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おわりに

古代より日本は大陸から多くの文化や技術を受け入れてきたが、対馬はその地政学的な 位置から日本に渡来した様々なものの中継地点となっていた。今までに、対馬に関しては、

大陸と日本との中継地点としての多くの研究が行われてきているが、対馬で生活する人々 の多言語能力についての研究発表はほとんど行われていなかった。

第1部では対馬人の多言語習得を古代に絞って研究を行った。大陸と日本の間を、危険 ではあるが自由に往来することが出来た縄文時代と、日本に大和政権による中央集権国家 が誕生して大陸との交易が、国家によって制限された時代と、中央集権体制が緩み、再び 大陸と日本との間での交易が出来るようになった時代にわけて、古代対馬人の多言語能力 の変化を明らかにした。この地政学的な条件から習得した多言語能力が近世の対馬人によ る朝鮮語通事につながるが、多言語の習得には、その個人の置かれた状況が重要な要素と なるという事を確認することが出来た。すなわち教育が行われなかった時代の外国語習得 には、その言語を理解しなければならない必要性と、外国人との直接交流の許される環境 が必要であったことを示した。

第2部で対象としたのは、多くの歴史的な記録が文字によって残されるようになった時 代であった。異民族や異国との異文化交流が行われた時には、双方で政治に関係した公的 な文書や、個人が残した日記や、その時代に書かれた芸術作品などから、異文化交流の内 容を知ることが出来た。しかし、異文化交流で使用されていた話し言葉を検証することは、

過去の時代の音楽や舞踊・演劇などの無形の文化などを再現するのと同じで、難しい作業 であった。

ここでは、日本と朝鮮に残された歴史的史料と日朝関係についての先行研究を調べて、

平安時代後期の人々の生活環境の変化を明らかにしていくことで、当時の対馬人の朝鮮語 能力の研究を行った。その結果、対馬人の朝鮮語能力は、朝鮮人との交流の頻度やその内 容によって左右されていた状況を示して報告した。日本と朝鮮半島との関係が悪化して、

日本政府の支配力が強かった時代の対馬人は、朝鮮半島との交易を禁じられていたが、政 府の力が弱まると、耕地の少ない対馬で生活していた対馬人は、貧困と飢餓の生活から逃 れるために、政府の規制を破って朝鮮半島に渡り、朝鮮人との直接交流を行うようになっ

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た。生活のための交流によって対馬人が朝鮮語を習得していったという状況を明らかにし た。

第3部では14世紀末から18世紀初めまでの、対馬人と朝鮮人との交流で使用された言 語について研究報告を行った。朝鮮半島に倭館が出来て、倭寇の活動が活発になり、朝鮮 通信使との交流が行われるようになり、朝鮮出兵の時代を経験して、雨森芳洲が対馬で朝 鮮語教育を始めるまでの時代である。

朝鮮王朝により朝鮮半島で倭人が居住することを認められると、多くの対馬人が渡鮮し て、浦所で暮らすようになった。浦所に倭館が造られ、そこで生活する倭人の多くは対馬 人であった。室町時代から近世までの対馬と朝鮮との外交では、対馬側の外交担当者は京 都の禅宗の僧であり、朝鮮側の外交団とは筆談で会話を交わし、漢文で外交文書を作成し ていた。『老松堂日本行録』には、日本人の外国語能力が記録されて、日本側外交団の中国 語の発音が正確でなかったことが示されていた。

倭館については多くの研究が行われ、倭館での対馬人の生活が明らかにされてきている。

しかし、倭館で、倭人と朝鮮人がどのような言葉を使用して交流を行っていたかという課 題での研究は行われておらず、また、朝鮮からの回礼使、通信使との会話でも、そこで使 用された言葉についての研究は行われていなかった。ここでは、倭館や回礼使、通信使と の交流で、日本人と朝鮮人がどのような言葉を使用して会話を行っていたのかを研究して 報告を行った。また、倭寇についても多くの先行研究があるが、倭寇が使用していた言語 を主題にした研究は見られず、ここでは、倭寇や朝鮮海峡で生活をしていた人々が、どの ような言語を使用していたかのかの研究報告も行った。

15世紀初めの朝鮮で倭通事の養成教育が行われていたが、教育を受けた通事は外交官と しての権限も与えられることがあった。朝鮮出兵時にその存在が記録に残されている日本 人朝鮮語通事は、朝鮮での生活の中で朝鮮語を習得していた身分の低い者であった。外交 交渉において、朝鮮側と日本側の通事がどのようにその交渉に関わっていたのかを調べて、

その役割の違いを示し、日本人が、通事の役割を低く評価していたことが明らかにした。

日本人で最初に通事の重要性に気付いたのは雨森芳洲であった。

朝鮮通信使に関しても多くの先行研究によって、その実態が明らかにされてきているが、

ここでは室町時代からの朝鮮通信使との会話で使用された言葉の研究を行った。会話の研 究から、雨森芳洲が対馬藩に仕官して朝鮮語修得の参考書になる『交隣須知』を著わすに 至った過程を考察した。雨森芳洲の登場によって、当時の対馬藩で、外交では相手国の立

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場や文化・伝統を尊重することが大切という現代外交と同じような考えが生まれたが、こ こではその経緯を示した。

倭館での対馬人と朝鮮人との会話や、来日した朝鮮通信使との会話が、どのような言葉 で行われていたかの研究報告はこれまでになく、会話の言葉を主題にした研究に関しては、

本論文が最初の研究発表になる。また、室町時代から江戸時代初期までの日本で朝鮮語を 理解した人々は、どのような社会的階層に属していたのかを報告して、そのことが現代日 本での外交官養成に影響を与えた可能性についても報告を行った。

近世での外国語通事の養成は対馬藩だけではなく、長崎や薩摩藩でも行われていたが、

現代の外国語教育に近かったのは、対馬藩での教育であったことを示した。

古代から 18 世紀初めまでの対馬人の外国語能力と朝鮮語との関わり方を、会話での言 語を中心にして研究報告を行った本論文では、日本人の外国語に対する考え方の変化を、

時代の経過に従って示すことが出来た。

対馬藩での朝鮮語教育の始まりを研究することは、近代日本の外国語教育につながる教 育政策が対馬藩で始められたということの確認になり、今後さらに、対馬藩と朝鮮語との 関わり方の経過を明らかにしていくことは、現代の日本と韓国・朝鮮の『交隣提醒』を改 めて認識できる意義のある研究であると考えている。

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参考資料と参考文献

松原孝俊他「雨森芳洲と対馬藩「韓語司」における学校運営をめぐって」『比較社会文 化研究科紀要』3 p.149~159九州大学1997

厳原町誌編集委員会編『厳原町誌』p.795 p.1002厳原町1997

大庭卓也「福岡藩儒竹田春庵と朝鮮通信使」『語文研究』93 p.14~24九州大学2002

井上秀雄『古代朝鮮』p.19講談社2004

井上秀雄『古代朝鮮』p.30講談社2004

アイヌ民族博物館編『アイヌ文化の基礎知識』p.16草風館1993

鈴木理恵「境界域史の可能性」『教育学部社会科学論叢』70 p.40長崎大学2008

鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』p.10中央公論新社1992

井上秀雄『古代朝鮮』p.34講談社2004

10 朝鮮史研究会編『朝鮮の歴史』p.36三省堂1995

11 上田正明他編『古代の日本と朝鮮』p.26學生社1974

12 井上秀雄『古代朝鮮』p.29講談社2004

13 李成市『古代東アジアの民族と国家』p.29岩波書店1998

14 金容雲『日本語の正体』p.36三五館2009

15 大野晋『日本語はいかにして成立したか』p.96~97中央公論社2002

16 金達寿『古代朝鮮と日本文化』p.229講談社1986

17 金錫亨『古代朝日関係史』p.330勁草書房1969

18 高秉雲『朝鮮史の諸相』p.33雄山閣出版1999

19 榎本渉『僧侶と海商たちの東シナ海』p.52講談社2010

20 上垣外憲一『倭人と韓人』p.141~143講談社2003

21 濱田耕策「新羅の東・西津と交易体制」『史淵』149 p.73~107九州大学 2012

22 フォン・ヴェアシュア シャルロッテ『モノが語る日本対外交易史』p.95藤原書店2011

23 服部英雄「日本中世国家の貨幣発行権」『東アジアと日本:交流と変容』p.71~84九州

大学2007

24 西日本文化協会編『対馬の美術』p.203西日本文化協会1978

25 上県町志多留釈迦堂の高麗時代に製作された如来形坐像(銅造)(『対馬の美術』西日 本文化協会1978)

26 峰町海神神社の高麗独自の製作によると思われている捻花唐草文鏡(『対馬の美術』西 日本文化協会1978)

27 峰町海神神社の高麗時代の青磁象嵌蒲柳文梅瓶(『対馬の美術』西日本文化協会1978)

28 村井章介『境界をまたぐ人日と』p.37山川出版社2006

29 若木太一「朝鮮通信使と石川丈山」『語文研究』52/53 p.65~80 九州大学1982

30 金仙熙「十七世紀初期~中期日朝知識人の他者像」『教育学研究科紀要』50 p.281~289 広島大学大学院2001

31 村井章介『中世倭人伝』p.36~43岩波書店1993

32 松尾弘毅「朝鮮前期における向化倭人」『史淵』144 p.25~54九州大学2007

33 村井章介:『中世倭人伝』(岩波書店 1993)、『境界をまたぐ人びと』(山川出版社 2006)

など、倭寇の活動を通じて中世の日本と東アジア関係について多くの業績がある。

34 田中健夫:『倭寇と勘合貿易』(至文堂 1961)、『中世対外関係史』(東京大学出版会 1975)

など、倭寇が東アジアに与えた影響について多くの研究がある。

35 太田弘毅:『倭寇』(春風社 2002)など、倭寇を商業的、軍事的な観点から見た研究を 行っている。

36 森克己:『日宋貿易の研究』(国書刊行会 1975)、『続日宋貿易の研究』(国書刊行会 1975)、

ドキュメント内 雨森芳洲以前の対馬人と朝鮮語に関する研究 (ページ 139-156)

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