ブロッホ方程式では緩和を減衰定数を用いて導入した。緩和現象はスピン系 が固体なら格子、液体なら回りの溶媒分子などと相互作用することにより生じ ると考えられる。もしスピンの運動が格子振動や溶媒の相互作用の時間スケー ルと同じ程度であるとするなら、格子や溶媒自体の運動の様相により、散逸の現 れ方も変わってくるであろう。格子振動や溶媒などの環境(熱浴)との相互作用 により磁場が揺らいでいると過程しよう。個々の分子におよぼす揺らぎの振る
t
P
(Ω;t)P
(Ω;t )P
(Ω;t )P
(Ω;0) 1 2Ω(t)
ߩ゠〔ߩࠨࡦࡊ࡞図3.3 Ω(t)の軌跡の集合と確率分布関数P(Ω;t)の時間発展の概念図
舞いは、最近の単分子分光の発展により直接観測することも可能である(I)。
Ω(t)が与えられたとするなら、この時のスピン系の運動は
H(t) =H+HI(Ω(t)) (3.66)
で記述されよう。HI(Ω(t))の形として、例えばz方向の揺らぎを考えるなら
HI(Ω(t)) = Ω(t)σZ (3.67)
と書ける。これは磁場を持つ周囲の分子や原子が、スピン系に近づいたり離れ たりすることにより、エネルギー準位が揺動している様を表すものと考えられ る。この時Ω(t)は外力として働き系から環境からスピン系へのエネルギー移動 はあるが逆はない(断熱揺動)。Ω(t)はスピン周囲の分子や原子などのアボガ ドロ数的相互作用の効果によるもので,正確にシミュレートすることは不可能 であるが,少数の摂動からなる効果による変異は統計法則(中心極限定理)に よりガウス的になるとことを用いれば,個々の相互作用を知ることなしに簡略 的に扱える.また,個々の相互作用が変化する大きさは,一般に系の変化する 時間より短く(時間の粗視化),その時間スケールでは相互作用(揺らぎ)は,
直前の変異と無相関であるように扱える.このように直前の過程の状態に,次 の状態が依存しない過程をマルコフ過程と呼ぶ.化学現象で問題になる環境と の相互作用は,中心極限定理と時間の粗視化の2つの条件を同時に満たされ,
ガウス・マルコフ過程によりよく記述される場合が多い.そこでここではこの ガウス・マルコフ過程を用いて環境の影響を取り入れることにしよう.
3.4 確率過程的リュウヴィル方程式 35
3.4.1 マルコフ過程と確率分布関数
図3.3にΩ(t)の幾つかの軌跡とその平均の概念図を示す.この図は個々の 軌跡は乱雑であるが,その平均は特定の分布となる事を示している.
ここで、は時間平均である。Ω(t)をあらわに与える代わりに、(??)式と 同じ関係式を満足する乱数の列(Ω1,Ω2,Ω3,· · ·)を生成できるなら、Ω(t)で規 定される時間発展と同じ時間発展をより簡素に記述できると期待される。これ が確率過程的理論の基礎となる考え方である。運動を確率過程的に議論する場 合、Ω(t)のかわり時間に依存しない確率変数Ωと、その出現割合を記述する 確率分布P(Ω, t)で規定され、Ω(t)の時間発展の効果はP(Ω, t)の時間発展を 用いて記述される。分布関数は図?のように,Ωの軌跡の集合平均と考えると 理解しやすいであろう.確率過程的理論で計算される量は,軌跡の平均に対応 した量である.確率分布関数は,マルコフ過程を考えるなら時間に関する1階 微分を含んだマルコフ方程式
∂
∂tP(Ω, t) = ˆΓP(Ω, t) (3.68)
により記述される.ここでΓˆはマルコフ演算子と呼ばれるもので,規定する確 率関数の分布に対応した様々な形のものが用いられる.今、確率変数Ωの時刻 tでの分布がP(Ω, t)であるとする。この場合、P(Ω, t)の時間発展を
∂
∂tP(Ω, t) =−ΓΩP(Ω, t) (3.69)
と書くことにする。但し、ΓΩはP(Ω, t)に作用する演算子を表す。この方程式 はマルコフ方程式と呼ばれ、Ωの時間発展が、現在のステップのみに依存し、
それよりも前の状態に依存しないことを表す。ここでは、例として、Two-state jump modelを用いてマルコフ方程式を書くことを考える。Ω(t)は±∆の2状 態をとるものとすれば、マルコフ方程式は
∂
∂tP(+∆, t) =−γP(+∆, t) +γP(−∆, t)
∂
∂tP(−∆, t) =γP(+∆, t)−γP(−∆, t) (3.70) となる。ここで、+∆、−∆それぞれの状態を(1,0)T、(0,1)Tと対応させれば、
上式は
∂
∂tP=−ΓP (3.71)
と書くことができる。但し、
P≡
P(+∆, t) P(−∆, t)
(3.72)
Γ≡γ
1 −1
−1 1
(3.73)
とした。
ここで、状態ベクトル|Ω)を導入し、以下のようにマルコフ方程式を書き 直す。
∂
∂tP(Ω, t) =−
Ω
(Ω|Γˆ|Ω)P(Ω, t) (3.74) Ωが連続変数とすれば上式は
∂
∂tP(Ω, t) =−γ(Ω)P(Ω, t) +
dΩ(Ω|Γˆ|Ω)P(Ω, t) (3.75) となる。ここで、
dΩP(Ω, t) = 1 (3.76)
γ(Ω) =
dΩ(Ω|Γ|Ω) (3.77)
を用いた。更に、r = Ω −Ω、w(Ω, r) = (Ω|Γˆ|Ω)とおけば、 Chapman-Kormogrov方程式
∂
∂tP(Ω, t) =−
drw(Ω, r)P(Ω, t)+
drw(Ω−r, r)P(Ω−r, t)(3.78) を得る。ここで関係式
e−γ∂q∂f(q) = ∞ n=0
(−γ)n n!
∂
∂q n
f(q) =f(q−r) (3.79) を用いることで、Chapman-Kormogrov方程式は
∂
∂tP(Ω, t) = −
drw(Ω, r)P(Ω, t) +
dr ∞ n=0
(−1)n n! rn
∂
∂Ω n
w(Ω, r)P(Ω, t)
= ∞ n=1
(−1)n n!
∂
∂Ω n
drrnw(Ω, r)P(Ω, t) (3.80)
となる。ここでn次のモーメントαn(Ω)を以下のように定義する。
αn(Ω) =
drrnw(Ω, r) (3.81)
3次以上のモーメントが0であることを仮定すると(ガウス過程を仮定すると)
eq.(3.80)はフォッカープランク方程式
∂
∂tP(Ω, t) =
− ∂
∂Ωα1(Ω) +1 2
∂2
∂Ω2α2(Ω)
P(Ω, t) (3.82) となる。P(Ω, t|Ω0, t0)をeq.(3.82)の解として、t=t+ ∆tとおいて展開し、
dΩΩP(Ω, t)、
dΩΩ2P(Ω, t)を計算すると
<∆Ω>
∆t =α1(Ω0) <(∆Ω)2>
∆t =α2(Ω0) (3.83)
3.4 確率過程的リュウヴィル方程式 37
となり、∂t∂ <Ω(t)>=−γ <Ω(t)>、∂t∂ <Ω2(t)>=α <Ω(t)>であるな らば
α1(Ω) =−γΩ α2(Ω) =α≡γ∆2 (3.84)
を得る。eq.(3.82)は更に書き直すことができて
∂
∂tP(Ω, t) =−γ ∂
∂Ω
∆2 ∂
∂Ω+ Ω
P(Ω, t)≡ −ΓΩP(Ω, t) (3.85) となる。平衡状態では、∂t∂P(Ω, t) = 0であるので、ΓΩP(Ω, t) = 0であり、こ の解は確かにガウス分布
Peq(Ω) = 1
√2π∆e−2∆2Ω2 (3.86)
となっている。
3.4.2 確率過程的リュービル方程式 ブロッホ方程式
S˙ =−iL(Ω(t))S (3.87)
で記述される物理系を考える。スピンの方向を確率変数とする確率密度関数 P(S, t)を導入すると、確率密度関数P(S, t)の時間発展は、ブロッホ方程式を 用いることにより
P(S, t+δt) =P(S−iL(Ω(t))δt, t) (3.88) であるから、
∂
∂tP(S, t) =− ∂
∂S S˙P(S, t)
=− ∂
∂S(−iL(Ω(t))P) (3.89) となる。ここでΩ(t)も確率変数とみなし、P(S,Ω, t)を導入すると、時間発展 はΓΩに従うから
∂
∂tP(S,Ω, t) =i ∂
∂S(−iL(Ω)P(S,Ω, t))−ΓΩP(S,Ω, t) (3.90) となる。
S(Ω, t) =
dSSP(S,Ω, t) (3.91)
とすると、eq.(3.90)はstochastic Liouville方程式
∂
∂tS(Ω, t) =−L(Ω)S(Ω, t) + ΓΩS(Ω, t) (3.92) となる。
ブロッホ方程式に対して、以上の議論を適用する。ω0が揺動しているとする とハミルトニアンは
H(t) =HA(t) + ¯hΩ(t)σz (3.93) と書ける。量子力学的リュービル方程式は
∂
∂tρ(t) = −i
¯
h[HA(t), ρ]−iΩ(t) [σz, ρ]
= −i
¯
hLA(t)ρ−iΩ(t)σ∗zρ (3.94)
である。但し、A∗ρ≡Aρ−ρAと書く。これを行列表示すれば
∂
∂tP(t) =−iLP(t)−iΩ(t)VP (3.95)
Ω(t)を確率変数Ωとすれば、行列表示された密度行列P(t)はP(Ω, t)と書く ことができ、その運動方程式は
∂
∂tP(Ω, t) =−i(L+ ΩV)P(Ω, t) + ΓP(Ω, t) (3.96) となる。ガウス・マルコフ過程を考えるから
Γ =−γ ∂
∂Ω
∆2 ∂
∂Ω+ Ω
(3.97)
であり、初期条件をP(Ω, t0) =P(t0)|0、但し|0=e−2∆2Ω2 /√
2π∆である。
ここでP(Ω, t) =e4∆2Ω2 P(Ω, t)として、b、b†を導入して書くと
∂
∂tP(Ω, t) =−i
L+ (b+b†)V
P(Ω, t)−γb†bP(Ω, t) (3.98) となる。b†bの固有関数|n >を導入し
P(Ω, t) =
Pn(t)|n > (3.99)
と展開し、eq.(3.98)に代入すると P˙n(t) =−i(L+nγ)Pn(t)−i ∆
√2VPn+1(t)−i√
2nVPn−1(t)(3.100) となる。Pn(t)に対し上記の3重対角の方程式を解いて求めた P0(t)が<
Ω(t)Ω(t) >= ∆2e−γ(t−t)の揺動をうけているスピン系の解となる。以下で はeq.(3.100)をラプラス変換を用いて解く。Pn(t)をラプラス変換したものを Pn(s)と書けばeq.(3.100)は
⎡
⎢⎢
⎢⎢
⎢⎣ P0(s) P1(s) P2(s)
...
⎤
⎥⎥
⎥⎥
⎥⎦
=
⎡
⎢⎢
⎢⎢
⎢⎢
⎢⎢
⎣
s+iL i√
2∆V 0 0 · · ·
i√∆
2V s+γ+iL i√
2∆V 0 · · · 0 i√2
2∆V s+ 2γ+iL i√
2∆V · · ·
0 0 i√3
2∆V s+ 3γ+iL · · ·
... ... ... ... ...
⎤
⎥⎥
⎥⎥
⎥⎥
⎥⎥
⎦
−1⎡
⎢⎢
⎢⎢
⎢⎣ P0(0) P1(0) P2(0)
...
⎤
⎥⎥
⎥⎥
⎥⎦ (3.101)
であり、P0(s)について解けば
3.4 確率過程的リュウヴィル方程式 39
P0(s) = 1
s+iL+Vs+γ+iL+V ∆2 2∆2
s+2γ+iL+V 3∆2
s+3γ+···VVVP0(0)
≡ 1
s+iL+ Γ(s)P0(0) (3.102)
となる。外場がない場合、自然放出緩和まで含めたiLは
iL=
⎡
⎢⎢
⎢⎢
⎢⎣
0 0 0 0
−2K 2K 0 0
0 0 −K−iω0 0
0 0 0 K+iω0
⎤
⎥⎥
⎥⎥
⎥⎦
(3.103)
であり、この時
(s+iL+ Γ(s))−1=
⎡
⎢⎢
⎢⎢
⎢⎣
1/s 0 0 0
0 1/(s+ 2K) 0 0
0 0 G+(s) 0
0 0 0 G−(s)
⎤
⎥⎥
⎥⎥
⎥⎦
(3.104)
但し、
G±(s) = 1
s+K±iω0+ ∆2
s+γ±iω0+s+2γ±iω2∆20 +···
(3.105)
である。ゆっくりとした揺動の極限では
G±(s) =
√2
∆ exp
(s+K±iω0)2 2∆2
Erfc
(s+K±iω0)
√2∆
≈ π
√2∆exp
(s+K±iω0)2 2∆2
(3.106) となる。但し、(s±iω0)/√
2∆<<1で、Erf c[(s+K±iω0)/√
2∆]≈π/2 を用いた。eq.(3.106)を見れば明らかなように、ガウス型の関数であることが 分かる。一方、早い揺動の場合γ = ∆2/γとして、γ >> ω0であるから
G±(s) = 1
s+K+γ±iω0 (3.107)
となり、ローレンツ型の関数であることが分かる。図3.4にスペクトル分布 I(ν) =|G−(iν)|2を揺動が早い場合、遅い場合それぞれについてプロットした ものを示す。これからも明らかなように、早い揺動がある場合スペクトル分布 はローレンツ型となり鋭いピークをもつようになる。一方、揺動が遅い場合、
ω0が分布していることに対応しているため不均一広がりをもつ系であり、ガウ ス分布を示すことがわかる。
[h]
ࠟ࠙ࠪࠕࡦ ࡠࡦ࠴ࠕࡦ
図3.4 スペクトル分布