救いは完全に無償です!自分が救われるためにできる働きは、一 切ありません。なぜなら、主イエスが、全部なさってくださるか らです。
第九章で勧められていた祈り(あるいはそれに似た祈り)を真剣 にあなたが祈った時、キリストへの信仰が、あなたを本当の神の 子供にしたのです。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々 には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの 福音書1章
12
節)あなたは多分、「次は一体何だろう?」と思っていることでしょ う。
弟子たちの元を離れ、死を征服し、天国に戻られるという使命に 出かけられる直前、イエスが言われたことがあります。「わたし にとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」
(ヨハネの福音書
15
章4節)主イエスは、この言葉によって、ク リスチャン生活の中心的要素を説明されています。神の視点から 言えば、信者が神のひとり子イエスにつながっているということ は、そのクリスチャンが天国に無事に到着する時まで、そこに保 たれ、守られるということを意味します。一方、人間の視点から は、本物の信者の内側に復活の主がつながっておられるため、信 者の家族、友達、仕事仲間も、内在されるキリストによってしか 説明できないような生活の質を、目の当たりにするようになって いくのです。火の中にある金属製の火かき棒を想像してください。火かき棒を 見て、「火の中に火かき棒がある」と言えるでしょう。しかし、
その火かき棒をもう一度よく見た時、棒の先が真っ赤に焼け、「火 かき棒の中に火がある」とも言えるということが、お分かりにな るでしょう。今度は、バケツの水の中に浸かったコップを想像し てみてください。コップは水の中にありますが同時に、カップの 中にも水が入っているとも言えるのです!
あなたが再び生まれ変わった時、聖霊が実際にあなたをキリスト の体の中へと、洗礼(バプテスマ)を授けて(浸して)ください ます。
そして今では、聖書がそれを確証してくれています。「あなたが たのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるから です。」(コロサイ人への手紙3章3節)そう、あなたはもう一 度生まれたのですから、あなたは今や、キリストの内にいるので す。驚嘆すべきことです!更に、あなたが新しく生まれ変わった 時、内在される復活のキリストの命が、聖霊の力によって、個人 的で栄光ある現実となりました。「あなたの中におられるキリス ト、栄光の望みのことです。」(コロサイ人への手紙1章
27
節)あなたはそれを、自分のものとして喜べるのです。そして、再び 生まれたことで、復活のキリストは、あなたの内に住まわれるよ うになったのです。素晴らしいことです!
「わたしがキリストの内におり、キリストがわたしの内におられ る」という真理は、いわば双子の真理とも呼べますが、あなたに 自由をもたらす力を持っています。その力について、聖書が更に 何と言っているか見てみましょう。
私はキリストの内にいる
「なぜなら、私たちはみな、 一つのからだとなるように、一つ の御霊によってバプテスマを受け、」(第一コリント人への手紙
12
章13
節)「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに つくバプテスマを受けたわたしたちはみな、その死にあずかるバ プテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死 にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたので す。それは、キリストが、御父の栄光によって死者の中からよみ がえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをする ためです。」(ローマ人への手紙6章3、4節)
「あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリ ストとともに、神のうちに隠されてあるからです。」(コロサイ 人への手紙
3
章3節)数年前、私はある白血病の少年を知っていました。当時、彼はま だ7歳で、脊椎注入のため3ヵ月ごとに医者の元に通わなければ なりませんでした。ある時医者は、このダリル少年に、針が脊椎 を突き通す時に、他の少年少女のように泣かないのはなぜかと尋 ねました。医者が「痛くないのかい」と聞くと、ダリル少年は答 えました。「はい、もちろん痛いです。でも、先生、先生は分か っていないのですね。針は僕に触れる前に、まずイエス様の手を 貫かなければならないんですよ。」今や、あなたはキリストの内 にいるのです。そして、キリストは、あなたの人生を試したり触 れたりする事柄全てを十分に取り扱う力のあるお方です。これを 知っていることは、何と素晴らしいことでしょう!これこそが信 仰です!
人生が要求する一つ一つのことを満たすために、あなたが主イエ ス・キリストの力を用いることができるようになるのは、あなた が信仰によって主イエスを受け入れた時と同じ信仰の原則です。
つまり、あなたが最初にとった信仰の行動は、あなたが継続して 信仰の態度を適用して行くように扉を開けたのです。「あなたが たは、このように主キリスト・イエスを受 け入れ たのですから、
彼にあって歩みなさい。」(コロサイ人への手紙2章6節)
あなたは再び生まれましたが、神は、あなたがイエスの生涯をた だ真似するようにと期待しているわけではありません。何百万と いう大勢のクリスチャンが、そうしようと試みては失敗し、苛立 ちをつのらせてきました。しかし神は、私達がクリスチャンとし て人生を生きるための、素晴らしい備えについて語ってくださっ ています。私達はキリストの内にあって既に死んでいます。です から、私達は律法の全ての要求と責めに対しても死んでいるので す。つまり、私達は、過去においてそうであったように、現在に おいても、そして将来も、自分の努力で律法の要求を満たそうと する希望に対して死んだのです。そうです。自分で霊的な生活を 生きられると思う自信のなごりに対して死んだのです。しかし、
私達は、復活された主イエス・キリストの全ての守りと余りある 力にあって光り輝いて生きているのです。神を誉めたたえましょ う!
毎日の生活の中で起こる誘惑やプレッシャーに対し、どうにか自 分で解決しようとする時、問題が発生します。新しく信者になっ た人は、新生を経験した後でも、以前と同様、自分自身でクリス チャンの生活をやっていけないことを自覚するでしょう。イエス は、こういった人間の傾向に対し、聖書から、はっきり警告して おられます。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることが できないからです。」(ヨハネの福音書
15
章5節)実に、使徒パウロは、ガラテヤ地方の信徒たちに、人間の努力に よる愚かさについて、歯に衣を着せない言葉を使って話しました。
パウロは、信仰によって、信仰のみに生きるという神の原則から 離れてしまっていたガラテヤの信徒たちのやり方を正すため、質 問自体が自明の答えを導く、修辞的な疑問を投げかけています。
「ただこれだけをあなた方から聞いておきたい。あなたがたが御 霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも、信仰を もって聞いたからですか。あなたがたはどこまで道理が分からな いのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成 されるというのですか。」(ガラテヤ3章2〜3節)
もちろん、ガラテヤの信徒たちも、あなたと同様、信仰によって、
キリストの内にある新しい生活を始めてはいました。そうしてく ださった神に頼る信仰以外に、「ひとりの人イエス・キリストに より、いのちにあって支配するのです。」(ローマ5章
17
節)こ とを望めません。悲しいことにガラテヤでは、神に頼る生き生きとした信仰は、律 法主義的な自己の努力による実りのない不毛な行ないへとすり替 えられてしまいました。しかし、神に感謝しましょう。あなたが 新たに見出した主に頼って生き続けるなら、ガラテヤで起こって いたような悲しい状態を経験する必要は決してないからです!
キリストが私の内 に生きている
「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生 きておられるのです」(ガラテヤ人への手紙2章
20
節)「もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは 罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。もし