第1節 米国における信託法の発展について
序説
英国において発達した信託(Trust)は、大西洋を渡り米国において より特異な発達をとげた。18世紀末には信託は米国において、一般的 に利用されるようになった。この頃は英国の信託制度も十分な発達を とげていたことから、事実上、米国の州大法官(state chance!lors)に より採用されており、初期の各州判例集をみると信託が訴訟にいたっ た多くの事例が記録されている。米国における近代信託(modern trust)は、学問の発達と共に異常な型で膨張し、米国衡平法(equity)
はそのほとんどが信託によって占められているといっても過言ではな い。米国における特殊な経済的社会事情の下に信託の引受を営業化し た信託会社が独特の発達をとげ、米国の金融経済上に偉大な貢献寄与 をなしている。したがって、米国の今日のような繁栄は実に信託とそ の類似制度のお蔭といえる。米国の現代信託は、英法系にあっても全 く異質なものとなりつつあり、実務的には統一的理解はでき得ないも のとなっている。極論するならば、英米信託法という表現は当を得な いものとなり、米国の信託法制は独自に米国信託法というのが適当と 考える。19世紀中頃までは米国の信託の設定は、英国と同じような形
式をとっていたが、信託の対象は、時代の進展とともに、伝統的な家 族間信託(fainlly trust)から近代的な業務的信託に転換していった.
さらに究極の目標として、問題のあるところであるが信託の理念自体 も公共化ないし社会化する趨勢にあるものと思料される。米国の信託 法源をさぐるとき、信託法が米国法律協会(The American Law Institute)により発行されたリステートメント(Restatement)のな かで拡大され、普遍化したことを注目しなければならない。米国の信 託制度は、いまや信託の類似制度の巨大な発展の渦中にあり、信託法 理の発達に伴い、受益者の保護、受託者の監督等の諸点から幾多の技 術的立法が要請され、また制定しつつある。一口に米国の信託法とい っても、膨大な法制に触れていかなければならず、しかも、過去にお いて、ルイジアナ州のようにフランス民法を踏襲した経緯のある州も あり、その素描すらも困難が伴なう。
第1項 米国における信託法の史的展開
衡平法(equlty)制度は、初期においてほとんどの米国居留民のなか で見出すことができた。しかし、それは克服しなければならない非常 に多くの反発があった。丁度、英国における場合と同様に衡平法は国 王大権(royal prerogative)と結び付きがあるため、用心深くみられる 時代があり、それは、東部13の植民地においては疑念をもってみられ ていた。ある植民地では、衡平法は国王総督(royal govemors)たち
により運用されていたので、このことは一層、疑念をひきたたせる傾 向にあった。その結果、衡平法の発展は、かなり手ごわいものがあり、
とくに、マサチューセッツやペンシルヴァニアではより顕著であった
,1)。しかし、結局のところ衡平法の制度は、受け入れられるように、2 なってきた。衡平法が一般的に受け入れられるようになるのに伴ない 信託(trust)も受け入れられるようになってきた。ともかく信託ぱ植 民地時代の米国において認められ、勿論、開拓者共同体において信託 を創設する機会は英国において程、多くはなかったが、徐々に判例集 のなかに信託を伴なうより多くの判決を見い出すことができる。米国 のなかでの古い共同体において、信託は社会的、経済的な制度のなか で非常に重要になってきていた。地方の新しい(階)層において、そ こではあまり富の蓄積はないし開拓者共同体のより多くの条件が存続 するのであるが、信託はかなり小さな役目を演じてきた。米国による 信託の発展に対する大きな貢献は、法人信託受託者の利用にある。英 国においては1743年まで、法務長官は、法人は受託者にはなり得ない と論陣を張った。しかし、Hardwicke大法官は、法務長官に対して、
法人が受託者になるということ程、明確なことは他にないと論述した。
法人に受託者としての権限に関する独特の許可を与えた合衆国での最 も初期の申立ては、1822年にニューヨークで設立認可されたとされる
「農…民火災保険貸付会社(Farmers,Firelnsurance&Loan Company)」のものであったようであるc3)。その時以来、信託を管理 する権限をもつ法人の創設は徐々に一般的になってきた。ここにいた
り連邦議会は、国法銀行が同じような権限をもてるように認可するこ とが必要であると認識した。法人の受託者は最初は米国における設立 であったが、その設立は他の国々にも拡がり、もっと保守的な信託法
の母国英国においてさえも、法人の受託者は一般的になってきていた。
合衆国において受託者の地位は専門化した傾向にある。英国において は、個人の受託者はその者の業務に対して信託証書の条件以外には、
いかなる報酬も受け取らない。しかしながら合衆国では、報酬を受け 取る。その結果は、より古い共同体では受託者として活動するのを職 業とする人を見い出すのはめずらしいことではない。信託の権限をも っ信託会社や銀行は勿論、専門的な受託者であるそれらは業務におい て信託を運営する。ある結果としてそれらが活発に業務を懇請するこ とになった。これは、英国において特有の状況であったこととは、大 変異った状況をもたらした。英国では事務弁護士(Solicltor)をも含め たが、自分の友人のうちの2、3人に自分の家族のために財産を管理す るというやっかいで感謝されない仕事を無理に引き受けさせる。信託 法は、制定法のなかにではなく裁判所の判決において大抵見い出され る。勿論、英国、合衆国の両方において信託法の種々の規制に対処す る多くの制定法があるが、そのほとんどが何が本来の信託投資である かというような特殊な質問に扱われる。英国においては、制定法はほ とんどの米国の州と比べてより意味の深いものである。たとえば、1925 年受託者法(Trustee Act)、41は多くの基礎事実(事柄)を扱う。しか
しながら、この受託者法は信託法の法典化にはかけはなれたものとい える。1908年、一つの法案が信託法の法典化のために国会に提出され た。起草者Walter Hartに註釈されたその法案の条項は、1909年に
出版されたHart s Digest of the Law of Ti usts に記載されている。そ
の法案は、1908年3月11日、選考委員会に付託され、1908年11月8 日、庶民院(House of Commons)に印刷を命じられた二つの特別な報 告をなしたが、それ以上のいかなる行動もなかった。問題は法典化に
はまだ機が熟していなかったと明確に感じられていた。しかし、英領 インドにおける信託法は1882年インド信託法(lndian Trusts Act,1882)、5において法典化された。同様の法典が1917年にセイロ
ンで制定された。信託法は、フ/一ルド(David Dudley)により起草 された16ニューヨーク州の実体法の法典のなかに包含された,7。た とえその法典がニューヨーク立法府により却下されても、カリフォル ニア[,)、モンタナ{g)、ノースダコタ(、・1、オクラハマ川・、サウスダ
コタ(12の各州において、それはある程度、変更され採択された。この 法典は、ある点においては裁判所の判決に、また、ある点においては、
1828年、信託法の重要な変更をなしたニューヨーク修正法に根拠を置 いていた(13)。この法典は、あまり満足のいくものではない。useとtrust に関するニューヨーク修正法の条項はあまり多くの点では効果があが らなかったが訴訟の顕著な処理原因となり、その法典が普通法を具体 化しようと試みる限りにおいては、あいまいにして不正確、且つ不完 全なものである。ジョージア州(14)でも、また信託法を包含する実体法 が法典化されていた。ルイジアナ州Cl5}では、普通法はその州のために 信託法を法典化し制定してきた。ルイジアナ州では、普通法ではなく 民事法に根拠を置く信託法は法典化の権限を欠如することは許されて いなかった。1920年に暫定の制定法が信託を認可する制定をした、その 制定法は後に廃止され、1938年には州議会がより以上の意義を含む制 定法を立法した。この制定法は広範囲にわたり信託のリステートメン ト(Restatement)cl{;1、統一信託収益法fl71(Uniform Principal and Income Act)、統一信託法〔181(uniform Trusts Act)に根ざしている、浪費 者信託(IY・(spendthrift trusts)についての規定は、Dean Griswoldに
より起草された典型的な制定法にゆだねられている,オクラハマ州に