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力を解 き放

2・3ポイント低下してい

ま す

︒年齢別

に は

65

歳未

満のすべての階層で低下す

る一 方

65

歳以上

で は 上

昇するという際立った傾向

が 読 み取 れま

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上 図

︶︒

種類別

には〝

ウォ

ーキ

ング

軽い体操〟が

35

・ 2

% と 最

も高く︑以下〝ボウリング〟︑

〝水泳〟︑〝器具を使ったト

レーニング〟︑〝ジョギング・マラソン〟︑〝登山・ハイキング〟︑〝サイクリング〟︵以

下略

︶と

続き ま す

︒こ

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年前

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行動者率

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の他は軒並み低下しています︒

健康管理

ため

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呼べ

そ う な

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が 上 昇 し

︑ 球技

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︑競技性

が 高 く

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めら

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のが低下するという傾向が表れています︒

少子高齢社会

を 迎 え

︑こ

の 傾向 は 今 後 も 続く と 考 え ら

れま

︒こ

こか

何が浮かび上がるでしょうか︒ジョギングやランニングは孤独な営みです︒例

えば3万人規模のマラソン大会であれば︑イベントとしての盛り上がりや一

体感

とは

裏腹 に

︑3

人の

孤 独

なラ

ンナ

ーが

︑決

めら

れた

コー

スを

時間内 に

走れるよう計算し︑練習します︒そして当日は自身の体調と相談し︑身体

大阪ガス(株) エネルギー・文化研究所

所長

木全 吉彦

ス ポ ー ツ の 底力を

クオ リ テ ィ ・ オブ

・ ソ サ エ テ ィ の

向上 に 活 か す

CEL

71 Mar. 2013 Vol.103 CEL Mar. 2013 Vol.103 CEL 70

0 20 40 60 80 100

10〜 15〜 20〜 25〜 30〜 35〜 40〜 45〜 50〜 55〜 60〜 65〜 70〜 75 (歳)

(%)

「スポーツ」の年齢階級別行動者率

「スポーツ」の年齢階級別行動者率

2011年

2006年

(出所)総務省・平成23年

   社会生活基本調査データより作成

Mar. 2013 Vol.103 CEL 82 83 Mar. 2013 Vol.103 CEL

中世の皇帝の食卓を描いたスケッチ

中 世 の 食 卓 と「 カトラリー 」

洗 練 され 始 めた 中 世 の 食 卓

見 せ る た め の 料 理

著 者

    Dr. Ingrid Haslinger 

山下満智子

(大阪ガス㈱エネルギー・文化研究所)

、宇野佳子 第15 回

(イングリット・ハスリンガー)

宇 野 佳 子 筑波大学大学院修士 課程地域研究研究科 ヨーロッパ研究修了。

専門分野は言語文化。

ウィーンに生まれる。

ハプスブルク家宮廷の儀式や テーブルマナー、銀器食器類 を研究。1987年『帝国のテー ブル文化』1998年『シシーの 食卓』2001年原著を執筆。

南ドイツ地方の飲み物用の器とセンターピース(16世紀)

貴金属や宝石で作られたセンターピース イタリア・ウルビーノのマジョリカ焼きの食器

と木製の皿(16世紀初めから半ばごろ)

マジョリカ焼きの飲み物用の器

84 Mar. 2013 Vol.103 CEL 85 Mar. 2013 Vol.103 CEL

写真・文

   太 田 順 一

7

太田 順一順一(おおた(おおおお ・じゅん・じゅんいち)じゅんいち)いち)

19509550年奈良奈良県生ま県生まれ。早 れ。早れ。早稲田大稲田大学政学政 治経済

治経済学部中学部中退。大退。大退 阪写真阪写真写真専門学専門学専門学

(現・

ビジュビジュアルアアルアアルアーツ専ーツ専門学校門学校学校 大阪大阪阪) 卒業。

卒業

卒業 1212回写真回写真の会賞の会賞、日本、日本写真協 写真協写真協 会賞第

会賞第11回作家回作家回作家賞、第賞、第3434回伊奈回伊奈奈信男信男 賞受賞

賞受賞。主な。主な写真集写真集真集は、は、『大阪ウ大阪ウウチナーチナー ンチュ

ンチュ』(ブ(ブレーンレーンセンタセンター)ー)『ハン『ハン センセン 病療養

病療養所 百百年の居年の居場所』場所』(解放(解放出版社出版社)

『群集

『群集のまちのまち』(ブ(ブ レーンレーンセンタセンター)ー)『父『父 の日記

の日記』(ブレーンレーンセンタセンター)なー)など。著ど。著ど。 に『ぼ

くは写くは写真家に真家になるなる(岩(岩波書店波書店) 太田 順一(おおた・じゅんいち)

1950年奈良県生まれ。早稲田大学政 治経済学部中退。大阪写真専門学校

(現・ビジュアルアーツ専門学校 大阪)

卒業。第12回写真の会賞、日本写真協 会賞第1回作家賞、第34回伊奈信男 賞受賞。主な写真集は、『大阪ウチナー ンチュ』(ブレーンセンター)『ハンセン 病療養所 百年の居場所』(解放出版社)

『群集のまち』(ブレーンセンター)『父 の日記』(ブレーンセンター)など。著書 に『ぼくは写真家になる!』(岩波書店)

10代の若い人たちは農業をどう見ているのだろう―― それを知りたくて、大阪府立農芸高等学学校(堺市三原区)を訪ねた。

9万平方メートルもの広い敷地に田畑や果樹園、牛舎豚舎、食品加工加工所などいろんな施設が並ぶ。ここでは普通校のよう な座学ではなく、く、 体を体を体を体を動か動か動かして の実践が主体体である。モットーは「は「校内と校外との両方で生徒を育てる」こと。だから野菜を 朝市で販売したり、移、移移動動動動動動物園を幼稚園でひらいらいらいいたりと、若者若者たちは積極的に街に出て農業を通じて社会とふれあっていた。

10代の若い人たちは農業をどう見ているのだろう―― それを知りたくて、大阪府立農芸高等学校(堺市三原区)を訪ねた。

9万平方メートルもの広い敷地に田畑や果樹園、牛舎豚舎、食品加工所などいろんな施設が並ぶ。ここでは普通校のよう な座学ではなく、体を動かしての実践が主体である。モットーは「校内と校外との両方で生徒を育てる」こと。だから野菜を 朝市で販売したり、移動動物園を幼稚園でひらいたりと、若者たちは積極的に街に出て農業を通じて社会とふれあっていた。

農芸祭でのトントンレース。順位を当てるとお菓子がもらえる

80 Mar. 2013 Vol.103 CEL 87 Mar. 2013 Vol.103 CEL

7

商標登録してある「農芸ポーク」の販売実習(泉北高島屋)

「資源動物科」養豚班。豚肉の解体実習

「ハイテク農芸科」作物部。トラクターの耕運実習

「資源動物科」酪農班

「食品加工科」製菓食品部。

店を借り切ってスイーツ、

パン、コーヒーの一日カフェ をひらく(堺市・泉北三原台)

「食品加工科」応用微生物部。みそづくり

豚舎での餌やり

88 Mar. 2013 Vol.103 CEL 89 Mar. 2013 Vol.103 CEL

■ アジアの中での日本の位置

東 南ア ジ ア シ ベ リ ア( 狩 猟 ・ 採 集 ) モ ン ゴ ル

【 牧 畜 】 【 非 牧 畜 】

雑穀

麦作

華  

東  

華  

華  

北  

南  

日  

稲  

農  

■ 食事の構成概念図

食 事

炊いた米

副 食 物

おかず

熱 量 55.0%

      %11.7 10.6  その他   % 雑穀

その他

ヒエ 22.7%

タンパク質 38.6%

14.3%

17.3%

3.7%

その他雑穀 豆類

その他 魚・獣類3.9%

ヒエ 22.7%

■ 『斐太後風土記』の食品の      熱量とタンパク質

■ 世界の主要料理圏

インド 料理圏 ヨーロッパ 料理圏

中国料理圏 ペルシャ・アラブ

料理圏

 文化を持った人間を他の動物と区別する言い

方がいろいろとあります

︒例えば

﹁ 人間は言葉

を使う動物である﹂︑また﹁人間は道具を作り︑

使う動物である

﹂とも言います

︒私はこのほか

に︑人間の食の文化における特徴から︑次の2

つの言い方を加えたいと思います︒

 まず﹁人間は料理をする動物である﹂︒もちろ

ん﹁料理﹂の定義は文化によって異なりますが︑

特に火を使って料理をするのは︑動物には一切

ないもので︑非常に人間らしい行動と言えます︒

もうひとつは

﹁ 人間は共食をする動物であ

る﹂︒動物でも︑親が子に食べさせることはあり

ますが︑成長すると自分で餌を探し︑見つけた

ものが食べるのが原則︒一方︑人間はどの民族

でも分かち合って食べるのが一般的で︑その基 Naomichi Ishige

本的な集団が家族だと言えます︒人間の家族は

食と性をめぐって成立した集団です︒女性には

妊娠期間や子育てがあり︑狩りをするのは男た

ちの仕事︒仕留めた獲物を持ち帰って︑それを

家族に食べさせる︒つまり分かち合いながら食

べる︒そうなると︑強い者が独り占めしないよう

に分配のルールが生まれ︑それが後の食事作法

の出発点になっただろうと思われます︒

 その後︑新石器時代から人間は農耕と牧畜に

より食料の生産を始めます︒さらに時代が過ぎ︑

食の視点からは︑やがていくつかの料理文明圏

というようなものが形成されます︒それがヨー

ロッパ︑ペルシャ・アラブ︑インド︑中国の4つで︑

他の地域にも大きな影響を与えました︒

 ペルシャ・アラブ料理圏は︑西アジア︑古代ペ

ルシャに始まって︑その上にイスラムのアラブ 文化︑そこにトルコ料理が重なる︒インド料理圏

は︑カレーに象徴されるような料理︒東南アジア

には︑インド料理がさまざまなスパイスを使う

ことなどでまず影響を与え︑近世になると華僑

が進出し︑中国料理圏の象徴である箸を使う地

域も広がります︒ 

 このとき︑日本を取り巻くアジア全体の様相

を大まかに捉えておくとこうなります︒まず︑北

のシベリアは寒冷で農業ができない

︒昔

は狩

猟・採集の生活︒モンゴルから中央アジア︑西ア

ジア一帯は乾燥気候で砂漠も多く︑牧畜が主で

した︒少し南になると︑インドの北方は麦作と粟

や黍などの雑穀で︑ベンガル平野や南部に行く

と稲作地帯︒中国は東北や華北は雑穀と麦作で︑

南の揚子江流域などは稲作︒東南アジアも稲作

地帯︒朝鮮半島では︑北部は伝統的には雑穀で︑

南部は稲作︒その中で︑日本は北海道以外はずっ

と稲作を行ってきました︒

 日本人が考える食事は︑伝統的にご飯とおか

ずの2つから構成されます︒また︑我々は食事の ことを﹁ご飯﹂と言いますが︑

炊いたお米が食事と同じ意

味で使われています︒隣の

中国では︑華北の饅頭や粟

飯もあり︑必ずしも主食は

米ではないのですが︑食事

はやはり主食の﹁飯﹂とおか

ずの﹁菜﹂からなり︑食事は

﹁喫飯﹂と言います︒同様に︑

タイ語やジャワ語でも︑ご飯とおかずの両方が

揃って食事になり︑米の飯を指す言葉が食事に

あたります︒これは稲作民族に共通する伝統的

な食事観だと言えるでしょう︒

 ではなぜ︑ご飯が食事の中心として考えられる

ようになったのか︒私の大先輩で︑食物史を総合

的に研究された篠田統さんはこう言います︒タン

パク質の元になる必須アミノ酸は人体では合成

できないので︑食べ物として摂らないといけな

い︒それがお米の中にはたくさん含まれており︑

たいへんバランスが良い食品であるからだと︒

 篠田さんはおもしろい計算をしています︒ビタ

ミンやミネラルなど必須の微量成分はひとまず

おいて︑もし人間が主食だけを食べて生きようと

したらどうなるか︒体重

60キロの男性では

︑計算

上は1日6・5合のご飯でエネルギーとタンパク

質は補給できるそうです︒極端な話ですが︑昔の

お百姓さんは農繁期に一升飯を食べたと言われ ます︒一方︑パンだけで生きようとすると︑1日

6斤は必要︒これは胃袋に収まらない︒そこでパ

ン食の民族では乳や肉を原料とする食品が食卓

に置かれるのです︒結局︑稲作圏に暮らす人々に

は︑米は文字通り主食だったということです︒

 ﹁斐太後風土記﹂は︑明治2年から5年にかけ

て︑今の岐阜県の飛騨の国全域の戸数︑人口︑米

の石高︑作物量や魚のとれ高などを村ごとに細

かく記録したものです︒明治といっても江戸か

ら続く生活︒この資料をもとに︑昔︑国立民族学

博物館で私の同僚だった小山修三さんがエネル

ギーの計算をしています︒結果は︑飛騨の国で生

産された食料から︑人が得られるエネルギーの

90%

は穀物からで︑米が

55・

︑ヒ

22・

石 毛 直 道

国立民族学博物館名誉教授

              

  

        

       

  まんとう

          おさむ               

         きょうしょく

              

   

  ひ

    

石毛直道氏の最初の著書

『食生活を探検する』1969年

第一部 

米食と日本人

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