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流末溝田遺跡…

ドキュメント内 東九州道12.indd (ページ 168-200)

 

1)概要 

 流末溝田遺跡は行橋パーキングエリア建設予定地の東端に位置する。用地内にある農業用水路か ら用水を引くために調査区を横断するように塩ビ管が埋設されている状態であった。このため調査 区は 7 つの区画に分断される事となり、便宜上、北からⅠ区~Ⅳ区に分けて調査を行った。実際に 調査を行ったのは路線図に見えるⅡ区~Ⅳ区と表記している箇所である。

 Ⅱ区ではピット状の遺構が多数あり、遺物も確認できた。しかし、住居跡や生活跡の痕跡とは考 えられなかった。

 2 号土坑は当初、一つの長楕円形の遺構と考えて掘削を行った。長軸を基準に半裁し、土層を確 認したところ 3 つのピット状遺構が切り合って居ることがわかった。このため土坑ではなく、それ ぞれ単体のピットとして取り扱うことした。このため遺構実測図の掲載はしていないが、遺物の報 告は 2 号土坑として行う。

 Ⅲ区においてもⅡ区同様にピット状遺構と遺物が多数確認されているが、住居等を想定できる物 はなかった。調査区東側では不整形な溝状の落ち込み(SX01)があり、遺物が多量に出土している。

表土剥ぎの際に若干剥ぎ取ってしまっている。この遺構はⅣ区でもにも続いている。

 Ⅳ区は北側の調査区よりは遺構や遺物の密度が希薄になっている。ここより南は遺構の広がりは 期待できないと考える。調査区東側(用地外)へ遺跡が広がっている可能性はある。

 ピットが多数検出されたが住居址など遺構となるものは確認されなかった。

 平成 20 年 5 月 11 日から重機を投入し、1 区の調査を開始した。表土を除去した段階で遺構や遺 物が確認できず、調査区東側にトレンチを設けてさらに下層を確認した。青灰色の砂層で湧水して きたため、これから下層では遺構は望めないと判断した。このため 1 区では確認調査のみとなった。

さらに 1 区の南側の区画においても確認調査を行ったが、遺構・遺物は確認できなかった。5 月 14 日からⅡ区の表土剥ぎを開始した。Ⅱ区では耕作土と下層の褐色土を除去したところで黒褐色土と 黄灰色土の遺構を確認した。表土剥ぎと同時に作業員による検出・掘削作業を行っていった。調査 が梅雨時期であり、農繁期のため用水路に常に水が流れている状態であったため、雨と用水路から 滲み出る水により作業中は常に水中ポンプを稼動しなければならず、夜の間に調査区が水没してし まうが排水場所がないことや排水に毎日半日近く費やすなど悪条件が重なり、調査は困難であった。

Ⅱ区の表土剥ぎを終えるとⅢ区 ・ Ⅳ区も先行して表土剥ぎを行っていった。7 月 2 日にローリング タワーでの全景写真を撮り、7 月 6 日に測量を終えてⅡ区の調査を終了した。引き続きⅢ区の調査 を開始した。7 月 13 日には連日降り続いた大雨により調査区から水があふれる寸前となり、ポン プ数台での排水に 3 日ほど要した。8 月 2 日に SX01 の掘削を開始し、多量の縄文土器を確認した。

8 月 27 日に高所作業車により全景写真を撮影した。9 月 2 日にバックホーで下層確認のためトレン チを入れるが、遺構等は確認できなかったためⅢ区の調査を終了し、Ⅳ区の調査を開始した。9 月 30 日には掘削がほぼ終了し、10 月 6 日にローリングタワーで全景写真を撮影して流末溝田遺跡の 調査を終了した。

20m 0

X +78 090

X +78 070

X +78 050

SX01

土2 土1土1

Ⅱ区

Y −3 620 Y −3 640

Ⅲ区

Ⅳ区

試堀トレンチ トレンチ

第 113 図 流末溝田遺跡遺構配置図 (1/400)

158 159

 2)遺構と遺物 土坑

 1 号土坑(第 114 図)

 Ⅱ区中央東側で検出した遺構。南北約 120㎝、東西約 60㎝、深さ約 40㎝を測る。床面はほぼ水 平で壁の立ち上がりは急である。上層の黒褐色土には縄文土器が含まれていたが、小片であり図化 に堪えなかった。この黒褐色土は上面の一部のみに堆積しており、これより下層からは遺物の出土 はない。このため時期は不明である。

2 号土坑(第 113 図)

 Ⅱ区南側で検出した。当初土坑として調査を行ったが、経過の中で複数のピットが切りあったも のと判明した。このため実測図は割愛し、出土遺物のみ取り上げた。

出土遺物(第 133 図)

 8 は石錘である(第 133 図)。両側面に抉りを施し、抉り部を作り出す。緑色片岩製。23 は磨製 石斧である(第 133 図)。全体に横方向の粗い研磨を施し成形する。特に基部側の研磨が粗い。蛇 紋岩製。

SX

SX01(図版 61、第 113 図)

 Ⅲ・Ⅳ区で検出した。Ⅳ区では 16 mにわたって遺構の続きと思われる落ちが確認できるが、東 側は不明瞭で推定の域をでない。また遺物のほとんどがⅢ区に集中していることから遺構実測図は

Ⅲ区のみの掲載とした。

 幅約6m、深さ約 10 ~ 20㎝の溝状の遺構である。黒色土が全体的に薄く堆積していた。本来、

遺構配置図に記した破線のラインから堆積が見られたが、表土剥ぎの際に遺構に気づかず重機で掘 削してしまった。遺構の淵は直線的でなく、蛇行している。遺構北側において縄文土器や石斧など の石製品がまとまって出土した。このほかからの出土はほとんどない。遺構は浅いが、後世に削平 されている形跡はない。重機で掘削したことも考慮しても深さは 20 ~ 30㎝と見られる。意図的に 形成された溝ではなく自然流路のようなものと思 われる。遺物が一箇所に集中しているが、流れ込 みによるものか廃棄されたものかは判然としない が、遺物が表面にまばらにあることから流れ込み の可能性が強い。

出土遺物(第 117 ~ 135 図、図版 62 ~ 65)

 深鉢は体部が砲弾形になるものと、上半部で逆 く字形に屈曲するものがある。また、5・7・32 のように体部に明確な屈曲が認められず口縁部が 緩く外反するものもみられる。

2m

7.1m 2 1

3 4

7.1m

0 1 黒 褐 色 土(縄 文 土 器 2 灰褐色粘質土片含む)

  黄 褐 色 黒 褐 色 ブ ロック含む 3 黄褐色粘質土   灰褐色がわずかに入る 4 暗灰褐色粘土   3をわずかに含む

第 114 図  1 号土坑実測図(1/60)

4m

0

B

A

第 115 図  SX01 実測図(1/80)

160 161

2m

7.0m B´

B

7.0m A

0

1

2 4

41 A

B

3 2

4 1 黒褐色土(粘土)  土器含む2 黒褐色土  1よりもザラザラ、  炭・土器含む3 黄褐色粘土 炭を少し含む4 黄褐色粘土 炭はない(地山)

第 116 図 SX01 遺物出土状況(1/40)

 1~ 19 は口縁部に刻みをもたないもの。1~4砲弾形になるもので、1・3のように口縁端部 が面をなすものと2・4のように丸く収めるものがある。4は器壁が厚い。外面の凹凸が著しく作 りの粗い個体である。調整は、外面は下から上へタテ方向にケズリ様のナデ(条痕)をおこなった 後、下から斜め上方への工具ナデを行う。内面は半時計まわりの横位のケズリ様の工具ナデ。5~

12・14 ~ 19 は体部が屈曲するもの。13 は口縁端部を外反させて丸く収める。砲弾形となるか。14 は図上復元では浅いタイプとなるが傾きに不安が残る。いずれも内外面に条痕が残る。

10cm 0

1

2

3

4

第 117 図 SX01 出土土器実測図①(1/3)

162 163

20cm 0

5

6

7

8

9

第 118 図 SX01 出土土器実測図②(1/3)

0

10

11

12

13

20cm

第 119 図 SX01 出土土器実測図③(1/3)

164 165

0 20cm

16 15 14

第 120 図 SX01 出土土器実測図④(1/3)

 20 ~ 32 は口縁端部に二枚貝押圧による刻み目を入れるもの。口縁部が直立するものと外反する ものがあり、前者は砲弾形、後者は体部で屈曲する形になるか。20 には径 4mm の孔が2ヶ所に、

22 は径3mm の孔が 1.4 ~ 1.6cm のほぼ等間隔で5ヶ所に、26 には径 5mm の孔が3ヶ所に残る。

32 は球形の体部に外反する口縁を有するもの。体部下半が被熱により赤変している。復元口径 25.8cm、残存高 23.4cm を測る。20・22 ~ 24 は内面がナデ調整で、それ以外は内外面ともに条痕 が残る。30 は浅めの鉢形となる。内面の調整はミガキ。33 ~ 36 も口縁端部に二枚貝による刻み目 を入れるが、突帯状に肥厚させている。37 ~ 40 は口縁部よりやや下位に1条の刻目突帯をもつも の。外反するものと内傾するものがみられる。41 は口縁端部を外反させて端部を丸く収める如意 形口縁の甕に近いタイプである。42 ~ 52 は口縁上端面と口縁部やや下位の凸帯に二箇所に刻目を もつもの。49・55 は波上口縁の頂部に刳り込みがある。52 は突帯を持たないが、二箇所に刻み目 を入れる。54 は口縁部外面とその下位にともに指頭圧痕による施文を行う。いずれも内外面とも

0 20cm

19 18 17

第 121 図 SX01 出土土器実測図⑤(1/3)

166 167

10cm 0

20

21

22

23 24

25

26

27 28

29

30

第 122 図 SX01 出土土器実測図⑥(1/3)

に条痕が残る。6・31・37・40・49・50・51・55 は波状口縁。法量は復元口径 21.6cm ~ 39.0cm。

56 ~ 58 は胴部片で、屈曲部に刻み目を入れる。内面はナデ調整。59・60 は底部。底径は 11.6cm・

14.0cm。

 61 ~ 66 は外面に鋭利なヘラ状工具先による文様を施す。62 は口縁端部に刻み目を入れる。65 は体部の屈曲部よりやや上位に二条の沈線をめぐらせ、その上位に文様を描く。61 ~ 66 はいずれ も胎土が比較的精良で、微砂粒を多く含む。色調は暗黄灰色~黄灰色を呈する。西部瀬戸内地域か らの搬入品である可能性もある。66 は「×」状のヘラ描きがあるが、胎土も他の文様を有する個 体とは異なり粗めの砂粒を多く含んでいる。

 浅鉢は大半が精製で、ミガキを施す。器形は胴部から屈曲して口縁部が短く開くもの(67 ~ 77・81 ~ 89 など)、体部で屈曲して口縁部が大きく開く平口縁(78・79)などがある。前者では 74・75・85 のように屈曲部が明瞭なものと、84 のように丸みを帯びるものとがある。また、後者 のうち 92・93 は口縁端部に刻み目を入れ、波状口縁となる。74 は口縁部にリボン状突起の一部が

0 20cm

32 31

第 123 図 SX01 出土土器実測図⑦(1/3)

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