医学部が位置する星陵キャンパスでは、建物の崩落などの深刻な事 態はなく、人的被害も皆無でした。研究安全管理室(室長・張替秀郎 教授)の指導により、機器類の固定、薬品の保管等に地震対策を講じ ていたことが極めて有効でした。しかし、医学系研究科・医学部の多 くの分野では、震災により甚大な被害を受けました。すなわち、震災 とそれに伴う停電により多数の精密機器の損傷、及び二度と入手でき ない貴重な試料がすべて失われ、その被害は計りしれません。特に、
種々疾患の患者血液などの検体、摘出腫瘍組織、組織切片などの損失 は筆舌には尽くせない深刻なものです。しかし、このような逆境にも 関わらず、多くの教職員が、時に院生・学生達の協力を得ながら、沿 岸地域の津波被災者支援のために奮闘しました。ガソリンの入手にも 苦労する混乱の中、各分野はそれぞれの専門性を活かした支援活動を 展開しました。
医学系研究科の全分野の被災状況を把握するために、東日本大震災 記録集編集委員会は 2011 年 7 月にアンケート調査を実施しました。
提出された調査票の社会貢献に関する記述に基づき、本記録集に掲載 する活動を選択しました。その際、一般読者の代表として出版社企画 課のご意見を尊重しました。社会貢献あるいは被災者支援の観点から の選択であるため、臨床系分野が多くなっています。また、臨床系分 野は東北大学病院で診療を行っているため、臨床系分野の活動は東北 大学病院の活動でもあります。なお、紙面の都合で掲載できませんで したが、多くの分野が様々な支援活動に従事していることを付記しま す。本記録集で紹介できなかった医学系研究科・医学部の全分野の活 動を収録し、電子媒体として web 上で公開する予定です。(柴原茂樹)
災害時、医師の役目は負傷された被災者の方々の治療 に加え、現在受診中の患者さんの継続ケアであり、メディ カルスタッフと協力して、不足する資材、人材の中で出 来うる限りの医療行為が求められる。ところで、災害時、
医師にしか行えない悲しい役目がある。それは亡くなら れた方への検案業務である。それはある意味、医師に課 せられた最後の 「 医療 」 行為なのである。
医師は病院以外の場所で、既に死亡された人に対し、
死の確認に加え、亡くなられた原因や死亡時刻、傷の観 察などを行う必要がある。これを「検案」と称し、医師 法で規定されている。ヒトの死の証明は医師の発行する 死亡診断書や死体検案書が必要であり、これによって初 めて埋葬が可能となる。災害で亡くなられた方々に対し ても、当然ながら検案行為を行い,死体検案書を遺族に 渡さなければならない(身元不明の場合はとりあえず官 公庁が保管する)。
本震災では、現地の医療機関自体が大きな被害を受け、
そして他地域からの医療応援は当然ながら、負傷者・被 災者の診療を優先して投入された。一方で本震災では多 くの方々が津波によって亡くなられ、そして多数の遺体 が震災直後から発見されたことで、当初の検案システム はいとも簡単に機能不全に陥った。亡くなられた方々の 亡くなられた証明である死体検案書は、必ず医師自らが 遺体を検案した後、発行する決まりである。通常、検案 行為は地元の警察医(警察の嘱託を受けた開業医の先生 方)が行うが、前述の理由で余力を殆ど有していなかっ たことと、震災が広範囲に及んでいたため遺体収容場所 が複数箇所に分散されていたこと 、 更に多くの方々が亡 くなられたことから、とても少人数で対応できる状況で はなかった。
法医学教室所属の医師(被災時点で3名)は検案行為 に対応できるが、被災した教室自体の立て直し、ならび に司法解剖の継続の必要性から、マンパワー全てを検案 に割り振ることは不可能であった。他地区の医師会や法 医学会の助力は期待されたが、態勢の整う前の1週間前 後をどう乗り切るか、がポイントと考えられた。そこで 3月16日の教授会の折り、法医学教授の立場で、医師 である教室員の方々の検案支援をお願いした。余震も続 く中で派遣を危惧する意見も出されたが、そもそも被災 者の方々の多くはそこで暮らされている訳である。もち
遺体検案のボランティア活動について 舟山眞人
東北大学大学院医学系研究科法医学分野
ろん危険がゼロとは言えないことから、あくまでも差し 障りのない範囲でのボランティアということを強調した
(実際のところ、警察車両による現地派遣であり、それ なりの対応はされていた)。
その結果、早速翌日には医学系研究科及び東北大学病 院から複数の教員医師に名乗りをあげて頂き、下記の検 案支援を受けた。(実はその他にも複数の教授から自ら の検案支援の打診を受けたが、劣悪な現場環境であるこ と、加えてご自身の教室の建て直しに尽力されることが 必要と思われたことから止むを得ずお断りした。と同時 に、助けあう心を痛感し大変感激した)。
以下、宮城県警察本部検視係の記録をもとに、分野・
部名と遺体検案数を挙げる。なお、震災直後、県内に複 数の検案所が設けられ、その地域での遺体発見数と派遣 医師数(同場所に複数医師が派遣される場合がある)に は大きな隔たりがあったことから、遺体検案数は日・場 所によって大きな差が生じることになる。加えて検案手 順も検案場所に複数の医師が派遣された際、それぞれ各 自が検案書を発行する場合と、複数医師が協力し、一名 の遺体の検案を行う場合があり、後者の場合、統計上は 検案書発行者の医師名のみが検案数にカウントされてし まうことになる。
このように以下の統計はあくまでも検案書を発行した 医師による遺体検案数であり、実際はそれ以外にも血液 採取などの検案補助行為を精力的に行っているのであ る。
3月
18日 病理部 24体
神経病態制御学分野 1体 細胞生理学分野 11体 19日 病理部 17体
検査部 3体
泌尿器科学分野 2体 20日 病理部(2名) 45体 21日 病理部 検案書発行なし 25日 病理部 16体
計119体であった。
4月
4日 病理部 4体 21日 病理部 1体 22日 病理部 7体 計12体であった。
なお、法医学分野としては3月13日から5月17日ま での期間に検案支援を行い、3名の教室員医師で合わせ
て791体の遺体を検案した。3名の内訳はそれぞれ576 体(46日間)、123体(10日間)、92体(2日間)である。
その他、加齢医学研究所病態臓器構築研究分野からも2 名の医師が6日間で計80体の遺体検案を行い、東北大
学として合わせて1,002体の遺体検案を行った。
この章の最後に、お亡くなりになられた方々のご冥福 を心よりお祈りいたします。
遺体検案に携わって
石田和之
東北大学病院病理部
遺体検案の中で 林崎義映
東北大学大学院医学系研究科法医学分野 大地震により大津波が押し寄せ、沿岸部を中心として 多数の死者、行方不明者が明らかになるにつれ、病理 医にできることはないのか、との悶々とした想いを同 僚より打ち明けられた。そのような折に検案ボランティ アの話があり、希望したスタッフ3人が交代で参加でき るよう手はずを整えた。「後から考えると検案にでも行 けばよかった」と、阪神淡路大震災で被災した病理医の 言葉も背中を後押しした。
しかし、ご遺体に関わる機会の多い我々でさえ、検 案場所に入ると声を失った。バスケットボールコート2 面がとれる体育館には、足の踏み場がないほどのご遺体 が並び、そこには家族や知人を捜す方々、変わり果てた
姿での再会にむせび泣くご遺族もいた。片隅に立てられ た卓球台の陰で、検案は進められた。検案には四国など 遠方の警察も応援にかけつけ、また地元の若い警察官が 必死に手伝う姿や、自宅や職場が流されながらも検案に 通う地元の医師、歯科医師の姿もあり、頭が下がるばか りであった。
震災時に病理医として何をすべきなのか未だにわから ない。ただし、我々でさえも検案に関わらざるを得ない 状況が、今回の被害の大きさを物語っているのは間違い ないであろう。お亡くなりになられた方々のご冥福をお 祈りするとともに、行方不明の方々が一日も早くご家族 の元に帰れることを願ってやまない。
数ケ月後、声の様子からすると若い男性であろうか、
検案のことでと職場に電話があった。それはご家族から の御礼の言葉であった。
震災ののちに北は気仙沼から南は角田まで広く散ら ばる検案会場を巡ることとなったが、車上から眺める 沿岸部の凄惨な光景には、幾日が過ぎようとも慣れる ことがなかった。検案会場では、水や物資の不足から 満足に清拭もできなかったおびただしい数のご遺体(後 に清拭できるようになったのだが)に触れ、身元確認に 訪れるご遺族の泣き声を聴き、憔悴しきった警察官や地 域の方々と働き、胸が痛む毎日であった。
検案は、死因判断や死亡時刻推定、損傷判断ばかり でなく身体的特徴による身元確認も重要な視点である。
しかし今回のような津波を伴う大規模災害では、ご遺体 の数が非常に多く、そして遺体が死亡場所から遠く離れ
て発見されることがあり、整った環境で行う平時の検案 に比べてより難しさを感じた。この状況下で検案医は、
欠くべからざる役割を果たした事は確かである。しかし、
検案の現場でより苦労したのは遺体を搬送した自衛官や 消防士、海上保安官、あるいは自警団といった地元の方々 であり、そしてなんと言っても検視検案を混乱の中で必 死に進めた警察官であったと考える。悲しい作業である が、それでもなお必要とされる検案を粛々と実施できた のは、関係各位、多くの人間が力を併せた頑張りによる ものであった。
9月1日 現 在 の 警 察 庁 発 表 に よ れ ば, 全 国 で 死 者 15,759人・行方不明者4,382人、宮城県で死者9,435人・
行方不明者2,288人を数える。残念ながらこの災厄をな かったことにする術はない。検案に携わった一人として、
亡くなられた方々の冥福と、残されたご遺族が立ち直り 再び前へ進んでいくことを強く祈るものである。