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4.インボイス通貨選択とアジア為替市場

5. 結語

本稿では、まず第1節において、インボイス通貨選択に関する伝統的な定型化された 事実を提示し、インボイス通貨選択に関する近年の理論・実証研究の動向をサーベイし た。

第2節では、各国(地域)向けの輸出における支配的インボイス通貨を定義して、対 象企業がどのようなインボイス通貨選択を行っているかを概観し、そうしたインボイス

30 2008 年にはブラジルとアルゼンチンの間でドル抜き決済システムが新たに構築されている。ブラジルは 日本との貿易決済についても円建て取引を提案している。

通貨の選択方針と為替リスク管理の現状についての回答結果と第 1 節で議論されたイ ンボイス通貨選択に関する先行研究の知見を融合して、現代の日系主要輸出企業のイン ボイス通選択における6つの主要な決定要因を抽出した。

第3節では、抽出された決定要因が、実際の日系企業のインボイス通貨選択行動を説 明しうるかどうかについて、対象企業のインボイス通貨選択データと決定要因の代理変 数として抽出した財務データを用いたクロスセクションの実証分析によって検証した。

主な実証結果の第1 は、PTMと整合的なインボイス通貨選択行動が先進国向け輸出 において広範に観察できる点である。2000 年代後半の主要日系輸出企業の先進国向け 輸出においては、その大半がグループ内取引であり、市場競争の程度の高さから、為替 変動に関らず相手国市場の販売価格安定を強く志向している。特に、日系企業の輸出先 が同一グループ内の現地法人であるかどうかは、インボイス通貨選択とPTMとの関係 を説明する上で重要な要因の一つとなっている。

第2は、エレクトロニクス製品等の米ドル建て取引慣行の強い製品群の存在が、米ド ルのインボイス通貨としての役割を大きくしていることである。一方で、国際的に極め て高い製品競争力を有する財を輸出する企業は、輸出製品の競争力の高さが自国通貨建 て輸出に結びつくことを認識し、先進国向け輸出においても円建て取引を希求している。

これらの結果は、輸出財の特性によってインボイス通貨選択が左右されることを示唆す るものであり、伝統的な定型化された事実のうち、輸出する財の特質がインボイス通貨 選択に影響を与えるという考え方が現代でも妥当することを意味している。

第3は、日本企業がアジアの生産拠点を通じて米国に輸出するという現代の貿易構造 が、日系企業とアジアにおける米ドルのインボイス通貨としての役割の大きさに寄与し ている。アジア域内貿易は近年大きく増加しており、そのアジアにおいて日系企業は域 内生産ネットワークを構築している。このアジアにおいて日系企業は円をインボイス通 貨として選択する余地があると考えられるが、最終仕向け先としての米国及び米系企業 の重要性から、日本を含むアジアにおける米ドル建て取引のウェイトは依然として大き い。

第4節では、アジアにおいて現地通貨がインボイス通貨として選択されず、アジアの 現地法人に為替リスクが残存している現状を踏まえて、日系輸出企業のインボイス通貨 選択の主要な決定要因の一つであるアジアの為替管理規制の現状に焦点を当てた。現在 の日系企業が内包する為替リスク上の課題に対して、アジア共通通貨バスケットの採用 は検討に値するものである。日系企業の東アジア向け輸出において円やアジア通貨の代 わりに米ドルをインボイス通貨として選択する一因は、東アジア各国の通貨当局による 為替管理規制にある。アジアの現地通貨がインボイス通貨として選択されるためには、

まず、為替リスク管理が可能な通貨として為替市場、特にスワップ市場の流動性が高ま ることが必須であるが、そのためにはアジア各国の為替取引規制が同時に緩和されるよ うな何らかの強いモチベーションが必要となる。日系輸出企業のアジア共通通貨バスケ

ットに対する期待としては、為替政策を協調するという段階において、アジア域内全体 で規制緩和が促進されるというメリットが多く指摘された。アジア共通通貨バスケット がユーロのような単一通貨となるまでにはまだ多くの年月がかかるとしても、アジア共 通通貨による各国の為替政策協調体制の構築によって各国の為替取引規制が徐々に緩 和される方向への進展が今後の課題として期待される。

本稿の分析は、2007年後半から2008年後半にかけて実施された日本を代表する主要 輸出企業23 社へのヒアリング調査の回答を基礎にして構成されている。本稿のヒアリ ング調査は、貿易取引におけるインボイス通貨選択を実際に行っている企業のミクロレ ベルの意思決定を分析することにより、インボイス通貨選択に直接的に影響を与える決 定要因を抽出しているという点で、集計量のデータを扱ってきた既存研究とは一線を画 す顕著な優位性を有している。その一方で、対象企業が極めて少数の日本の代表的輸出 企業に集中しているという意味で、中小企業を含めた日本の輸出企業の全体像という観 点からは、依然として限定的な姿を捉えたものとして解釈すべきだろう。今後は、より 中小の輸出企業を含めた大規模なアンケート調査等を実施することにより、日系企業の インボイス通貨選択を巡る本稿の知見の頑健性を再検証する作業が強く望まれる。

付論1.東南アジア生産拠点から第三国向け輸出におけるインボイス通貨選択

ヒアリング調査対象企業のうちの相当数の企業は、日本国内だけでなく、アジア各国 に欧米諸国やその他の地域向けの輸出を行う生産(製造)拠点を構築している。そうし た対象企業のうち、東南アジア(ASEAN諸国)に輸出生産拠点を持つ計6社について、

生産拠点から第三国向けに輸出を行う際のインボイス通貨選択の情報が得られた。以下 では、これらの対象企業について、ASEAN内の生産拠点から日本を除く第三国向け輸 出についての支配的インボイス通貨を抽出し、生産拠点別・輸出先別のインボイス通貨 選択状況として表A-1に報告している。

表A-1.東南アジア生産拠点から第三国向け輸出におけるインボイス通貨選択状況

ASEAN内の生産拠点からの第三国向け輸出 (単位:社)

生産拠点

輸出先 米国 ユーロ圏 オーストラリ

他のASEAN 諸国

シンガポー

米ドル 2 5 1

ユーロ 3

相手国通貨 --- --- 2

生産拠点現地通貨

ASEAN各国の生産拠点から第三国向け輸出 (単位:社)

生産拠点 インド(1社)

輸出先 米国 ユーロ圏 他のASEAN

諸国 中近東 中南米 インドネシア

米ドル 1 3 1 1 1

ユーロ 1

相手国通貨 ---

---生産拠点現地通貨

出所:ヒアリング調査結果

サンプル:ASEAN内に第三国向け輸出を行う生産拠点を持つ対象企業のうち回答の得られた計6社

タイ(3社) インドネシア(1社)

支配的インボイス 通貨

支配的インボイス 通貨

ASEAN(5社)

第 1に、ASEAN内の生産拠点から、米国・ユーロ圏、豪州、他のASEAN諸国、シ

ンガポール向け輸出についての回答結果を表の上段にまとめている。顕著な特徴は、米 国・ユーロ圏・オーストラリアという先進国(地域)向けの輸出では、日本からの先進 国向け輸出と同様に、相手国通貨をインボイス通貨として選択する傾向が顕著である。

これに対して、ASEAN内の生産拠点から他の ASEAN諸国への輸出を行う場合は、生 産拠点の現地通貨も相手国通貨も、さらに円もインボイス通貨として選択されず、回答 を行った5社全てが米ドルを選択していた。うち1社はASEAN内の先進国であるシン

ガポール向け輸出についても回答したが、これについても米ドルが支配的インボイスと して選択されている。

第2に、ASEAN各国の内訳(表下段)で見ても、タイの生産拠点から先進国(地域)

である米国・ユーロ圏は相手国通貨建て、他のASEAN諸国向けは米ドル建てという同 様の傾向が観察される。アジア内の生産拠点から同じ発展途上国向け輸出において米ド ルが使用されるという傾向は、インドネシアやインドに生産拠点を持つそれぞれ1社ず つの回答においても同様である。

以上の結果は、日系企業のアジア生産拠点からの輸出行動においても、日本との商流 が関係しない第三国向け輸出においては、米ドル及びユーロ以外の通貨は選択されてい ないことを示唆している。特に、日本を除くアジア各国同士の輸出においては、日系主 要輸出企業の生産拠点間の取引といえども、ほぼ米ドルのみがインボイス通貨として選 択されている。

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