第3章 「遠心する」音楽:第一楽章
3-1. 輪郭をあらわにしない音楽
ナディーン・サインは、交響曲第七番について次のように述べている。
マーラーに関する文献のいたるところに、交響曲第七番が音響と技術において他の 交響曲にいかに似ているかについての記述はあるが、その逆はない。交響曲第五番や 第三番が第七番を予期しているとは誰も言わないし、また第八番や第九番が第七番 から引き出されたとも言わない。交響曲第七番は前も後ろもみているように見える が、それ自体を明確に区別しうるような輪郭を持っていないのである。182
むろん、この言葉は第七番全体についてのものである。しかしこれを仮に第一楽章単独につ いての説明だといっても、まったく違和感はないように思われる。第一楽章にはマーラーの 作品の様々なメルクマールがそなわっているのはすぐに認識できるが、この楽章自体の輪 郭を捉えるのは容易ではない。その原因の一つにはおそらく、多様なレヴェルに敷かれた音 楽的なアンビヴァレンツが楽章全体を貫いているということがある。そのため、一本の線で 描けるような輪郭が浮かびあがってこないのである。
182 Sine, “Review,” 112.
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たとえばこの楽章は伝統という仮面をかぶった現代音楽であり、また同時に、現代音楽の 領域へ足を踏み入れた19世紀的な交響曲の第一楽章でもある。複雑な対位法によってあち こちに不協和音が生じてはいるが、調性の領域にとどまっている。様式の観点からいえば、
これはゴードンが解釈したように、「伝統とモダニズム」の葛藤をそのまま表現しているよ うにみえる。
またこの楽章は、そのような歴史的転換期の特徴を示すばかりでなく、マーラー自身の創 作における過渡期の特徴を示してもいる。それは、たとえばソナタ形式の形態に現れている。
「ソナタ・デフォルメ理論」を用いてマーラーの交響曲のソナタ形式を分析したモナハン・
セス Monahan Seth によると、交響曲第七番は、マーラーのソナタ形式における根本的な変 化の端緒となった作品である183。セスは、提示部における非トニックの素材(副次主題)184 が、再現部で主調に達するか否かという基準に基づいて、ソナタ形式のミッションが「成功」
したか「失敗」したかを判断する。マーラーの交響曲の全ソナタ楽章の分析をとおしてセス が明らかにしたのは、第六番までのソナタ形式は、形式プロセスが作り出す語りと楽章の表 現内容とのあいだに相関関係があるということだった。すなわち、肯定的な結末ないし勝利 の結末が「成功」した再現部に続いて生じる一方で、悲劇的な結末は、たいてい「失敗」し た再現部に続く。しかしこの観方は、第七番以降、有効に機能しなくなるという。
第七番の再現部ではまず、以前の短調のソナタ形式と同様のことが起こる。つまり副次主 題が調的な解決を拒否されることで、ソナタ形式の目論見は「失敗」するのである。しかし それは、かつてのソナタ形式のように、「より広範な表現内容の失敗 a broader expressive
failure」185を引き起こすわけではない。再現部で起こるのは、「劇化された失敗 dramatized
183 Monahan Seth, “Success and Failure in Mahler’s Sonata Recapitulations,” Music Theory Spectrum 33, no. 1 (Spring 2011): 37.
184 本論では、主題 D に相当する。
185 Seth, “Success and Failure,” 54.
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failure」186なのである。そこでは、「メディアント長調 major-mediant」187(G-Dur)で奏さ
れる副次主題が、第483小節で長調のトニック(E-Dur)への属和音へ帰着しながら、トニ ックには達しない。一方コーダの第543小節では、短調のトニック、すなわち e-moll の帰 結へ向かう経過に一時的な猶予が与えられ、【譜例1】にあるように、長調とも短調ともつ かないパッセージが4小節間続く。しかしその後、突然に「勝利のE-Durの結末」188が現れ るのである。
セスが着目したのは、主調である e-moll が、最後の最後で唐突に E-Dur になるという経 過の独特さである。このような経過のために、ソナタ形式の「成功」ないし「失敗」と表現 内容との相関を言うことはもはやできない。結果として第七番では、形式プロセスと表現内 容が乖離しているということになる。
しかし、それでもソナタの原理が確実に機能しているのが第七番の特徴だといえるだろ う。楽章全体は、ハンス・スワロフスキー Hans Swarowsky が言うように、「古典派の形式 の三部分(提示部―展開部―再現部)に相当する」189(【図表1】参照のこと)。だがその境 界は、伝統的なものとは異なっている。スワロフスキーはこの楽章を、導入部、提示部、展
開部I、展開部II、展開部 III、再現部、コーダから構成される七つの部分に分けたうえで、
展開部Iは、主題の観点からすると提示部の変形による反復にすぎず(調は随所で変わって いる)、展開部IIこそが「コンビネーションの大規模な鎖で結ばれた『本当の』展開部」190 だと考えた。この見立ては、さらに調性の観点から楽章を見たときに補強される。調性の観 点からは、導入部―提示部―展開部Ⅰがひとまとまりなり、それに対応するかたちで展開部
III―再現部―コーダもひとまとまりになる。つまり展開部Iと展開部IIIには、二重の機能
186 Ibid., 55.
187 Ibid.
188 Ibid.
189 Hans Swarowsky, Wahrung der Gestalt: Schriften über Werk und Wiedergabe, Stil und Interpretation in der Musik (Wien: Universal Edition, 1979), 140.
190 Ibid., 139.
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このような独特さを伝統的なソナタ形式から説明するのは、たしかに難しい。とはいえこ の楽章は、ソナタ形式の展開に従っていることを聴き手にはっきりと伝えている。ここでは、
セスが第八番について述べたように、トニックの過剰な強調191のために調が作り出す緊張 感が削減されている、ということはない。また第九番、第十番のように、ソナタの原理が「音 楽の主要な語りの原動力としての役割をはずされている」192とも言えないだろう。古典的な 調のプロットに従事していないとはいえ、第七番には依然としてソナタの原理が容易に認 められ、それが語りの原動力にもなっている。第六番で書いた「厳格な」ソナタ形式のコン セプトからは離陸したものの、まだソナタの原理と繋がっている。第七番の第一楽章は、伝 統が要請するソナタの原理と不即不離の関係にある楽章なのである。
どちらの要素も持っているが、どちらかに片寄ることはないアンビヴァレンツが複数の 層で保たれるこの第一楽章は、いかに解釈されるべきだろうか。たとえばこの楽章を、歴史 的・社会的コンテクストの中に置くことでモダニズムの矛盾、ないし世紀転換期ウィーンの 矛盾の戦略的な表現と捉えたゴードンの見解193は、おおむね賛同できるものである。だが、
ここではあえて異なる角度からこの楽章を考察してみたい。というのは、音楽そのものの中 に、また別の解釈のヒントがあるように思われるからだ。
191 アドルノも、第八番以降のソナタの特徴を次のように述べる。「第八交響曲以降、マ ーラーは円熟期のアルバン・ベルクと同様、ほんとうのソナタ形式をもはや書かなかっ た。第二主題は第一主題の短調であり、副主題としてはほとんど作用しない。」アドルノ
『マーラー:音楽観相学』、201頁。
192 第九番と第十番のソナタ形式についてセスは、アドルノの「回顧しながら聴く聴き方 によってはじめて、何が必要とあらば展開部と称されるべきかが明らかとなる」[同前、
202頁] という言葉を引用し、「ソナタ原理はここでは、アドルノの言ったように完全に
『断念』されているわけではないものの、それはしばしば知覚の表層下に追いやられてお り、音楽の主要な語りの原動力としての役割をはずされている」と指摘する。Seth,
“Success and Failure,” 56.
193 本論第1章、第2章参照のこと。
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3-2. 拡張する音楽
多様性は第一楽章のキーワードである。イェンス・マルテ・フィッシャー Jens Malte
Fischer は、「マーラーがここでは、普通であれば交響曲全体にあてがわれるような経験と
知覚の多角的な観点を取り入れようとしたような印象を受ける」194と述べている。また、
マーラーがシベリウスとの会話の中で述べた「交響曲は世界を包含しなくてはならない」
という言葉195がもっともよく当てはまるのは、交響曲第七番、とりわけこの第一楽章だ と、ウィリアムソンとゴードンは考えている196。この楽章は、それほどに多様性に富んで いるのだ。
3-2-1. 音色
はじめに、音色の次元からみてみよう。アドルノは、「そこ [第七番第一楽章] ではマー ラーのことばが拡大し、そのときまで彼の大胆さを禁じていた、あのほのかに時代錯誤的な ものを放棄する。オーケストラの色彩のスケールは、長調を超えた輝かしい響きから、この うえなく暗い影にまでいたるすべてを包含している」197と、この楽章に用いられる音色の幅 広さを説明した。さらに「この楽章は、最も強調された構造をもっていながら、これまでマ
194 Jens Malte Fischer, Gustav Mahler: Der fremde Vertraute (Wien: Bärenreiter-Verlag, 2003), 563.
195 本論序章を参照のこと。
196 See Gordon, “Mahler’s Seventh Symphony,” 102. Also see Williamson, “Mahler and Episodic Structure,” 37-38.
197 Theodor W. Adorno, “Mahler: Wiener Gedenkrede,” In Gesammelte Schriften, Band 16, ed. Rolf Tiedemann (Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1997), 334.