Ia.想定される作用機序
Bogdanffy らは、鼻粘膜の呼吸上皮および嗅上皮における酢酸ビニルの代謝により、細胞内 H+の
局所濃度が上昇するため、組織の酸性化が生じることを想定した。この pH 低下により、毒性、
萎縮、変性、その後の修復性過形成をもたらす。動物の寿命の大幅な期間に過形成の活性化刺激 を受けることにより、変異および腫瘍形成の確率が上昇する。この仮説では、変異原性の 1つで
ある DNA-タンパク質クロスリンクをもたらす物質として、アセトアルデヒドが細胞毒性の役割
にわずかに寄与することを強調している。「自然突然変異およびアセトアルデヒド誘発性の DNA-タンパク質クロスリンク(DPX)が誘発する十分な遺伝子損傷により、嗅部が変性し増殖亢進状 態となり、最終的には酢酸ビニル高濃度下で新生物への形質転換に進行する」と記述された
(Bogdanffy and Plowchalk, 2001)。その後、その作用機序に関する考察はわずかに変更された
(Bogdanffy, 2002, Hinderliter et al., 2005)。細胞内酸性化は、酸性化により誘発される鼻の呼吸上 皮の分裂促進的な細胞増殖、および酸性化により誘発される嗅上皮における細胞毒性を有する細 胞増殖など、なお一連の反応のきわめて重要なステップと考えられた。
Ib.仮説に伴う重要事象
ステップ1:吸入から細胞毒性まで:
- 代謝酵素活性(Table 4.1.2.8.HおよびTable 4.1.2.8.I):
酢酸ビニルを酢酸およびアセトアルデヒドに加水分解し、アセトアルデヒドをさらに酸化して酢 酸にする原因酵素は、カルボキシルエステラーゼおよびアルデヒドデヒドロゲナーゼである
(4.1.2.1参照)。原則として、双方ともラット鼻腔の呼吸上皮および嗅上皮に認められた(Bogdanffy et al., 1986, 1987, 1998, 1999a)。
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85/121 カルボキシルエステラーゼ
組織ホモジネート、および p-ニトロフェニル酪酸を用いて測定したカルボキシルエステラーゼ活 性に関する初期データから、酢酸ビニルの毒性作用に対し嗅上皮の感受性の方が高いのは、嗅上 皮の加水分解酵素活性が6倍高いことに起因し得ると指摘された(Bogdanffy et al., 1987)。この結 果は組織ホモジネートにおいて確認され、嗅上皮におけるカルボキシルエステラーゼを介した酢 酸ビニルの加水分解作用が、呼吸上皮より高いことが確認された(タンパク質含量に関しては 4
~7倍)(Bogdanffy and Taylor, 1993)。Kmは、嗅上皮と呼吸上皮とで同じ低濃度の範囲にあった。
ラット鼻甲介由来の組織外植片またはヒト由来無処置鼻組織切片について、in vitroガス取り込み 法を用いたデータによるエステラーゼ活性は、組織ホモジネートにみられた活性よりはるかに低 いことが示された。上皮の体積を算出に考慮すると、ラットでは(嗅部と呼吸部の)双方で同程 度のエステラーゼ活性が認められ、ヒトでは呼吸上皮の方がはるかに高い活性であることが明ら かにされた(Bogdanffy et al., 1998)。
ヒト鼻組織のカルボキシルエステラーゼ活性データは少ない。Mainwaring et al.(2001)は、嗅部 と呼吸部のミクロソーム間のカルボキシルエステラーゼ活性(基質としてメタクリル酸メチルを 使用)の比がラットとヒトとで類似していることを発見した。ラットとヒト双方のエステラーゼ 活性は、嗅部のミクロソームで約3倍高かったが、これは、嗅部のミクロソームの活性が2倍高 いとしたBogdanffy et al.(1999a)の報告と一致する。呼吸部のミクロソームについてMainwaring
et al.(2001)は、ラットの活性がヒト試料より4倍高いと評価した。ラット嗅部のS9-mixの活性
は、ヒト起源の嗅部のS9-mixよりはるかに高かった(24倍)。肝細胞において、カルボキシルエ ステラーゼ活性がサイトゾルでも同定されている(Tabata et al., 2004)ことが示すとおり、いくつ かのカルボキシルエステラーゼ活性がミクロソーム外に存在し得るが、嗅部および呼吸部のミク ロソームまたはS9-mixのVが低値であることから、ヒト鼻組織の加水分解活性はラットに比べ低 いことが示され得る。
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基質としてα-ナフチル酪酸を用いた場合、同程度の酵素親和性において、ラット鼻組織ホモジネ ート(すべての領域からプール、領域は同定されず)のカルボキシルエステラーゼ活性が、ポリ ープ組織(正常組織の酵素活性を代表しないと考えられ、過形成上皮では発現低下、Lewis et al., 1994も参照)由来のヒト呼吸上皮に比べ35倍超高いことも報告された(Mattes and Mattes, 1992)。
p-ニトロフェニル酪酸は、ラット鼻の α-ナフチル酪酸エステラーゼの競合的基質であることが示
されたが、ヒトの α-ナフチル酪酸エステラーゼには影響を与えず、ラットとヒトのカルボキシル エステラーゼの基質特異性に差があることが示された。組織の選択による限界があるため、本予 備的研究は、ラットの有意に高い酵素活性の裏付けと解釈されるにすぎないと考えられる。
肝ミクロソームのカルボキシルエステラーゼは、外因性化合物により誘導可能である(Satoh and Hosokawa, 1995)。このことを鼻上皮細胞について考慮できたかは不明である。
アルデヒドデヒドロゲナーゼ
特異的なアルデヒドデヒドロゲナーゼ活性は、呼吸粘膜由来の組織ホモジネートの方が嗅粘膜由 来のホモジネートより2倍超高い(Stanek and Morris, 1999)。細胞体積について調整後、ラット呼 吸上皮細胞のアルデヒドデヒドロゲナーゼ活性は、ヒトの3倍高かった(Bogdanffy et al., 1998)。
ラット鼻組織では2種類のアルデヒドデヒドロゲナーゼが同定された。Kmが高い方のアイソザイ ムの作用は、呼吸粘膜において嗅粘膜の5~8倍高かった(細胞体積に対する標準化はされず)が、
Kmが低い方のアルデヒドデヒドロゲナーゼのアイソザイムは、両部位において同程度の低い活性 であった(Casanova-Schmitz et al., 1984)。
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87/121 - 上部消化管の各種細胞型における酵素活性の局在性:
カルボキシルエステラーゼ
ラット嗅上皮のカルボキシルエステラーゼは、組織化学的(Bogdanffy et al., 1987)および免疫組 織化学的(Lewis et al., 1994)に嗅上皮のボーマン腺、ボーマン腺管、支持細胞に最も顕著に局在 し、基底細胞、神経感覚細胞、およびそれを覆う粘液にはなかった。支持細胞の細胞質の先端部
(核上)および基底部は、カルボキシルエステラーゼに対する免疫反応が強かった(Olson et al., 1993)。細胞内のカルボキシルエステラーゼの正確な位置は、鼻粘膜細胞では未だ同定されていな い。それ以外の多くの組織では、哺乳類多重遺伝子族由来のカルボキシルエステラーゼは、主に 小胞体に局在していた(Potter et al., 1998, Satoh and Hosokawa, 1995)。ラット支持細胞の核上部に 著しく多い小胞体にはP450酵素が局在し(Farbman, 1992)、カルボキシルエステラーゼが(他の 組織と同様に)本細胞種の小胞体にも関連し得ることが示唆される(Satoh and Hosokawa, 1995)。
神経細胞のカルボキシルエステラーゼ酵素活性がないことと併せると、このことから、支持細胞 は酢酸ビニルの代謝に関与していることが示される。
呼吸上皮では、各種上皮細胞型(線毛上皮細胞および立方細胞>非線毛細胞)が、免疫組織化学染 色により強度~中等度のカルボキシルエステラーゼ活性を示した。杯細胞および粘膜下の漿粘液 腺は、陰性または軽度の染色を示した。その上を覆う粘液は陰性で、低い免疫反応性と一致した。
呼吸上皮基底細胞のカルボキシルエステラーゼ活性は、Bogdanffy et al.(1987)により軽度~中等 度であることが報告され、Lewis et al.(1994)およびOlson et al.(1993)により活性なしまたは軽 度の免疫反応性であることが明らかにされた。In situ免疫染色および鼻洗浄液の活性測定により、
粘液に起因するカルボキシルエステラーゼの存在は確認できなかった。鼻洗浄液のカルボキシル エステラーゼ活性のVmax値は0.134 μmol/分/mgで、鼻の呼吸粘膜ホモジネートに認められた活性 より160倍低く、嗅部よりはるかに低かった(Bogdanffy et al., 1999a)。
ラットと同様に、ヒトのカルボキシルエステラーゼの免疫反応性は、正常な呼吸粘膜の線毛細胞 および分泌細胞に広く及び、一部の上皮下腺は陽性でもあった(Lewis et al., 1994)。切片は患者8 名(女性7名、非喫煙者7名)に由来し、試料全体では、正常な呼吸上皮から過形成性の局所炎 症、およびカルボキシルエステラーゼの免疫染色が全くない扁平上皮過形成まで大きなばらつき を示した。嗅部試料のカルボキシルエステラーゼ(免疫染色)の局在性に関するヒトデータは得 られなかった。
鼻粘膜細胞における酵素の活性、分布、および細胞質局在性に関する観察結果をみると、カルボ キシルエステラーゼは鼻上皮の細胞膜に結合または包埋され、細胞質に入る前に毒物除去の防御 機構として機能し得るという Bogdanffy の仮説は支持されない。嗅上皮におけるカルボキシルエ ステラーゼの主要部位である支持細胞については、哺乳類種の分泌機能の証拠がない(Farbman, 1992)。カルボキシルエステラーゼは粘液中にないことが示すとおり、酢酸ビニル摂取に対し予備 的な加水分解は生じない。