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第 3 章 ピッツェッティの答え――歌劇《フェードラ》

3.1 台本

3.1.1 歌劇台本と原作戯曲の関係

この歌劇の台本は、すでに文学作品として存在していたダンヌンツィオの戯曲作品 から主要な詩句を抜粋することによって構成されている。その限りにおいてこの歌劇は、

19

世紀末からあらわれる文学オペラ

Literaturoper

136 に分類される。

とはいえ、その原作戯曲の題材を提案したのは実質的にはピッツェッティであった。

1908

11

4

日、作曲家が詩人のもとを訪れて歌曲《牧人たち》を演奏して聞かせ、

さらにエウリピデス

Ευριπίδης(前 480

-

406

頃)の悲劇『ヒッポリュトス

Ἱππόλυτος』

に基づく歌劇の計画 137を打ち明けたところ、詩人は自分がまず戯曲を執筆するので次

136 文学オペラとは、単に文学作品を原作とする歌劇のことではなく、もともと歌劇台本として書かれたのではない 戯曲や小説などの文学作品を必要に応じて短縮しながら作曲した歌劇のことをいう。この種の歌劇は、ワーグナー 以降、優れた文学作品を歌劇に取り込もうとする動きが広がる中で生まれてきたとされる。例えば、クロード・ドビュッ シー Claude Debussy (1862-1918)作曲の歌劇《ペレアスとメリザンド Pelléas et Mélisande》(1902)は、モーリス・メ ーテルリンク Maurice Maeterlinck(1862-1949)の同題戯曲をほぼそのまま利用している。また、リッカルド・ザンドナ ーイ Riccardo Zandonai(1883-1944)作曲の歌劇《フランチェスカ・ダ・リミニ Francesca da Rimini》(1914)は、編集 者ティート・リコルディ Tito Ricordi (1865-1933)がダンヌンツィオによる同題の悲劇を短縮して作成した台本に基 づく。次を参照。三ヶ尻正「文学オペラ」、『オペラ事典』 戸口幸策・森田学監修(東京:東京堂出版、2013 年)、388 頁; Julian Buddenm, “Literaturoper,” in Grove Music Online. Oxford Music Online, accessed October 18, 2013.

<http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/O902843>.

137 ピッツェッティの計画のうち、ダンヌンツィオに採用されたのは題材のみである。作曲家はこの時点までに自ら筋 書きをまとめたうえで同郷の詩人かつ作曲家マリオ・シルヴァーニMario Silvani(1884-1913)に韻文化させているが、

その草稿にみられる韻律の特徴や内容は現行の歌劇台本にほとんど影響を与えていない。現在フィレンツェ国立中 央図書館に収蔵されているこの台本草稿は、全3幕の構想のうち第1幕までタイプライターで清書されており、その うえにさらなる推敲が作曲家自身による赤鉛筆の筆跡でほどこされている。それをみるかぎり、韻律は強い句跨りを 含んでおらず、また内容はせいぜいエウリピデスの悲劇の前半からアプロディーテーを排除したものにとどまってお り、劇作法上の工夫や登場人物の独創性はダンヌンツィオによる戯曲および歌劇台本には及ばない。 Ildebrando

62

にそれに作曲するよう促した138。こうして、詩人は

1908

12

月から翌

1909

2

月ま で作業を続けてその戯曲を完成させ、同年

4

月にそれをミラノのテアトロ・リーリコで初 演した139

こうしてつくられた原作戯曲

3221

行から、詩人は作曲家と話し合いながら

1394

行を 抜粋して歌劇台本を構成していった。そのため、歌劇台本は原作戯曲からふたつの特 徴を受け継ぐことになった。それは両者の共通点からわかる。

第一の共通点は形式に関わっており、とくに韻律にあらわれている。

各幕は、それぞれの内部に場面転換を含まず、あるいは

18-19

世紀の歌劇における レチタティーヴォとアリアの交代のように劇の流れを分断する区切りを持たない。むしろ、

一幕ごとに、一定の場所で一定の時間帯に起きた出来事を、切れ目なく表現している。

これを可能にしているのが詩句の構成である。実際、各幕は、すべて無韻の

11

音節 詩句と

7

音節詩句の自由な交代によって満たされている。つまり伝統的にレチタティー ヴォに用いられてきた韻律形式で一貫している。しかし

1

詩句が複数の登場人物によ って受け持たれる箇所はもちろんのこととしても、きわめて強い 句跨りアンジャンブマンがたいへん豊 富に含まれていることに留意しなければならない。極端な場合では、文頭の疑問詞

che

91

】や、前置詞

da

と定冠詞

la

の結合形

dalla

917

】が、詩句冒頭ではなく詩句末 尾に置かれることすらある。こうして、伝統的な詩句の定型が全体にわたって採用され ているにも拘わらず、統語論上の区切り(「文」「節」)が韻律学上の区切り(「行」)を大 きく超え出ているので、登場人物の発話は韻文の定まった周期的なリズムから頻繁に 逸脱しながら散文的調子に限りなく近づいている。

第二の共通点はおおまかな内容に関わる。とくに中心的題材とその前史である。

中心的題材は、ギリシャ神話におけるフェードラ〔パイドラー〕の物語である。そのあら

Pizzetti, Fedra, la minuta del libretto dall’Ippolito di Euripide, conservata nella Biblioteca Nazionale Centrale di Firenze: Fondo Pizzetti 19.

138 Ildebrando Pizzetti, “Fedra. Memorie e appunti del musicista per la biografia del poeta,” Scenario VII/4 (aprile 1938): 199. ただし日付についてはその回想録に記載されていないため、次を参照した。 Bruno Pizzetti, Ildebrando Pizzetti: Cronologia e Biografia (Parma: Pillotta, 1980), p. 65.

139 Annamaria Andreoli, “Note e notizie sui testi” in Gabriele d’Annunzio, Tragedie, sogni e misteri, Vol. II (Mondadori: Milano, 2013), p. 1585.

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すじは次の通りである。かつてクレタ〔クレーテー〕の王女であったがいまはアテネ〔アテ ーナイ〕王テーセオ〔テーセウス〕の後妻である彼女は、前妻の子イッポーリト〔ヒッポリ ュトス〕をひそかに愛しており、夫のいないあいだに誘惑しようとしたが失敗してしまった ので、逆にその義理の息子から乱暴されたとうそをついて、帰ってきた夫に義理の息子 を呪い殺させ、自らも死ぬ。

以上のような基本の物語のなかに、ダンヌンツィオは、伝統的な前史からばかりでは なく別の物語からの糸をも織り込んで、複雑かつ巧妙な人間模様をつくりあげている。

伝統的な前史とは、テーセオによるミノターウロ〔ミーノータウロス〕退治からフェード ラの恋へつながる物語系である。すなわち、クレタの王ミノッセ〔ミーノース〕は、アテネ

〔アテーナイ〕の王エジェーオ〔アイゲウス〕に対し、戦勝の見返りとして、

9

年に

1

度、若 い男女を

7

人ずつ生贄として要求した。それは、ミノッセの妻パジーファエ〔パーシパエ ー〕が白牛と交わって産んだ半人半牛の子ミノターウロのためだった。

3

度目のとき、エ ジェーオの子テーセオは、その人身御供に紛れてクレタへやってくると、名工デーダロ

〔ダイダロス〕の迷宮へ入り、その奥深くに隠されていたミノターウロを殺し、アリアドネ

〔アリアドネー〕の助言にしたがって持っていた糸をたどって、無事に戻ってきた 140。そし て彼は、クレタを発つにあたってアリアドネとその妹フェードラを連れ出したが、前者をナ ッソ〔ナクソス〕島に置き去って、後者をアテネへ連れて帰って後妻とした。そしてあると きフェードラは、トレゼーネ〔トロイゼーン〕にて、夫の前妻であるアマッヅォネ〔アマゾー ン〕族の女王アンティーオペ〔アンティオペー〕の子イッポーリトに出会う。ここまでは、エ ウリピデスの他、ルキウス・アンナエウス・セネカ

Lucius Annaeus Seneca (

1

-65

)、

ジャン・バティスト・ラシーヌ

Jean Baptiste Racine

1639-1699

)らの悲劇における前史 と共通している。

新たに加えられたもうひとつの前史は、エディポ〔オイディプース〕を起点とする物語 系である。すなわち、テーベの王エディポが、知らずとはいえ父を殺して母を妻としてし まった自らを見出し、退位するとともに自らの両眼を潰して放浪の人となって国を去っ た 141。そこで

2

人の息子が交代でテーベを治めることになったが、あるとき一方のエテ オークレ〔エテオクレース〕が取り決めに反して統治を交代しなかったので、他方のポリ

140 オウィディウス『変身物語(上)』中村善也訳、東京:岩波書店、1981年、315頁。

141 ソポクレス「オイディプス王」高津春繁訳、『ギリシア悲劇 II ソポクレス』 東京:筑摩書房、1986 年、301~374 頁。

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ニーチェ〔ポリュネイケース〕は不満を抱いてアルゴ〔アルゴス〕の王アドラースト〔アドラ ーストス〕のもとへ赴いて、遠征軍を起こし、テーベの

7

つの門を攻めて死闘を繰り広げ た 142。このときアルゴの

7

将は戦死し、勝利したテーベによって見せしめとしてこの都 市国家の門外で野ざらしにされた。そこで、アルゴ王アドラーストおよび

7

将の母たちか ら嘆願されて、アテネの王テーセオがアルゴの

7

将の遺骸を取り戻すために兵を率いて テーベへ遠征するのだった 143。この物語系が、ダンヌンツィオによってはじめてフェード ラの物語に関係づけられたのである。

こうして、歌劇台本は、原作戯曲と同じように、これらふたつの物語系の交差した点 から開始されることになった。すなわち、トレゼーネで待機するフェードラたちの情景か らである。実際、第

1

幕には、テーセオをはじめとする男性たちがテーベ遠征のせいで ほぼ登場しない。例外はいちはやく帰還して遠征報告を行う「使者

Il Messo

」すなわち エウリートだけであり、残りは次項でみるようにもっぱら女性たちばかりである。

他方、もちろん原作戯曲と歌劇台本のあいだには差異もある。というのは、詩句が原 作戯曲から抜粋された際に、いくつかのエピソードが削除されたからだ。

もっとも重要な削除は、先ほど「例外」と述べたエウリートに関わっている。

原作戯曲の第

1

幕では、エウリートは、もともとアルゴの

7

将のひとりカパネーオ〔カ パネウス〕の戦車の「御者

l’auriga

」として従軍していたが、アルゴ軍敗北にあたってテ ーベに囚われ、のちにテーセオによって解放された、という設定を与えられている(原作

戯曲

289-292

144)。そしてフェードラたちの前でテーセオの戦勝を報告した後で、

2

つのエピソードを伝える。

1

つはアイスキュロス 145に基づくもので、カパネーオが、テー ベ〔テーバイ〕のエレットラ〔エレクトライ〕門を攻める際に、神に反逆する言葉を吐いたと ころ、雷に撃たれて死んでしまったという内容だ(原作戯曲

306-422

146)。もう

1

つは

142 アイスキュロス「テーバイ攻めの七将」高津春繁訳、『ギリシア悲劇 I アイスキュロス』 東京:筑摩書房、1985 年、333~391頁。

143 エウリピデス「救いを求める女たち」中山恒夫訳、『ギリシア悲劇 III エウリピデス(上)』東京:筑摩書房、 1986 年、404~472頁。

144 Gabriele d’Annunzio, “Fedra,” in Id., Tragedie, sogni e misteri, Vol. II, a cura di Annamaria Andreoli con la collaborazione di Giorgio Zanetti (Milano: Mondadori, 2013), p. 383.

145 アイスキュロス、前掲書、356~357頁。

146 Gabriele d'Annunzio, “Fedra,” in op. cit., pp. 384-389.

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