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111 『平成 11 年版外交青書』外務省、1999 年、311-315 頁より。

112 『文化政策白書』2004 年、475-476 頁を参照。

113 中村知子「韓国における日本大衆文化統制についての法的考察」、272 頁。

114 『文化政策白書』2001 年、503-505 頁を参照。

115 韓国文化観光政策研究院*『文化産業政策 10 年、評価及び展望』韓国文化観光政策研 究院、2005 年、6 頁。

116 『文化産業白書』2001 年、38-39 頁。『文化産業白書』2008 年、14 頁。

117 韓国組織学会*『韓国コンテンツ政策振興体制の改善方案研究』韓国文化観光部、2012 年、31 頁。

118 *『スポーツソウル』2003 年 10 月 2 日付。

119 *『第 198 回国会本会議会議録国会』第 11 号、国会事務処、1998 年 11 月 18 日。

120 NHK放送文化研究所『メディア情報調査レポート』日本放送協会,1998 年夏合併号。

121 亜細亜・太平洋財団:韓国統一と民主主義、アジア平和を推進することを目的に、金 大中が 1994 年 1 月 27 日に設立した研究財団。

122 『朝日新聞』1998 年 1 月 23 日付。

123 *『金大中大統領演説文集』第 1 巻 (1998 年 2 月~1999 年 1 月)、大統領秘書室、1999 年、427-430 頁。

124 『同上』第 1 巻、521-523 頁。

125 *『金大中大統領日本国賓訪問』文化観光部資料、1998 年 10 月、12 頁。鄭淳日「韓国 の放送と日本の大衆文化」『放送研究と調査』日本放送出版協会、1999 年 3 月、18 頁。

126 『金大中

1

次亡命時期資料(1972 年 10 月~1973 年 8 月)』寄贈者:イ・グンパル

127 『毎日新聞』1998 年 4 月 30 日付。

128 『金大中-金種忠書簡集(1972 年 11 月~)』寄贈者:金種忠。

129 金大中著・金容権訳『新しき出発のために』朝日出版社、1994 年、4-7 頁。

130 *『第 166 回国会本会議会議録』第 9 号、国会事務処、1994 年 2 月 24 日。

131 林夏生「韓国における日本大衆文化『開放』の歴史的文脈」『歴史学研究』、歴史学研 究会、1999 年、39 頁。

132 『文化政策白書』2004 年、475-478 頁、外務省資料「韓国政府による日本文化開放政策

(概要)」平成 15 年 12 月 30 日、外務省ホームページ。

133 *『ハンギョレ新聞』2003 年 9 月 17 日付。

134 *『ソウル経済』2003 年 9 月 16 日付。

135 *『文化日報』2003 年 9 月 17 日付。

136 2006 年 3 月 29 日、韓国文化観光部 文化政策課、日本文化開放担当者への筆者によるイ ンタビュー。

137 2006 年 3 月 30 日 韓国文化観光部文化産業政策課、文化交流担当者への筆者によるイン タビュー。

138 『平成 25 年版外交青書』外務省、2013 年、第 2 章、第 1 節。

139 『読売新聞』2013 年、1 月 9 日付。『読売新聞』2012 年、8 月 11 日付。

140 『最近の日韓関係』外務省北東アジア課、平成 26 年 5 月、5 頁。

141 『読売新聞』2014 年 6 月 6 日付。

142 *『東亜日報』1998 年 1 月 23 日付。

143 その他にも、「国内流入された日本大衆文化の水準に関する認識」に関する質問には、

高級文化がより多い(11.3%)、低質文化がより多い(83.7%)、分からない(5%)と 答え、応答者の 83.7%が不法日本文化が流入されていると認識を持ち、年齢別では 30-

40 代、職業別では、事務職、また教育水準が高いほど、地域別では大都市で、不法文化 がより多いという見解であった。しかし、「日本大衆文化開放が韓国内大衆文化産業に及 ぼす影響」については、発展の契機(56.2%)、沈滞(40.5%)、無応答(3.3%)の順 で「日本文化開放」により国内文化産業の競争力が高まるとの認識が多かった。『文化体 育広報委員会会議録』1995 年 3 月 16 日、24-25 頁を参照。

144 その他、ビデオの場合、開放後国内市場占有率が 4~6%でやや低かった。2000 年以降 総 48 編の封切り映画が販売され、総販売量が 68 万枚、買出額は 167 億 9000 万ウォン。

日本放送番組輸入額は 2003 年 273 万ドルで 1999 年の 109 万ドルに比べ大幅上昇したが、

2001 年には 163 万ドルに減少した。(*『日本大衆文化開放影響分析及び対応方案』韓国 文化観光政策研究院、2003 年、3—5 頁に詳しい。)

145 *『ソウル新聞』2003 年 9 月 17 日付。

146 朴順愛・土屋礼子編『日本大衆文化と日韓関係』(株)三元社、2002 年、158-159 頁に詳 しい。

147 川村湊、2006、「国際文化学から見た『韓流』映画論」『インターカルチュラル』、4 号、

日本国際文化学会年報編集委員会、69-70 頁に詳しい。

第3章 金大中政権の文化政策と「日本文化開放」が韓国社会にもたらした影響

金大中大統領は政権発足とともに、1998 年 2 月には「文化大統領」を宣言し、文化芸術 の暢達、伝統文化の保存・発展とともに、文化産業を基幹産業として育成することを通じ て、国家競争力強化を図ることを目標に掲げた。そして政策的には、「創意的文化国家」を 目指して、「文化産業振興基本法」の制定など、産業振興のための法制度を整備し、文化体 育部を文化観光部に改編し、その管轄範囲を文化・体育・観光・青少年・メディア等に広 げるなど組織改革にも取り組み、文化産業を国家基盤産業として育成し支援するための法 律的・制度的基礎を設定した1

また、政治的民主化の結果を文化政策にも反映すべく、文化芸術に関わる検閲制度など を先進国型に転換する一方で、1998 年 10 月の金大中大統領の訪日を契機に、1965 年の日 韓国交正常化以降も永年に亘って継続されてきた日本文化に対する規制を解消し、1998 年 10 月には日本文化開放を実現することとした。

金大統領の文化政策で特筆すべきは、文化開放と同時に、自国文化の競争力向上のため のより具体的な育成策が、同時並行的に企画され実施に移されたことである。本章では、

韓国が永らく日本大衆文化を規制する政策を採ってきたのにもかかわらず、なぜ途中から 開放政策に転じたのか、という問いに対して、大衆文化交流政策が内包する「文化産業政 策」の側面から検証する。また、金大中政権による「日本文化開放」の過程と、同時に実 施された文化産業の育成・振興政策を、主に韓国文化コンテンツ振興院(KOCCA)の 振興政策の中で、「放送映像産業振興政策」に絞って、焦点をあてて分析、考察する。そし てその後、「日本文化開放」が韓国社会に及ぼした影響を経済的・文化的要因別に分析する こととしたい。

第1節 金大中政権による文化産業育成・振興政策

金大中政権の文化産業政策の基本方針としては、政策的には「創意的文化国家」を掲げ つつ、文化産業を国家基盤産業として育成することを強調した。まず、文化予算を政府全 体予算の 1%水準に確保し、文化インフラを多様に構築・支援すること、また文化産業と観 光産業を国家基幹産業として支援・育成することによって、IMFの経済難を克服すると 同時に文化先進国化を図ることであった。

1999 年に「文化産業振興基本法」を制定し、文化産業振興のための法的・制度的な基礎 を設け、それに基づき「文化産業基金」を創設したが、その額は 2000 年には 2,329 億ウォ ン(230 億円)に達した。また、文化産業を育成するために「韓国文化コンテンツ振興院」

を設立し、自国文化輸出振興のための補助を行うこととしたが、この結果、過去入超であ った放送番組は輸出が輸入を上回り、アジア各国で「韓流ブーム」を巻き起こすことにつ ながった。

本節では、まず、文化産業の育成・振興政策について、主に放送コンテンツ、放送映像 産業振興政策に焦点をあてて分析し、放送プログラムの輸出入の状況などを考察すること によって、文化の開放による日本大衆文化の流入過程と、韓流文化の波及状況を明らかに することとしたい。

1 文化コンテンツ産業の重要性の認識と産業育成インフラの整備

(1)金大中政権による産業政策の転換

近年、経済のグローバル化と革新的な情報通信技術の発達と普及によって実現した効率 的な国際化社会・情報化社会は、経済的には経済成長をもたらすと同時に、文化的にも、

容易な文化受容が、国境を越える対話と交流を促進し、文化と文化交流が持つ社会的影響 力を、相対的に増すという結果をもたらした。そうした環境の中で、文化産業(コンテン ツ産業)を、成長性に富んだ産業分野として位置づけ、総合的な国家戦略のもとで育成し 振興を図ることは、時代に即した政策の一つであると考えられる。

文化産業(コンテンツ産業)は、放送、出版、映画、音楽、ゲーム、デザインなど、広 範囲に及ぶ分野の業種を含んでおり、人々の日常生活における影響は勿論、国家経済にお ける影響力ついても、重要視されなければならないが、このような認識が世界的に認めら れ、各国において、国家戦略のもとで育成と振興政策が採られるようになったのは、1990 年代に入ってからであると言える。

世界で最大のコンテンツ市場を持つアメリカは、第 2 次大戦前から映画を中心とする輸 出促進策を官民一体となって積極的に進めてきた。映像分野におけるアメリカの国際競争 力はソフトのみならず、ハードウエアにも及ぶことから、戦後も引き続き、貿易制限の撤 廃、スクリーン・クオータ制度などの国内規制の撤廃、著作権保護など、自国産業の市場 と利益確保への取り組みを行ってきた。また、アメリカ、日本に次ぎ世界第 3 位の市場を 持ち、輸出額も大きいイギリスも、1997 年に発足したブレア労働党政権が、「クール・ブリ タニア(格好いいイギリス)」というスローガンの下に、関係省庁を横断した政策立案チー ムとして、創造産業タスクフォース(CITF:creative industries task force)を設 置して、文化産業振興策に取り組み始めた2

韓国においても、1997 年末のIMF金融危機という国内の経済環境の変化によって、そ れまでの重厚長大型産業の量的成長を主とした経済戦略の問題に関する反省と論議が、国 内からも出始め、知識情報社会という世界的な経済環境の変化も、文化産業の発達を促進 させる要因にもなり、韓国内の経済環境の変化も相まって、韓国政府は、積極的に文化産 業を育成し、振興して行く方向に転換していった。また、韓国においては、過去、文化産 業は産業政策の適用範囲外だったため、税制・金融などの支援が十分でなかった。いま一 つ、文化産業が消費性娯楽の概念としてしか認識されなかったため、体系的育成と支援が なされず、規制緩和も出来なかった3ことなどから、流通構造を含め全般的なインフラが整

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