査と,痕跡復原編年法を用いた様式による年代推定と,棟札や部材墨書・古記録による建築年代と,
伝承その他の建築年代に関わる情報の示す時期は当然一致するべきである。本論文で報告した 3 棟 の民家以外にも,旧土肥家本家住宅・分家住宅(44)(国営常陸海浜公園)や重文三木家住宅(45),重文古井 家住宅(46),重文旧尾形家住宅(47),重文旧泉家住宅(48),重文箱木家住宅(49),など,これまでに行ってきた他の 民家で一致する事例は多い。しかし,14C 年代調査で得られた年代がそれまでの推定建築年代と齟 齬をきたした事例もある。重文吉原家住宅(50)の場合,14C 年代調査結果と様式年代とは一致するが,
文献による年代とは一致しなかった。文献の年代は,現在の建物の建築年代ではなく,前身建物の 建築年代だったと考えられる。この場合,建築様式による年代と文献年代が異なっていたが,14C 年代調査結果が建築様式による年代観を裏付けた。
彦部家住宅で見たように,民家は開口部の形式や構造の発達の程度などを指標に,地域的な編年 表を作成して建築年代観を得るが,近世初頭以前や地域により類例の少ない場合,建築年代を推定 するのは困難であり,複数の見解が出されていずれとも判断できないこともある。このようなケー スにおいて,14C 年代調査はとても有効であった。そして,茂木家住宅棟持柱の実年代や,次に述 べる編年研究における編年指標の有効性など民家研究に重要な知見をもたらした。
以上より,床上部正面柱間 6 間のうち 1 間が引違,1 間が格子窓,4 間が土壁と閉鎖的な 17 世紀 初めの関家住宅から,床上部正面柱間 5 間半のうち半間が引込戸,4 間が引違,1 間が土壁と開放 的な 17 世紀後期の中崎家住宅まで,床上部分の開口が進んでゆく様子が分かる。
この観点から彦部家住宅を見てゆくと,オモテザシキ正面は 2 間半の 2 つ割りの土間側が引違,
上手側が格子窓となる。オクザシキの正面側 2 間は下手側が半間の袖壁に半間の板戸を引き込み,
上手側 1 間は土壁となる。床上正面の開口は関家よりは進んでいるが,旧大沢家住宅よりも閉鎖的 であることが分かる。14C 年代調査で考察した 1660 年頃は床上正面開口の程度による年代観ともよ く合致するといえよう(54)。彦部家住宅においては床上正面開口の程度を指標とする編年が14C 年代調 査からも有効であることが示された。
4.3
14C 年代調査の住宅調査における意義
住宅建築の14C 年代調査は民家のそれとは大きく様相が異なる。日本建築史では,貴族の寝殿造 や武家の書院造の住まいを住宅とし,庶民の住まいである民家(農家住宅)や町家を住居として区 別している。寝殿造の遺構は現存しないが,書院造は中世から近世初頭の時期に形式が完成し,江 戸期を通じて貴族・武士住居や寺院庫裏や客殿,公的施設の客座敷に用いられた。
住宅建築は民家とは異なり,建築や改造にかかわる記録伝承が豊富である。本来住宅は人の住ま いであるから,住み手の社会的基盤や生活様式が変化すると,住まいとしての機能を失うため,消 滅してゆくべき性質の建築である。この点は神社や寺院などの宗教建築と大きく異なる。それでも 今日まで残されてきた住宅建築は,偉人や著名人の記念あるいは宗教組織の由緒として維持されて きた場合が多い。そういった価値を持つ住宅建築の年代調査はいきおい件の著名人との関連を実証 する目的を持つ場合が多い。14C 年代調査では,建築年代あるいは当初部材の伐採年が著名人の在 世や居住時期との関連を否定しない,という結果以上は導き出せないが,それだけでも年代調査の 意義はある。高山寺石水院は高僧明恵上人,古今伝授の間は細川幽斎と八条宮智仁親王の故事,萬 福寺天真院客殿は鉄眼上人との縁が伝承されてきており,高山寺石水院と古今伝授の間の14C 年代 調査はそれを否定しない結果となった。一方,14C 年代調査は著名人の在世や居住時期,求められ る年代よりもずっと新しい時期に建築されたことを明らかにすることによって著名人との関連や求 められる建築年代を否定することができる。棲雲寺庫裏の場合,現在の建物は記録された文禄元年 建立ではなく,18 世紀初頭の建築と判明したが,これは解体修理による建築調査の結果とも合致 していた。しかし,14C 年代調査した部材の製材時削除年輪数が不明で,かつ柱材 1 部材のみの調 査なので,可能であれば表皮に近い部分が残存していると思われる梁など野物材を追加調査する ことで,より確かな結果を得ることができると考える。この調査対象となる部材について次に述 べる。
4.4
14C 年代調査に適した部材 ・・・ 民家と住宅について木材側の条件
民家と住宅では用いられる用材の樹種や木取の方法が異なる。そのことが14C 年代調査の成果を 大きく左右する。
古建築の年代調査で成果をあげるためには,14C 年代調査に適した建築部材を選択しなければな
らない。14C 年代調査で得られるのは部材最外層年輪の年代であるから,建築年代を知りたい場合,
当初建築時に伐採されて使用された部材が選択される必要がある。しかもその当初材に表皮あるい は表皮に隣接した年輪層(形成層に接した木部外周,ノタと呼ばれる)が残存していれば,最外層 の年代は伐採年となる。しかし伐採ののち長期に保存された用材なら伐採年と建築年はおおきく隔 たることになってしまう。すなわち,最外層年輪の年代と伐採年,伐採年と建築年が関連付けられ なければならない。だから14C 年代調査には建築を構成する何百もの部材の中から転用痕跡の無い 当初材を選び出すための痕跡復原建築調査は不可欠である。
14C 年代調査に適した建築部材の条件すなわち表皮の有無や年輪数などの木材側からと,建築に 際して伐採され用いられたという建築側からの2つの条件について,民家と住宅の場合を述べる。
まず木材側からの条件として,表皮や表皮に近い年輪層の残された部材であることが重要である。
部材の元の樹木が伐採などによって成長を止めた年の年輪は形成層を挟んで表皮に隣接している。
表皮や表皮隣接層が部材に残されていれば,その年代は樹木の生命活動停止年である。それが伐採 年であるなら,そして伐採後数年以内に当該建物の建設に用いられたとしたら,部材最外層の年代 を建築年代に関連付けることができる。
樹心から遠く表面に近い部分は辺材(白太)
と呼ばれる。辺材は細胞の生命活動は終了して いるが,含水量も多く虫害や風化が進行しがち なため,製材時に落されることが多い。部材最 外層の白太は,元の樹木が生命活動を停止した 年代に近い年代と考えられるので,この辺材が 残されている材は14C 年代調査に適する部材で ある(図 44 の A)。
庶民住居である民家の場合,年輪幅が大きく年輪数の少ない 芯持ち材(図 44 の C)の用いられていることが多い。図 43 は 彦部家住宅の長押断面写真である。この長押は,33mm の白太 を持つアカマツ材で,木口面は 76mm / 13 年輪,平均年輪幅 は 5.8mm,製材時の削除分は数年程度と推定される。14C 年代 法は,年代決定の精度を上げるためには年輪数が多いに越した ことは無いが,年輪数が 1 年輪でも測定可能なので,年輪年代 法や酸素同位体比年代法と異なり年輪数の少ない部材にも適応 可能で,この長押のような年輪数の少ない芯持ち材で,白太の 残る部材やノタ(55)がついている部材は年代調査に適している。ま た,白太やノタがすべて落とされていたとしても,年輪幅が 5mm 以上と大きい場合,落とされた部分に含まれる年輪数は 少ないと推定できるので,部材最外年輪の年代は伐採年に関連 付けることができる。また,寸法の大きい部材は心材いっぱい に木取されている可能性があり,その最外層年代は生命活動停
図 43 重文彦部家住宅 長押断面
芯持ち材,総年輪数 13,辺材 6 年輪程度
図 44 柱の木取
A:白太の残る四方柾/年代○
B:白太の無い四方柾/年代×
C:白太の無い芯持ち/年代△
D:面皮柱/年代○
A B
C D
止年に関連付けられる可能性がある。
寺院や上層住宅に使われるヒノキやスギの四方柾に木取された用材に比べて建築用材としての品 質は劣るが,14C 年代調査には民家で使われる芯持ち材やノタ付材が好都合である。居室の柱や敷居・
鴨居などたいてい辺材は落とされてしまっているが,芯持ち材の角は辺材に近い部分と推定できる。
特に年輪幅の大きいスギや広葉樹なら,製材時に落とされた辺材部分に含まれていた年輪数は僅か と推測できる。すなわち年輪幅の大きい芯持ち材の最外層年代は伐採年と近い年代と考えることが できる(図 44 - C)。
一方,住宅の場合は民家とは異なり,使われている用材が上質の場合が多い。針葉樹・広葉樹を 問わず,樹木は年代を経ると,すでに活動を終えた樹心の細胞に樹脂を満たす。この部分は赤身(心 材)と呼ばれ,褐色や赤茶色など樹脂で着色され,強度が大きいので建築構造材として有用である。
年輪が密で白太を除去された赤身材は,製材時に削られた白太の年輪数が推測できないため,自然 科学的な年代調査には不適である(図 44 の B)
天真院客殿では,四方柾の目の詰まったツガの柱材を年代試料とした。図 44 - B にあたる木取 の用材だった。当初建築時の用材であっても,木取りと製材のために年輪の外側が大量に削り取ら れてしまっているので,得られた部材最外層年代を建築年に結び付けることは困難だった。ただ,
目の詰まったツガ材のため,製材時削除分が数センチメートルとしてもそこに数十年含まれている と想定して最外年輪年代 1649 〜 1670 年に加算すると,鉄眼禅師が造営した延宝期(1673 〜 1681 年)
よりは,普請願書の出された正徳期(1711 〜 1716 年)の妥当性が高いと思われる。14C 年代調査 を始め自然科学的年代調査は,部材に残された木材のそれぞれの年輪が形成された年代を調べるこ とはできるので,一番外側の年輪(部材最外年輪層)の形成年を調査することは可能であるが,製 材などによって失われた部分は調べようがない。
しかし住宅部材のうち,白い木肌を生かした化粧材や,表皮をつけたままの面皮柱(図 44 - D)
なら,表皮に近い部分の年輪が確保できる。面皮柱は角が丸太の皮付きの面を残しているスギやヒ ノキの芯持ち柱で,茶室や数寄屋風座敷に意匠として用いられる。古今伝授の間では面皮柱の年代 調査を行った。年輪数が少なく,材表面の汚染もあり,ウィグルマッチ法を用いることができなかっ たため絞り込みが不十分で,15 世紀後半から 16 世紀前半と 16 世紀末期から 17 世紀初頭の 2 つの 年代が得られた。面皮柱の使用は草庵風茶室成立以降と考えられるので,15 世紀の年代は排除でき,
16 世紀末から 17 世紀初頭の年代を選択し,古今伝授の間の建築年代を推定することができた。
棲雲寺庫裏では,当初柱のツガ材(棲雲寺 2,棲雲寺 3)は辺材が確認できず,該当する歴史記 録も無く,得られた 17 世紀前期の年代を建築年代と関連付けることができなかった。一方,マツ の瓜剝材の当初梁とシイの土間柱は 17 世紀後半の年代が得られ,修理工事の際の建築調査の知見 と合致した。棲雲寺庫裏は寺院庫裏であるから建物種別は住宅であるが,土間部分には近世民家の 要素を多分に持っている。シイの土間柱は年輪幅の大きい芯持ち材で,辺材は落とされていたが,
最外年輪層から表皮までは数年程度と思われる。瓜剝の梁も同様に最外年輪層から表皮までは数年 程度と思われ,得られた年代と建築年代を関連づけることができた。住宅建築も小屋には表皮の付 いた材や,表皮を剝いたままの木部外周面が残された用材が多くみられる。梁によく用いられるマ ツ材や,いわゆる雑木と呼ばれる広葉樹の場合,年輪幅が大きいなら辺材には数年あるいはせいぜ