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前章では当該不変化詞動詞の各グループがイメージスキーマを伴う項構造構文の連続的 な分布の上に成り立つという見方を示した。動詞事例のコーパス上の用例を挙げることに より、特定の構文に組み合わされ得る基本動詞のタイプを示し、またそれらの基礎動詞の 項構造や意味特徴が項構造構文において保持あるいは変更されることを示してきた。また 上位の構文スキーマとして考えられる「移動前方性」および「対象前方性」の概念的枠組 みのなかに各構文の派生が生じるとするとともに、空間上の事態を表す構文を基盤にして、

時間的用法の各構文や伝達・認知を表す各構文といった非空間的な行為や出来事の構文が 派生するという想定を行った。そして当該不変化詞を伴う項構造構文の派生特徴を他の不 変化詞動詞における構文派生と比較することにより、空間内容の違いが構文形成の違いに どのように反映されるかという点についても示唆を行った。

以降は当論文における考察から導き出された結論を提示するとともに、それらを踏まえ たうえでの展望を述べることとする。

当論文の考察対象であるドイツ語不変化詞動詞の先行研究からは、不変化詞の意味およ び機能、そして基礎動詞の項構造および意味特徴の合成のみでは説明のできない構文的性 質が見られることを論じてきた。もっともそれらは特定の不変化詞 an- を伴う動詞を中心 とする考察から導き出された見解でもある。そこでそれらとは空間内容が異なる不変化詞

vor- を伴う動詞を考察対象とすることにより、上述の動詞に関してなされた構文把握を「個

別のイメージスキーマを伴う構文単位」という見方と対比させるとともに、実現可能な用 法に着目することにより、不変化詞動詞の個別的空間性に結びついた構文形成の特徴を問 うに至った。

4.1 構文的性質の共通性と個別性

これまでの考察により、不変化詞 vor- を伴う項構造構文には、以下のような先行研究で 提示された構文性の特徴と共通する特徴が指摘されるとともに、構文形成における固有の 特徴が指摘されよう。

・共通する特徴としては、基礎動詞がその項構造あるいは意味的特徴を超えて、統語 および事態タイプからなる全体的枠組み、つまり構文単位に組み込まれることを指 摘した。また非空間的用法の共通性も構文性を示す現象と見なした。

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・固有の特徴としては、前方移動の事態タイプのなかに話者移動および使役移動が含 まれるとともに、前者の用法がより広範に成立していることが挙げられる。つまり より「身体性」という言語外的要素に依拠した構文形成を想定することが可能であ る。

・「位置関係」を基盤とする非空間的な動詞グループの成立も固有の特徴として挙げら れる。つまりイメージスキーマを伴う不変化詞動詞の空間的用法に基づいてそれら の動詞の非空間的な用法が派生するとするならば、時間的用法の動詞グループ

(VORHER-Typ) の構文や「伝達」や「認知」に関する動詞グループの構文もそのよ

うな派生の実現として解釈することができる。

これらの構文形成の可否に関する考察は、動詞事例がコーパス用例に現れることに依拠 した分析であったため、構文形成からどのような動詞事例が排除されるのかという側面に ついては触れることがなかった。したがって構文形成の可否の原理を解明するためには、

通時的な当該動詞の形成プロセスも考慮しながら、共時的なデータを扱うということが必 要となるであろう482

4.2.1 参照性と分離特徴との関連

また特定の空間との関連付けに関する考察を前々章で行ったが、ここでは前綴りを持つ 非分離動詞との比較から、それらを当該領域における今後の研究課題として位置付けてみ たい。

例えば2章の時間的用法との関連で言及した vordatieren および nachdatieren のような動 詞ペアについては、時間軸における明確な前後関係が見られる。しかし対称的な空間内容 を表すとされる hinter- を前綴りに持つ動詞グループとは、不変化詞 vor- を伴う動詞グル ープは異なる統語的性質および意味的性質を持つことが知られている。それぞれ (1) の不 変化詞 vor- を伴う動詞 (vorspielen, vorzeigen, vorfahren) そして (2) の hinter- を前綴りに 持つ動詞 (hinterlassen, hinterziehen, hintergehen) を比較することにする。

(1) a. Die Pianistin hat das Stück vorgespielt.

b. Die Reisende hat die Fahrkarte vorgezeigt.

c. Der Chauffeur hat den Wagen vorgefahren.

482 Kuroda (2014) および英語の句動詞の形成を扱ったClaridge (2000) も参照。

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(2) a. Die Lehrerin hat einen guten Eindruck hinterlassen.

b. Die Managerin hat Steuern hinterzogen.

c. Der Vorsitzende hat seine Mitarbeiter hintergangen.

両動詞に関しては、以下の (3) のように、前者には「前置詞句 + 動詞」形式への書き換え ができるのに対し、(4) のように、後者にはそれらへの書き換えは不可能である483。また (5) のように、前者には「場所・方向規定句」の付加ができるのに対し、(6) のように、後者に はそれらの付加は成立しない。

(3) a. Die Pianistin hat das Stück [vor Publikum] gespielt.

b. Die Reisende hat die Fahrkarte [vor dem Fahrer] gezeigt.

c. Der Chauffeur hat den Wagen [vor das Gebäude] gefahren.

(4) a. *Die Lehrerin hat einen guten Eindruck [hinter sich] gelassen.

b. *Die Managerin hat Steuern [hinter den unbekannten Ort] gezogen.

c. *Der Vorsitzende hat seine Mitarbeiter [hinter dem Beobachter] gegangen.

(5) a. Die Pianistin hat das Stück [vor Publikum] vorgespielt.

b. Die Reisende hat die Fahrkarte [vor dem Fahrer] vorgezeigt.

c. Der Chauffeur hat den Wagen [vor dem Gebäude] vorgefahren.

(6) a. Die Lehrerin hat einen guten Eindruck [*hinter sich] hinterlassen.

b. Die Managerin hat Steuern [*hinter den unbekannten Ort] hinterzogen.

c. Der Vorsitzende hat seine Mitarbeiter [*hinter dem Beobachter] hintergangen.

また不変化詞 vor- を伴う動詞においては、(7) のように不変化詞と基礎動詞の分離が起こ るのに対し484、前綴り hinter- を伴う動詞においては、(8) のように大半のケースではそれ らの分離が起こらない。

483 ただし (4c) の hintergehen は、元来基礎動詞が対格目的語をとることができないため、

すでに書き換えができない点に注意。

484 当該不変化詞を伴う動詞に関して、非分離のままで使用されることが多いイディオム性 の強い例については、2章で挙げた Eichinger 1989: 364 の指摘がある。

185 (7) a. Die Pianistin spielte das Stück vor.

b. Die Reisende zeigte die Fahrkarte vor.

c. Der Chauffeur fuhr den Wagen vor.

(8) a. *Die Lehrerin ließ einen guten Eindruck hinter.

b. *Die Managerin zog Steuern hinter.

c. *Der Vorsitzende ging seine Mitarbeiter hinter.

このように通常対称的関係にあると考えられる不変化詞および前綴りを持つ動詞ペアにお いて、空間的な参照性の違いや統語的性質の違いが現れるケースがある。これらの現象に 関連すると考えられる認知的な構造の違いは、「空間的前方」を表すvor- を伴う動詞の行為 対象が「(広義の)視野の範囲内」にあるものとして把握される一方、「空間的後方」を表 す hinter- を伴う動詞の行為対象は「(広義の)視野の範囲外」にあるものとして把握され る点にあると思われる。したがって視野内にあることに関連する参照性の強さと、視野外 にあることに関連する参照性の弱さは、両者の対称的な関係性よりは、両者の身体的基盤 を反映した特徴の違いに基づくのではないかと考えられる。もしこのような両者の差異が 明確な統語上の振る舞いの違いに現れるとするならば、不変化詞動詞を特徴づける分離性 質に関しても、人間の認知基盤が反映した空間性および参照性の枠組みのなかでより本質 的な考察を行うことが必要となるであろう。

4.2.2 言語外的知識の読み込み

以上の例においては、不変化詞動詞の空間性および参照性の明示的な側面に注目したが、

逆に、前々章で言及した言語外的知識の読み込みについても、更なる分析上の課題がある。

Erben (1970: 99f) は「典型状況的意味」(milieutypische Bedeutung) という概念を用いて動詞 一般に見られる言語外知識の慣習的な読み込みについて言及している485。そこで Erben の 挙げた以下の (9)-(12) の動詞用例を見ることにする。

(9) Du gibst (Karten beim Spiel).

(10) Ich steche (eine Spielkarte mit einer höherwertigen).

(11) Er schiebt (Schwarzhandelsware).

(12) Er sitzt (im Gefängnis), weil er (seine Schuld) gestanden hat.

485 Erben 1970: 100f

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それぞれ (9) では、「カードを配る」という意味を動詞 geben のみで表し、(10) では、「切 り札を使う」という意味を動詞 stechen のみで表している。また (11) では、動詞 schieben が「闇取引をする」という意味を単独で表しており、(12) では、動詞 sitzen が「刑務所暮 らしをしている」、そして動詞 gestehen が「罪を白状する」という意味をそれぞれ動詞単 独で表している。

これらの動詞用例は、それぞれ上記のような特定のコンテクストがある場合に、動詞の 義務的目的語や場所規定句が慣習的に省略されるケースを示している。動詞一般に見られ るこのような読み込みのパターンは、不変化詞動詞における場所や人物の存在の読み込み と比べるならば、慣習的な外界知識の関連付けがなされる点においては共通性のある現象 として見なすことができる。したがって不変化詞動詞に想定した構文的特徴を分析する際 には、上で述べた動詞一般に見られる原理、すなわちその都度のコンテクストとの対応関 係を踏まえた分析を行うことも必要であると思われる。

4.2.3 他言語の複合動詞との対照

以上より、周辺領域との関連から浮かび上がる当該動詞の研究課題を指摘したが、これ らの動詞を広く「複合動詞」の枠組みのなかで捉えることによって、その本質的な特徴を 明らかにすることも試みられるべきである。そこでそのような試みの一つに、他言語の複 合動詞との対照研究も挙げられるであろう。最後に日本語の語彙的複合動詞との関連に関 する考察を取りあげる486。Wada / Danjo (2017: 120f) では、以下の (13a, b) のように、日本 語の複合動詞「投げ入れる」を対応するドイツ語の「前置詞句 + 動詞」の表現と並置する 一方、(13c, d) のように、日本語の語彙化した複合動詞「投入する」を対応するドイツ語の 不変化詞動詞の表現と並置することにより、言語間で類似する動詞表現には共通した振る 舞いがあることを指摘している。

(13) a. 彼は石を池に投げ入れる。

dt. Er wirft Steine in den Teich.

b. 彼はチラシをポストに投げ入れる。

dt. Er wirft Flyer in die Briefkästen.

c. ? 彼は石を池に投入する。

dt.*Er wirft Steine in den Teich ein.

486 日本語複合動詞との類似に関する考察はOgawa (2003) において教授法的観点からも行 われている。

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