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嶋臺塾の平成 27 年度の活動としては、まず、平成 26 年度に行った 3 回の嶋臺塾の記録 を 編集し、500 部を印刷、約 400 部を配布した。続いて、「畳」、「京都の景観」並びに「朽ちると いうこと」をテーマとした 3回の嶋臺塾を開催し、延べ 104名の参加者を得た。

各回の概要は以下のとおり。

第33回 何処に御座る

日 時: 平成27年7月27日(月)午後6時~8時

洛中から: 「京に畳を敷き繕う」

磯垣 昇 氏(畳師)

学堂から: 「藺草産地の経営史」

吉野 章(地球環境学堂 准教授)

挨 拶: 舟川晋也(地球環境学堂 副学堂長)

協 力: 嶋臺(しまだい)

日本の家と言えば「畳」。しかし、現在、畳部屋の無い家が増えてきています。畳の需要は、

平成の間に3割程度にまで減ってしまいました。しかも、その減少に歯止めはかかっていません。

このまま日本の住宅から畳は消え去るのでしょうか。

第 33 回目の嶋臺塾は、畳師の磯垣昇さんにご登壇いただき、畳の歴史、畳屋さんの技術、そ して良い畳と悪い畳の違いなどについてお話いただきました。現存する最古の畳は、正倉院にあ るそうですが、その紹介から始まり、江戸時代の普及の様子、明治から始まる機械化の歴史と畳 の変容について紹介いただきました。現在の畳の土台には、発泡スチロールが入っています。そ れは、ワラの確保の問題だけでなく、調湿性のない現代家屋のつくりも関係していること、そし て、ワラ床が使われなくなったことで、畳屋さんに、かつての技術がなくなってきているからと のこと。本当に高級な畳はどういうものかも教えてもらいました。それは床、裏付き、保持材な どがしっかりしている、見えないところにお金がかかっている畳なのだそうです。文化財ですら 発泡スチロールが使われたりする中、磯垣さんは、それをつくる技術の伝承にも力を入れられて いるとのことです。

地球環境学堂からは、吉野章准教授が畳表の原料となる藺草の話をしました。藺草の産地と言 えば、かつては備後表で有名な広島県、そして岡山県でした。それが、高度経済成長期に熊本県 に移動し、藺草の一大産地が形成されます。藺草というのは、冬の厳寒期に植え付け、夏の一番 暑い時期に収穫します。その作業は過酷で、泥染めと乾燥を行うので泥まみれです。広島・岡山 の藺草農家が工場に吸収されていく中で、新興産地・熊本は、機械化と規模拡大を繰り返します。

しかし、平成に入ると、中国からの藺草や畳表の輸入が急増します。さらに畳の需要が減少する ことで、熊本でも藺草を生産する農家は激減していきました。今回は、こうした藺草産地の移動 や藺草農家の格闘の様子をたどりながら、戦後の日本農業がたどってきた道のりや、私たちの畳 に対する見方への影響についてお話ししました。

会場との質疑では、磯垣さんにお持ちいただいた七島藺、高級品の備後表、有職畳など、めず らしいものを見せてもらいながら、京都の文化財やお寺での畳事情、泥染めをする理由、京間と 関東間の違い、畳の硬さ、畳業界など、さまざまな話題が出ました。磯垣さんには、どの質問に も一生懸命答えていただき、最後に「どうぞ畳をよろしくお願いします」とおっしゃいました。

畳のよさを知り、畳の変容を見てこられた磯垣さんの畳に対する思いを感じた今回の嶋臺塾でし た。

第34回 京のたたずまい

日 時: 平成27年12月1日(火)午後6時~8時 洛中から: 「先斗町らしさを求めて」

植南 草一郎 氏(すきやきいろは 四代目)

京大から: 「町並み能き様に仕るへく候」

中嶋 節子 氏(人間・環境学研究科 教授)

司 会: 佐野 亘(地球環境学堂 教授)

協 力: 嶋臺(しまだい)

第34回は「京のたたずまい」と題し、京都の景観について考えました。最初にご登壇いただ いたのは、京都先斗町に大正の頃から店を構えておられる「すきやきいろは」の四代目 植南草 一郎さんで、先斗町の景観づくりについてお話しいただきました。

先斗町は、もともと花街として栄えたところでしたが、その景観をつくってきたお茶屋さんが 減って、歩く人も景観も変わってきました。特にバブル期のころから飲食店が増え始め、最近は、

家族連れや外国人観光客が歩き、東京などからの出店も多いようです。そうした中、先斗町らし

さが失われることを心配する声があがり、「先斗町まちづくり協議会」が発足しました。この協 議会は、京都市の条例に基づいてつくられたもので、新たに出店してくる人と話し合って、先斗 町らしさを損なわない店構えをお願いするのが本来の役割です。しかし、出店してくる人と先斗 町の人とで「先斗町らしさ」について大分理解が異なる、先斗町の人の間でも多かれ少なかれ違 う、先斗町らしさとは何かについて改めて考えようということで、いろいろな活動が始まったの だそうです。

植南さんは、先斗町での家業とは別に、建築家もやっておられ、大学でも教鞭をとっておられ ます。このため、協議会では「重宝される」そうで、まちづくりの中心となって活動されていま す。たとえば、昨年は、先斗町南北 600 メートルすべての建物の立体図や古地図、絵図を、近 くの小学校旧校舎に展示されました。その展示会は、ただ見るだけではなくて、訪れた人が、語 ってくれた思い出や誤記等の指摘を全部メモして地図に貼り付けていくなど、参加型の催しとな ったのだそうです。さらに、そうした記録は、スマートフォンのアプリを使って、実際の景観と 重ね合わせて表示できるようになっているそうです。

古い記憶をよみがえらせながら、新しい技術も取り入れながら、次世代の「先斗町らしさ」を 形作っていく。植南さんからは、そうした取り組みについてのお話しでした。 次に、人間・環 境学研究科の中嶋節子さんから京町家で形作られる京都の景観についてお話がありました。町家 が描かれた最古の絵画史料「年中行事絵巻」に始まり、さまざまな史料から、町家がどのように 生まれ、どのように変遷してきたかを解説いただきました。

そもそも、町家がどのように生まれてきたのかについては、諸説あるようで、大路の一部を占 拠したり、貴族の屋敷の塀や門にとりつく形でできたとか、長屋としてできた、あるいは一戸建 てとしてできた等々、いろいろ言われているようです。しかし、最も古い史料に、通り庭や土座 なども描かれており、建築様式としては、すでに平安末期に、今の町家と似た形態だったのだそ うです。

それが時代を経て、17世紀初頭、商人が非常に力を持っていた時期には、三階楼、二階蔵と いった、豪華な町家も現れるわけですが、17世紀半ば以降には、地味になり、その一方で洗練 されていきました。その理由としては、その頃幕府が、庶民の建築に口出しし、規制するように なったことや、建築技術が発達したり、千本格子などの建具や畳、角材などの規格化が進んだと いうのもあるのですが、中嶋さんは、それに「町(ちょう)並み」というのもあったと説かれま す。

当時は、「町」という強い自治組織ができた頃で、町式目とか町掟、町定めという成文化され た町内の法律もできました。その中に、家をつくるときは町の中で相談すべきだとか、「町並み 能き様に仕るへく候こと」という約束もあったようです。すでに、当時の旅行記などを読むと、

京都の景観が非常に整然とした町並みという記述もあるそうで、町(ちょう)並みが町(まち)

並みをつくったというお話でした。

質疑では、先斗町の電柱・電線を地下に埋めるべきか、かつて、町の取り決めと幕府の指示と ではどちらが優先されたのか、その中で、町の人が、何に怯え、何を守ろうとしていたのか、精 神的な部分はどうなのかといった、かなり踏み込んだ質問も出され、活発な意見が交わされまし た。

第35回 朽ちる美

日 時: 平成28年3月7日(月)午後6時~8時 洛中から: 「朽ちるを活かすデザインと暮らし」

山本 剛史 氏(グラフィックデザイナー)

京大から: 「土のつとめ」

真常 仁志(地球環境学堂 准教授)

司 会: 深町加津枝(地球環境学堂 准教授)

協 力: 嶋臺(しまだい)

第35回は、「朽ちる美」と題し、グラフィックデザイナーの山本剛史さんと、学堂の真常仁志 さんにお話しいただきました。地球環境にとって、「朽ちる」ということはとても大切なことで す。何年たっても安定して存在し続ける物質は、私たちの生活にとって便利かもしれませんが、

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