 617  する場合には契約書を交わすが,そこには①金額,③利子,③中人の名前,.④ 借入者の土地面積とその位置を書き入れた。

ここで,具体的に第

7

表より地主の農業経営の内容を考察しよう。

i

馬家塘の 地主である農家番号52は102畝を所有し15),14畝を年間20 30エ(人)の短工を使 用して自作し,残り88畝を小作に出していた。小作料は1畝当たり米4斗(60斤) であり,毎年自作と小作により50石の収穫があった16)。そのうち12石は自家消 費とし,残り38石は青村港鎮の花米行に売却した。小作農は約20余戸で,本人 が記億している限りでは, 本村の①凋家塘

3

戸, R徹家塘

1

戸, ③唐家塘

1

戸,④猪家塘

1

戸,⑥徐家塘

2

戸,奉城区の⑥高橋鎮

3

戸,⑦奉城鎮

1

戸,⑧ 南橋区龍渾郷3戸(10畝),⑨青村区銭橋郷1戸である。⑨青村区銭橋郷の小作 農が高橋郷にある土地を耕作している以外,これらの土地の多くは小作農が住 んでいる村にあり,地主が居住する凋家塘にはわずか

2 7

畝しかなかった17)。一 般に小作地は元の所有者に優先的に耕作させるのがこの地方の慣行であり,そ

うすることで元の土地所有者は生活を維持出来た。

本地方の地主小作関係は封建的な要素は少なく,商品経済の進展もあって,

比較的ドライな経済合理性に基づく関係であり,農民の地主に対する強烈な反 感といったものは見られなかった。

3 .  

農業生産手段の所有状況

解放前において本村の耕地は水稲作が約60形, 棉 花 作 が 約40彩であった。

『青村志』によれば, 解放前のこの地域の輪作体系は, ①緑肥一早稲一蕎麦

(あるいは緑豆,または林耕)一三麦(あるいは休耕)が約60彩, ③三麦(あるいは休耕)

15)第6表では農家番号52は109.23畝の土地を所有しており,応答の102畝とは異なって いる。

16) 1斗は15斤ではなく16斤という応答もあった。

17)地主は14畝の土地を自作していたので,凋家塘の小作人は13畝を小作していたことに なる。また,土地の多くは遺産として受け継いだ土地で,本人の代では10畝を購入し たにすぎない。

99 

6 1 8  

闊西大學「経流論集』第

3 8

巻第

5

( 1 9 8 9

1

月)

ー単季晩稲(あるいは棉花,または黄豆)一緑肥(あるいは休耕)が約

20%,

⑧油菜一 単季晩稲一休耕が約

2 0

彩を占めており,本村の輪作体系はこれを組み合わせた ものと考えられる18)。水稲作の最も重要な作業は湘漑であり,それによって生 産力が規定された。

ところが,本村には第8表に見られるように,役畜や農機具は少ない。例え ば,蒋家塘には耕地

4 4 5 . 8 9

畝に対し,牛が

5

頭,牛力を動力とした水車(牛車)

8 . 5

台,海風を動力とした水車(風車)が

2 . 5

台と耕地に比し役畜や農機具は少 ない19)。牛と牛車はそれぞれワンセットとして同数存在するのであるが,ここ では牛

5

頭に対して牛車が

8 . 5

台と数があわない。恐らく,他人から牛を借り るのであろう。ともあれ,蒋家塘には合計

1 1

台の水車があり,

1

台当たりの水 車で

4 0 , 5 4

畝の土地を湘漑しなければならない。ところが,一般に本村の

1

枚 の水田の面積は

1 3

畝が最も多く,第

3

図にみられるように耕地は必ずクリ ークと接しているが,風車は大きく固定式のため移動が出来ないので土地の筆 数の割には水車が少ない。隣接している土地であれば畦を切って灌漑は可能で あるが,隣接していなければ風車を移動して灌漑するということは出来ない。

その意味において,灌漑設備は不足しており,水車類を所有しない農民は所有 する人に灌漑を頼まなければならなかった。

同様に,顧家塘の役畜と水車を見ると耕地は

1 , 9 3 4 . 0 8

畝,牛

9

頭,牛車

7 . 5

台,風車

4 . 5

台,水車

1

台であり,

1

台の水車による灌漑面積は

1 4 8 . 7 8

畝とな る。徹家塘では,耕地

1 4 2 , 6 9

畝,牛

5

頭,牛車

6

台,風車

3

台あり,

1

台平均

1 5 . 8 5

畝となる。凋家塘では,耕地

1 8 5 , 3 0

畝,牛

8

頭,牛車

7 . 5

台,風車

2 . 5

台, 水車

1

台で,

1

台平均

1 6 . 8 4

畝であり,徐家塘では,耕地

2 8 2 . 8 7

畝,牛

2 8

頭, 牛車

2 3

台,風車

1 2

台,水車

2

台で,

1

台平均

7 . 6 5

畝と而禎が少ないが,これは 戸数の割に耕地面稲が少ないからである。

1

戸当たりに換算すると蒋家塘

0 . 7 8

台,顧家塘

0 . 5 4

台,愈家塘

0 . 6 9

台, i馬家塘

0 . 6 9

台,徐家塘

0 . 8 6

台となり,

1

1 8 )

前 掲 『 青 村 志

J

p. 

1 0 2 。

1 9 )

牛の頭数や水車類の台数が撒数でないのは,他人と共有しているからである。

100 

中国農村の伝統と変革(上)(石田・万) 619  当たりの耕地面積と比較したほど差はないことが分かる。その他の自然村につ いては,入手した資料に水車の台数は記載されていないので,不明である20)。 以上のように,水車類を所有していない農民は親戚や友人から牛車や水車を 借りたり,灌漑の請負いを頼まなければならなかった。一般に親戚や友人,ある いは自然村内の同族には無料で貸し, そのかわり食事を御馳走になった。ま た,親戚間であれば,親戚の牛を育てるかわりに無料で使用出来るということ もあったが,農民の応答ではこれらの共同関係は多くはなかった。そして,共 同で水利灌漑を行うということはなく,金を支払って灌漑して貰うというのが 多かった。これはクリークに囲まれた水田はあまり大きくなく,畦を切って他 の水田へ次から次へ灌漑するということは出来ず,既述したようにどの水田も クリークに接しており, 設備さえあれば灌漑は可能であったからである。ま た,この地方は上海に近く,比較的商品経済が発展しており,協力しあうより も金で解決する方が簡単であったからである。それゆえ,農作業を互いに助け 合う換工も農繁期の労働力不足の時には

2

戸の農家間で行われたが,これは自 然村内の同族や友人の間だけで, しかも「伴エjと呼ぶ収穫時の換工が多かっ た。それゆえ,後述するように解放後の農業集団化に対する必然性やその基礎 は比較的弱く,互助組や初級合作社レベルの農業集団化においてさえ上から半 強制的に実施しなければならなかった背景はここにあった。

土地改革後に作成された梢案資料によれば,蒋家村を構成する自然村のみが 水車類について記載されており,その耕地面積や牛・牛車・風車・水車の所有 状況を階級別に第8表から抽出すると,次のようになる。

20)他の自然村の耕地面積と牛の頭数を参考のために紹介すると, 翁家楊では耕地31.5  畝,牛9頭。楊家塘では耕地69.33畝,牛5頭。王家塘では耕地7.92畝,牛2頭。猪 家塘では耕地250.04畝, 牛16頭。唐家塘では耕地254.11畝, 牛16頭。・高宅では耕地 101. 62畝,牛12頭。朱家宅では耕地97.38畝,牛9頭。北徐家塘では耕地348.12畝, 牛7頭。泥塙頭では耕地25.37畝,牛3頭。荘家塘では耕地76.97畝,牛5頭。蒲家橋 では耕地148.63畝,牛10頭である。

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