I.3で概略したように、国家の諸機関は日頃の職業的訓練に基づいて業務を組織的に実行したし、
地域住民やボランティアの人びとはもちろんこれらの公務員たちの必死の救援活動こそ、震災地の 復興にとってもっとも貴重は支援であった。それとともに、大震災と原発事故という過酷な環境での 活動に伴う肉体的疲労はもとより、悲惨な現場を体験したことによる精神的打撃に対する精神的ケ アをしなければならない。ところがそれを全体的に統括する官邸のほうはどうだったろうか。結論か らいえば、大震災と巨大津波に対しては各省庁が迅速かつ組織的に対応したのに対して、国民の立場 からみれば、原発事故全体に対してはさまざまな初動体制上の誤りがあったといわざるをえない96。 この初動ミスについてはⅢで考察しよう。
福島第一原子力発電所の過酷事故については、いまだに溶け落ちた核燃料がどこの位置で、どのよ うな状態にあるのかを知ることができない状態であり(人間が近づけないほどの高い放射能)、その 原因をめぐってもさまざまな対立的「調査結果」(見解)が出されているのが現状であり、統一的か つ総括的な調査は今後も継続されなければならない。溶け落ちた核燃料の正確な位置と状態が分か らなければ、今後の廃炉作業と放射能放出を食い止めることはできないし、複合的な原因が解明され なければ他の原発の再稼働や安全性を判断することはできない。
廃炉作業は困難が山積みされており、超長期の期間がかかることが予想されている。小型の東海 原発の廃炉作業は2001年から始まり2017年に終了する予定だったが、2020まで先送りされてい る(『東京新聞』2013年3月11日)。福島第一原発ではデブリの分布や性質が不明なために、ロボ ットや光線を利用してデブリの状態の調査が進められているが困難を極めている。東京電力は2017 年に入りロボットによるデブリの調査を開始したが、2号機では圧力容器と格納容器底部の間にあ る作業用足場には溶け落ちた核燃料がこびり付いており、そこでの実測放射線量は毎時210シーベ ルトもあった。放射線量が強いと電子部品はどんどん劣化し壊れていくから、ロボット「サソリ」
のカメラは約2時間で視野の半分ほどが映らなくなったし、ロボットは操作不能となった。画像の ノイズから推定される放射線量は最大で650 シーベルであり、1 分弱で致死量となる値であった
(『朝日新聞』2017年2月19日朝刊)。当然デブリ本体の線量ははるかに高いことになる。1号機 では溶融燃料も発見されずに調査が終了した(『日本経済新聞』2017年3月24日朝刊)。フランス 原子力・代替エネルギー庁のカダラッシュ・センターでは、日本原子力研究開発機構などの協力の もとで、「模擬デブリを作って冷え固まる過程を調べたり、冷却水やコンクリートと触れた際に起き る反応を分析したりしている」のが世界の研究状況である(『日本経済新聞』2017年1月15日朝 刊)。原子炉解体作業は2014年度から予定されていたが、処分場が決まらず先送りすることになっ
た(『朝日新聞』2013年11月18日朝刊)。長期にわたる廃炉作業のためには人材育成が必要だが、
そのために研究用原子炉は停止状態にあり、「新規制基準」のもとでは近畿大学が2017年4月に運 転を再開させるにすぎない。老朽化によって費用はかさむことによって、「人材が限られる大学が原 子炉を所有・維持するのは将来的には無理」と指摘されている。
各種の調査や見解は推測の域を出ない問題を含んでいるから、以下、なるべく把握できた事実関係 をクロノロジー的に追跡しながら、事故原因をめぐっての対立点や未解明点を整理し、原発事故の背 景にある技術論を超えた社会経済的背景を論じておきたい。
1 過酷事故(メルトダウンと水素爆発)の推移と「最悪のシナリオ回避」の必死の作 業
吉田昌郎所長(当時)以下の「フクシマ・フィフティ」の必死の原子炉冷却作業によって、「最悪 のシナリオ」が回避された。福島第一原発事故は複数原発の同時多発の過酷事故であるから、各号 機のクロノロジーに入る前に、その全体の推移を簡単にみておこう。原発事故の経過については多 くの書物が出版されてきたが、現場で陣頭指揮をした吉田所長と免震重要棟の側から見た経過を記 述した門田隆将の報告を紹介しておこう97。
巨大地震と大津波によって全電源を喪失し冷却材喪失に陥り、メルトダウンに至ったことは誰も
96 田坂広志『官邸から見た原発事故の真実―これから始まる真の危機』(光文社新書、2012年1月) の第1章は、「官邸からみた原発事故の真実」を語っている。菅直人『東電福島原発事故 総理大臣 として考えたこと』幻冬舎新書、2012年10月、も当時の総理大臣として考えたが、公表しなかっ た事実関係を回想している。官邸当局者も必死に統括しようとしたことを否定はしないが、初動ミス が結果として生じていたことには疑いの余地はない。読売新聞政治部『亡国の宰相 官邸機能停止の 180日』(新潮社、2011年9月)は、菅政権の対応を全面的に批判している。
97 門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日』PHP、2012年12月、60頁。
吉田昌郎の小説風の伝記については、黒木亮『ザ・原発所長』上・下、朝日新聞出版、2015年7月、
がある。小説・周木律『Fukushima 50』角川文庫、2020年1月、は実態を踏まえながら福島第一 原発のフクシマ・フィフティの命を守ろうとした必死の闘いを描いている。
否定しない。この過酷事故の中で、「多くの専門家が驚くのは、この早い段階で吉田が、消防車の手 配まで行わせたこと」であり、「吉田が手配した消防車の存在が事故の拡大をギリギリで止めること になることを、この時点では誰も知ら」なかったが、「この時点で『水流を確保するライン』を彼ら がつくっていたことは、のちに最も重要な意味を持」98った。メルトダウンを知った吉田たちは、
「すでにこの段階で、吉田の頭は、『いかにして水を注入して原子炉を冷やすか』、そして『いかに 格納容器を爆発させないか』に移っていた。すなわち『ベント』で」99であり、ベントを急いでい た。菅総理の来訪はベント作業を遅らせたが、「放射線のある真っ暗な建屋の中に『手動』でバルブ をかけに行くのがベントの作業である。放射線の現場に『突入する』ことによって初めてベントが 行われることが『決死隊』という言葉で理解でき、菅はほっとしたのかもしれない。」100。官邸のも たもたぶりとは対照的に、自衛隊は迅速に救援活動を開始した(I.3.1)。地震発生から3時間後に は郡山駐屯地から消防車と電源車が向かい101、「彼らは、冷却のために何よりも必要とされていた消 防車を届けた上に、瓦礫の撤去から始まり、初期の注水活動を全面的に支えた」のである102。
必死の作業にもかかわらず1号機建屋は水素爆発した103。1号機のオペレーション・ルームから 退去してきた人の証言によれば、「『免震重要棟の廊下やフロア、トイレのところ、ありとあらゆる 場所に人がうずくまっているんですよ。協力企業の人も含めて、力尽きてる人がいっぱいいる。何 か不思議な感じがしました。戦争でいうなら、中操から免震棟に上がった時は、最前線の戦場から 後方に下がってきた感じなわけです。そこに人が沢山いたことを知り、私はびっくりしてしまった んです。』」104と。さらに14日11時01分には3号機が爆発し、消火作業直前の自衛隊員も負傷し、
2号機などの冷却活動がストップしてしまった。「行方不明40名!」という情報も入り、不眠不休 の吉田所長は机の下で座禅に入り、その後横になって眠りに陥った105。2号機も危険な状態に陥っ たが、15日午前6時には4号機で水素爆発、2号機で爆発音が生じた。ここに至って吉田所長は、
「各班は、最少人数を残して退避!」(15日午前6時過ぎ)と指示し、「フクシマ・フィフティ」は 69 名となったが、トイレは赤に染まっていたという106。一端退避した東電社員も続々と帰ってき て、お互いの無事を確認し合ったという。その後公開されたテレビ会議の記録から計算すると、お よそ650人が第二原発に撤退し、16日1:30分までに112人が戻り、16日8:16には59名が第 二原発から戻るために第一に向かっていたことになる107。
1.1 1号機クロノロジー 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)『報告書』は、
1号機の技術的弱点と事故推移の不可避性について次のように総括している。「津波の襲来とそれに 伴って発生した直流電源の喪失に際し、その直後から、ICの系統確認と運転状態への復旧操作に迅 速に対応できなかった背景には留意が必要である。すなわち、現場確認のための出発時刻が、ICの 喪失後、もしくは運転性が不明になってから1時間半以上も経過した17:19分であったこと、そ の確認目的がICを優先したものでなかったこと、ICの胴側の推移確認という重要な任務を現場の 汚染レベルがいくぶん上昇したという理由によって簡単に断念してしまったこと、胴側の冷却水が 何らかの原因によって喪失した可能性を考慮し補給のための活動を行っていながら、細管に非凝縮 性の水素ガスが蓄積して自然循環が停止してしまったことに思考が及ばなかったこと、21:19分に なって確認された水位が、TAF+2000mmであったことに疑念を抱かなかったことなど、一連の判 断と行動において重大な技術的弱点があった可能性がある。∕・・・ICを機能喪失した後の1号機に おける水素爆発までの進展は、不可避であったと思われる。」108。メルトダウンへの経過は、以下の ように推測されている。11日16:45、1号機水位低下が判明、16:46~17:46頃燃料棒露出(原 子力安全・保安院の解析)・18:12 燃料棒露出(原子力保安検査官メモ)、18:46 燃料損傷の開 始(推定)、19:00頃メルトダウン開始(保安院解析)・22:22以降メルトダウン(検査官メモ)、 12日15:36水素爆発。ノルウェーの研究機関の推測によれば、放出されたセシウム137はチェル
98 同上書、76頁
99 同上書、99頁
100 同上書、156頁
101 同上書、160~161頁
102 同上書、169頁
103 最近の見解によると、水素爆発は5階ではなく4階で起こった可能性があるという。4階だと すると、非常用復水器が地震によって破損し、そこから水素が発生したことが考えられる。田中三 彦「福島第一原発1号機原子炉建屋の水素爆発は5階ではなくまず4階で起きていた!」『原子力 資料情報室通信』473号(2013年11月1日)。
104 門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日』229頁
105 同上書、251~254頁
106 同上書、278頁
107 福島第一原発事故を考える会「解題『吉田調書』」『世界』2016年7月号、215頁。
108東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)『報告書』161~162頁