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(No.は試料番号を示す)
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写真22後期第IV群土器胎土中検出のプラント・オパール(×400)
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3。津島岡大遺跡(第5次調査)出土土器内面付着物について
東京大学総合研究資料館 松谷 暁子
Lはじめに
縄文時代の土器にしばしば認められる付着炭化物を顕微鏡で観察して、植物由来の表皮細胞 細胞を検出することにより供給植物を推定できるのは、肉眼または実体顕微鏡下で粒状や球根 状などの構造が認められる場合のことが多い(笠原1968、笠原・藤沢1986、松谷1989、1991、
1992b)。津島岡大遺跡出土遺物については、3次調査地点からの炭化物付着物の識別を試みて いるが、実体顕微鏡下で粒状や球根状などの構造が認められず、SEMを利用しても識別は困難
であった(松谷1992a)。
第5次調査(大学院自然科学研究科棟新営予定地)の発掘で得られた7点(いずれも27b層 上部から出土)は実体顕微鏡により球根状と考えられる構造が観察さ札走査型電子顕微鏡(SEM)
による観察も行ったので以下に報告する。
2.実体顕微鏡による観察
No。1 炭化物は約4×3cmの土器片の全面にすき間なく5〜7mmの厚さで付着している。楕 円形をした同心円形の構造が少なくとも3個は明瞭に認められるので、大きさの順にa、b、
cと呼ぶことにする(写真23−1)。a、 b、 cの大きさは少し異なり、最も外側の径の大きさ は、aが12mm×8mm、 bは10mm×8mm、 cが6mm×5mmくらいである。 aとbは4枚、 cは2
〜3枚の同心円状構造が認められる。aとcの外形は幅の方が広い横長の球形に見え、 bは縦 長の様に見えるが、方向が異なるので、確かなことは言えない。a、 b、 c以外の部分は同心 円状構造が明瞭ではないが、同質のように見える。
No.2 土器片の大きさはNo.1と同じであるが、炭化物の付着は全体の3分の1位で、径20 mmくらいの円形の範囲に認められ、炭化物の厚さも薄くlmm未満である。同心円状の重なりは
認められないが、植物破片状の付着物が認められる (写真23−2)。
No.3 土器片の大きさは6×4cm位で、その約4分の1の範囲に炭化物が付着している。同 心円状構造は認められないが、植物破片状の付着物が認められる(写真23−3)。
No.4 土器片の大きさはNo.3と同じくらいで、4分の3の範囲に厚さlmm位の付着物が認 められるが、粉末状を呈しており、植物破片と考えられる炭化物は認められない。
No.5 土器片は8×7cmくらいで他の試料よりも大きい。厚さ1mm位の炭化物の残存は部分 的で、5カ所にそれぞれ径lcmくらいの範囲に付着しており、植物破片状の付着物が認められ
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る (写真23−4)。
No.6 土器片の大きさは5×4cmぐらいで、約2分の1の範囲に炭化物が付着しているが、
粉末状で、植物破片状の構造は認められない。
No.7 土器片は3,5×2cm位で、付着物の範囲は約2分の1位に存在するが、同じく粉末状 で、同心円状や植物破片様の付着物は観察されない。
以上の結果、No.1の試料からは、同心円状の構造が認められた。そして、この同心円状の付 着物は、山梨県水呑み場北遺跡(松谷1989)や石川県米泉遺跡(松谷1992b)など縄文時代の遺 跡から出土した土器付着物(写真23−5、6)と外形や大きさがきわめて良く似ている。水呑 み場北遺跡や米泉遺跡の付着物については走査型電子顕微鏡(SEM)による観察を行っており、
それらとの比較を行ってみることが必要と思われる。また、No.2、 No.3、 No.5の3試料か らは植物破片状の付着物が認められた。これらの破片に認められる細胞の形態がどのようなも のかを観察することも必要と考えられる。しかし、残りのNo.4、No.6、No.7から観察され た付着物は粉末状であり、粉末状の付着物はSEMで観察しても良い結果が得られないという これまでの経験がある。従って、同心円状と植物破片状の付着物が観察された4試料を対象に、
それぞれより一部を剥がして試料台に接着し、蒸着後SEMによる観察を行った。
3。走査型電子顕微鏡による観察
No.1 分離した破片(写真24−7)を拡大すると、連続した5〜6角形の細胞からなる組織 が観察された(写真24−8)。細胞の中の線状構造ははっきりしない。別の層からは細長い形態 の細胞が認められる(写真24−9)。これらは水呑み場北遺跡で観察された細胞(写真24−13、
14)と類似している。
No。2 複数の層から構成されており、一部にはNo.1で観察されたものと同様の5〜6角形
の細胞が観察された(写真24−10)。
No.3 No.1やNo.2で検出された5〜6角形の細胞は認められなかった。細長い細胞が観 察された(写真24−11)が、No。1で観察された細胞壁が平行でなめらかな細胞とは形態が異な
るようにみえる。
No.5 外形は5〜6角形であるが、数本の線状構造で充たされている細胞が検出された(写 真24−12)。米泉遺跡で観察された細胞(写真2415)と形態が類似している。
この結果、No.1とNo。2は同じ種類と考えられる。 No.5も同じ種類の可能性がある。しか しNo.3は別の植物という可能性が高い。
No.1は同心円状構造を示すことから、鱗片からなる鱗茎状の球根の断面と考えられるが、No.
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2とNo.5は1〜2枚の鱗片が残存しているとみなすことができる。
鱗片状の球根を有する植物としては、ヒガンバナ科とユリ科がある。縄文時代の炭化物とし てヒガンバナ科のキツネノカミソリ(小嶋・浜口1977)やユリ科の球根(西田1979)が同定さ れている。また、ノビルという同定も2例ある(渡辺1975)。ノビルはユリ科に属する。そこで 水呑み場北遺跡や米泉遺跡の球根状炭化物を観察した際に、二つの科に属するいくつかの植物 の鱗片を走査型顕微鏡で観察を行った。しかし、これらの鱗片の区別はSEMによる細胞構造 では差異がはっきりせず、出土物と同じ植物を特定することは困難であった(松谷1991、1992 b)。大きさなどからヒガンバナ科は除外できる。しかし、ユリ科はネギ科に限ってみても、ノ ビルの他にアサツキ、アマナ、ギョウジャニンニ久ヤマラッキョウなどがあり、ヤマラッキ ョウは食用になるという記載は見あたらないが、そのほかはどれも食用になる。もっとも普遍 的なノビルも出土物と同じ細胞形態とみることが今のところは困難であり、検討中である。従 って今のところ、ユリ科ネギ属としておくのが良いのではないかと考えられる。