物理学は以下に挙げる前提を暗に認めているように見える.
精神は物理現象に影響しない (1)
自然現象は必然性に基づいて説明され,自由意志は介入しない (2) 自然現象を統一的に説明する究極の原理が存在する (3)
自然は目的因に従っているのではない (4)
これらはSpinoza哲学・Spinoza描像と共通する,あるいは少なくとも相性の良い思想と言えよう.さらに第 1.2節で見たように,量子力学の非決定論的性格はSpinozaの汎神論と両立すると考えられる*19.
また一般に科学は次のような性格のものだろう.
• 単に世界がどうなっているかを記述し,価値や理想,目的に言及しない(象牙の塔).
• 本来は役に立てるためのものではなく,実用と無縁である.
– 技術はあくまで科学の副産物である.
– 一見すると科学の進歩のおかげで人間は自然を支配できるようになったと思える.
しかし科学の理解が進むとは人間が自然の一部を成し,
自然に支配されているのを知ることに他ならない.
• 科学の歴史的背景には人間臭い部分があるかもしれない.
しかしあくまで科学とは歴史的背景から切り離された理論体系を指すのであり,
科学そのものは純粋である.
7 物理学と形而上学 ( 周辺議論 )
■神経生理学的な見地からのLibetの示唆 Libetは神経活動と内面的経験との間の時間的関係に焦点を当て,
心身の関係や自由意志の有無といった問題に科学的にアプローチしてきた.科学的な真理とは蓋然的なもので あるため(第6.1節参照)こうした形而上学的な問題に決着をつけることは不可能であると考えられるけれど
も,Libetが示唆することは興味深い.そこでLibetの見解を以下にまとめる[23].
• 刺激が意識に上る,すなわちアウェアネス(気づき)を生み出すには 脳の適切な活性化が最大で約0.5秒続くことが必要であり,
このためアウェアネスは実際に刺激が与えられた時点からかなりの時間遅延する.
– アウェアネスが意識に現れる前に,
他の入力によって経験内容が変更・歪曲されるのに必要な生理学的時間は十分にある.
– 内面的経験は刺激が起きた時点まで,自動的,無意識的,かつ主観的に逆行して遡及するため,
主観的にはアウェアネスの遅延に気付かない.
• 無意識に進行する精神活動(興味を惹いたもののみ).
– 車の前に少年が飛び出してきたことを自覚する前にブレーキを踏んでいること.
– 数学者が一旦,意識的な思考を中止すると解法の発見に繋がること.
– 創造的なアイデアが夢や空想の中に現れること.
– 発声,発話(告白),作文.
– 楽器の演奏,歌唱.
– 野球でバッターが無意識にボールのコースを感知しスイングするかの決断をすること.
ピッチャーが投げたボールが自分に届くまでに意識的にこのようなことをする時間はない.
• 自由で自発的な運動に至る準備の起動は脳内で無意識に始まっており,
「今,動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりも
*19Spinozaの自然観を決定論的と捉え,これを信じていたEinsteinは「神はサイコロをふらない」と言って量子力学の非決定論的
性格を認めようとしなかった.
およそ400ミリ秒かそれ以上先行している.
– しかし無意識の脳活動によって開始されつつある運動行為を,
意識を伴った意志は実行または「拒否」する余地がある.
■第6章の特徴(1),(2)について:Newtonの運動方程式の解釈 Newtonの運動方程式F =maは力(force)F が物体を加速させるという因果律を表している.F は自由意志(free will)のfではない.
■第6章の特徴(2)について:自由の名を冠した物理用語 物理学でも慣習的に自由という言葉が用いられる.
自由ベクトル,自由落下,自由粒子,自由場,系の自由度,平均自由行程,自由電子,自由エネルギーなど枚 挙に遑がない.
自由研究で物理をやった者はある意味で 不自由の研究 をしたことになるだろう.
■第6章の特徴(3)について:万物の理論と神即自然の相違,物理学帝国主義とその表面的な困難 物理学に おける万物の理論はSpinozaの神即自然と似て非なる概念である.万物の理論とは,全く近似を含まずあらゆ る現象が例外なくそれに従う,自然界の最も根源的な究極の原理のことである.理論物理学者の大栗によれば
「そもそも物理学では,自然界は整合性のある一組の基本法則に支配されていると想定して」おり[24],これ は万物の理論への言及と取れよう.なるほど万物の理論はSpinozaの神即自然によく似ている.しかし,万物 の理論があくまで現象を説明する概念であるのに対して神即自然はそれを体現する実在である:
神即自然
{理由↔万物の理論 原因
ここで原理的にはあらゆる現象が万物の理論に従っているとしても,実際に全ての自然法則が万物の理論か ら直接導けるとは限らないことを断っておこう.例えば,メダカは水流と逆向きに泳ぐ性質があるという法則 を考える.このときメダカが水流に逆らっていると判断される状態を実現する微粒子の配置と速度の組合せは 無数に存在する.このように物理的レベルで多重実現される諸法則を物理の法則に還元することは困難であ
る[21, pp.67–70].そして万物の理論から直接導かれない法則には例外が認められよう.
■第6章の特徴(4)について:変分原理と因果律 科学における説明は通常,目的因を持ち出さないと考えら れる.例えば食べ物を消化するために胃があると説明するのではなく,胃があるから食べ物を消化できると説 明される.これに反し,物理学における変分原理が目的論に陥っているのではないかという疑惑をここで取り 上げよう.変分原理の例として,幾何光学におけるFermatの原理を考える.これによれば与えられた空間の 1点からもう1点へ至る光は移動の所要時間を最小にする経路を通る.これは光が所要時間を最小にするとい う目的を持って振る舞っているという印象を与え得る.
意味のレベルで変分原理を目的論から救うには,光が意識を持ち道を選ぶ行為者であるという描写を捨て去 ればよい.実際,ある1点から出た光は自分がもう1点を通過する初期条件を満たしているか知らないので ある.
一方,抽象的だが厳密な方法でも変分原理は因果律と矛盾しないことが示される.Hamiltonの最小作用原 理を例にとれば,ここからLagrange方程式が導かれ,正則なLagrangianで記述される系に対しこれは一般 化加速度について解くことができる[25, 26].これはNewtonの運動方程式と同様,数値的に解くことができ る形だから,古典的因果律は満たされている.
さらに古典的な極限で最小作用原理を再現する(非相対論的)量子力学のメカニズムは,目的論とは無関係 である.そのメカニズムとは,粒子の遷移振幅がFeynmanの経路積分で与えられることである[27].