本章は、ピゼンデルが楽師長を務めていた 1731 年から 1755 年までのドレスデン宮廷 楽団を研究対象として、この楽団の一糸乱れぬ合奏に不可欠であった奏者を特定する。
すでに序において確認したように、18世紀前半において乱れのない合奏を行うことは珍 しかったが、先代の楽師長ヴォリュミエはドレスデン宮廷楽団にこの合奏を導入した。 ビ ルンバウムは、1738年にこの楽団の乱れのない合奏を特筆しており、この時の楽師長はピ ゼンデルであった。これらのことから、この合奏はヴォリュミエの時代からピゼンデルの 時代に引き継がれ、この二人の時代においてドレスデン宮廷楽団の特徴を成していたと考 えられた。
第1章では、ピゼンデルをヴォリュミエの時代における一糸乱れぬ合奏に不可欠な奏者 の一人に挙げた。楽師長に就任したピゼンデルは、この楽団 の奏者たちを統括し、彼らに 奏法を指導した。これからのことに基づくと、ピゼンデルが中心となって、ヴォリュミエ の時代から乱れのない合奏を継承したと考えられる。
さらに第1章では、この合奏に欠かせなかった奏者として、ピゼンデルの他に 8名を挙 げた。この 8名のうち、ヴィオラ奏者レーナイス以外の 7名は、ヴォリュミエが亡くなっ た翌年の 1729 年の「宮廷楽団の名簿」に名前が記されていた。よってこの 7 名は、ピゼ ンデルの時代においてもこの楽団に所属して、乱れのない合奏を実現する一翼を担った可 能性がある。一方、楽団に所属した奏者の中には死亡する者や退団する者がいたため 、彼 らに代わる奏者が新たに雇用されたと考えられる。従って、ピゼンデルの時代に新たに雇 用された奏者の中から、一糸乱れぬ合奏に欠かせない者が現れた可能性もある。
これらのことに基づくと、ヴォリュミエの時代において乱れのない合奏に不可欠であっ た 7名が、ピゼンデルの時代においてもこの合奏に欠かせなかったか、またピゼンデルの
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時代に新たに雇用された奏者のうち、この合奏に必要となった者がいたかを検証する必要 がある。
ピゼンデルの時代に関する先行研究の状況は、ヴォリュミエの時代に関するものに似て おり、フュルステナウをはじめとした研究者たちによって、ピゼンデルが楽師長を務めた 時代のドレスデン宮廷楽団の歴史が記された 108。彼らが記した歴史に基づくことにより、
奏者たちがこの楽団に雇用された背景を理解することは可能である。しかし、彼らの歴史 は独奏者として活躍したと考えられる名手のみに焦点を当てているため、この楽団に所属 した奏者全員を把握することは不可能であり、一糸乱れぬ合奏に貢献した奏者も特定され ていない。
これらの研究課題のうち、楽団に在籍した奏者を確認するこ とは、序において説明した ように、『宮廷年鑑』に載せられた楽団の名簿(「宮廷楽団の名簿」)から奏者を特定するこ とによって解決できる。ピゼンデルの時代にほぼ毎年出版された『宮廷年鑑』は 、24巻に 上る。さらに序においては、秋に狩猟用別邸フベルトゥスブルクへ出張した奏者たちが、
この別邸においてオペラ、室内楽、教会音楽を上演したことを説明した。このうちオペラ 上演は、当時のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト 2世の誕生日を祝うものであっ た。そして、秋旅行に関する資料に基づいてこの別邸に頻繁に派遣された奏者を特定する ことによって、この楽団に在籍した奏者のうち、乱れのない合奏に不可欠であった奏者を 明らかにできる可能性を指摘できた。
以上のことから、本章では、はじめにピゼンデルの時代におけるドレスデン宮廷楽団の 歴史を確認することにより、奏者たちが置かれていた状況を把握する。次に、この楽団に 所属した奏者を特定することを通して、ヴォリュミエの時代に不可欠であった 7名の奏者 がピゼンデルの時代のこの楽団に在籍したかを確認すると共に、新たにこの楽団に所属す
108 Moritz Fürstenau, Zur Geschichte der Musik und des Theaters am Hofe zu Dresden (Dresden: 1861-1862 in 2 vols; reprint ed. Leipzig: Peters, 1971 in 1 vol.), vol. 2, pp. 155-374.
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るようになった奏者を明らかにする。さらに、フベルトゥスブルクに出張した奏者を特定 することにより、先の 7名がピゼンデルの時代においても一糸乱れぬ合奏に不可欠であっ たか、彼らの他にもこの合奏に必要とされた奏者がいたかを検証する。その上で、ピゼン デルの時代において乱れのない合奏に不可欠であった奏者を指摘する。
第1節 ピゼンデルが楽師長を務めた時代のドレスデン宮廷楽団
楽師長ヴォリュミエは 1728 年に亡くなった。その 3 年後にあたる 1731 年の 12 月 11 日に、ピゼンデルは新しい楽師長としてドレスデン宮廷の全ての音楽家に紹介された 109。
また、楽長であったシュミットとハイニヒェンも、1728 年と 1729 年に相次いで亡く なった。ハッセは 5年ほど後の 1734 年に、正式に次の楽長としてドレスデン宮廷に雇用 された。この宮廷の記録である「1733年から1739年のイタリア人歌手、楽団、踊り手及 び そ の 他 の オ ペ ラ に 従 事 す る 人 々 」 の 1734 年 6 月 11 日 付 の 記 録 は 、「 楽 長 ハ ッ セ
Capellmeister Haße」と、歌手であった彼の妻ファウスティーナ・ボルドーニ Faustina
Bordoni(1697–1781)に、年俸6000ターラーが支払われることを示している 110。
ハッセは、ナポリにおいて成功を収めたオペラ作曲家であった。 当地の作曲家にとって 最高の栄誉は、この王国を統治していたオーストリア皇帝カール6世Karl Vl.(1685-1740)
の聖名祝日、すなわち 11月4日の聖チャールズ日を祝うオペラを作曲することであった。
ハッセは、1729年にこの日のために《ティグラーネ Tigrane》を作曲している 111。 2 年後の 1731 年に、ハッセは初めてドレスデンを訪問し、第 1 章において確認したよ うに、オペラ《クレオーフィデ》を初演した。その後ハッセはドレスデンを離れ、先述の
109 Kai Köpp, Johann Georg Pisendel (1687-1755) und die Anfänge der neuzeitlichen Orchesterleitung (Tutzing: Schneider, 2005), p. 146.
110 D-Dla, 10026 Geheimes Kabinett, Loc. 907/4 (Die Italiänischen Sänger und Sängerinnen, das Orchestre, die Tänzer und Tänzerinnen, auch andere zur Opera gehörige Personen betr. Ao 1733. 1739), fol. 18; Raffaele Mellace, Johann Adolf Hasse, translated by Juliane Riepe (Beeskow: Ortus Musikverlag, 2016), p. 56.
111 Daniel Heartz, “Hasse at the Crossroads: Artaserse (Venice, 1730), Dresden, and Vienna,” The Opera Quarterly 16/1 (Winter, 2000): 25.
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ように3年後の1734年に、正式にドレスデン宮廷に雇われた。ハッセは 1763年までドレ スデン宮廷の楽長を務めた。すでに 1731 年に楽師長に就任していたピゼンデルは、彼自 身が亡くなる 1755年まで、ハッセと共にドレスデン宮廷楽団を統括した。
1730年代前半には、新しい楽師長や楽長が就任しただけでなく、彼らを配下に置いてい たザクセン選帝侯も交代した。フリードリヒ・アウグスト 1世は、1733 年 2 月 1 日に、
ワルシャワにおいて亡くなる。この年、彼の息子フリードリヒ・アウグスト 2世はザクセ ン選帝侯に即位し、翌年の 1734 年にはアウグスト 3 世としてポーランド王の位をも獲得 した。彼は亡くなる 1763年まで、この二つの地位を保持した。
選帝侯の交代により、ドレスデン宮廷の組織は再編された 112。その結果、フランス・バ レの踊り手たちは引き続き雇用されたが、ポーランド楽団やフランス喜劇団は解散させら れ、カトリック教会音楽の演奏に関わった少年聖歌隊は減員された 113。
しかしドレスデン宮廷楽団は、フリードリヒ・アウグスト2世の治世においても存続し、
この楽団の奏者たちは、教会音楽や室内楽を演奏しただけでなく、オペラ上演も行った 114。 ミュッケやストッキートは、特にオペラ上演を通して、ドレスデンの名声が非常に高まっ たことを指摘している 115。本章では、選帝侯の誕生日を祝うオペラが上演されたフ ベル
112 Gerhard Poppe, “Kontinuität oder Neubeginn: Zur Anfangssituation der Ära
Hasse in Dresden,” in Johann Adolf Hasse in seiner Zeit: Bericht über das Symposium vom 23. bis 26. März 1999 in Hamburg, edited by Reinhard Wiesend (Stuttgart:
Carus-Verlag, 2006), pp. 307-308.
113 Mary A. Oleskiewicz, “The Flute at Dresden: Ramifications for Eighteenth-century Woodwind Performance in Germany,” in From Renaissance to Baroque: Change in Instruments and Instrumental Music in the Seventeenth Century, edited by Jonathan P. Wainwright and Peter Holman (Aldershot: Ashgate, 2005), p. 149; Janice B.
Stockigt, “The Court of Saxony-Dresden,” in Music at German Courts, 1715–1760:
Changing Artistic Priorities, edited by Samantha Owens et al. (Woodbridge: Boydell, 2011), p. 31; see also Alina Żórawska-Witkowska, “The Saxon court of the Kingdom of Poland,” in ibid., pp. 51-77.
114 荒川恒子、「ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト 2世宮廷における音楽事情」、
『山梨大学教育人間科学部紀要』第 12巻19号、2010年、137~139頁。 Janice B.
Stockigt, “The Court of Saxony-Dresden,” in Music at German Courts, 1715–1760:
Changing Artistic Priorities, edited by Samantha Owens et al. (Woodbridge: Boydell, 2011), p. 19.
115 Panja Mücke, Johann Adolf Hasses Dresdner Opern im Kontext der Hofkultur (Laaber: Laaber, 2003), p. 34; Janice B. Stockigt, “The Court of Saxony-Dresden,” in
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トゥスブルクへの出張に着目するため、以下ではオペラ上演を中心にドレスデン宮廷の歴 史を概観する。
ミュッケは、フリードリヒ・アウグスト 2世の治世に、この君主の下で上演された楽長 ハッセによるオペラの一覧表を提示した 116。表 2-1は、彼女の表に記された、オペラの初 演日(または再演日)、作品名、演奏場所と演奏機会を引用している。
表 2-1 フリードリッヒ・アウグスト 2世のために上演された楽長ハッセのオペラ
(1734年から 1763年)
上演日 作品名 上演場所 上演機会
1734年 7月8日
カイウス・ファブリキウス Cajo Fabricio
ドレスデン
宮廷歌劇場 カーニバル 1737年
カーニバル
セノクリタ Senocrita
ドレスデン
宮廷歌劇場 カーニバル 1737年
7月26日
アタランテ Atalanta
ドレスデン 宮廷歌劇場
ロシア女帝アンナの洗 礼名の日 1737年
8月3日
アステリア Asteria
ドレスデン 宮廷歌劇場
フリードリヒ・アウグ スト2世の洗礼名の日 1737年
10月5日/11日 アタランテ(再演) フベルトゥスブルク フリードリヒ・アウグ スト2世の誕生日 1737年
10月7日/13日 アステリア(再演) フベルトゥスブルク フリードリヒ・アウグ スト2世の誕生日 1738年
カーニバル
皇帝ティトゥスの仁慈 La clemenza di Tito
エイレネ Irene
ドレスデン
宮廷歌劇場 カーニバル 1738年
5月11日
アルフォンソ Alfonso
ドレスデン
宮廷歌劇場 結婚式 1740年
カーニバル
皇帝ティトゥスの仁慈(再演)
デメトリオス Demetrio
ドレスデン
宮廷歌劇場 カーニバル 1740年
9月7日
アルタクセルクセス Artaserse
ドレスデン 宮廷歌劇場
侯子フリードリヒ・ク リスティアンの遊学か
らの帰国 1741年
10月7日 ヌマ・ポンピリウス
Numa Pompilio フベルトゥスブルク フリードリヒ・アウグ
スト2世の誕生日 1742年
カーニバル
ルーチョ・パピリオ Lucio Papirio
ドレスデン
宮廷歌劇場 カーニバル 1742年
10月7日
見捨てられたディド
Didone abbandonata フベルトゥスブルク フリードリヒ・アウグ
スト2世の誕生日
Music at German Courts, 1715–1760: Changing Artistic Priorities, edited by Samantha Owens et al. (Woodbridge: Boydell, 2011), p. 30.
116 Panja Mücke, Johann Adolf Hasses Dresdner Opern im Kontext der Hofkultur (Laaber: Laaber, 2003), p. 42.