4 月 1 日は三民主義力行社特務処の創設 45 周年で,その恐怖統治の核心組織は後に国民党 軍事委員会調査統計局(1938~46)等を経て,「国防部」情報局(55~85)に改編された。
柏楊は情報局上層部・極道組織に由る在米華人作家暗殺の前年・同年に,日本・米国の大 学で「醜陋的中国人」と題する講演をした。彼は汚い・乱雑・喧やかましい・内争が多い等の陋 習の根底の国民性に手メ術刀を入れ,劣悪な根性を植え付けた伝統文化に「醤缸(漬ス つけもの物甕がめ) 文化」の悪名を付けた。刊行の翌年に花城出版社(広州)・湖南文芸出版社より其々 210 万・
80 万部が印刷され,「文革」動乱の深層的な原因への探求や人々の徳性・国家の品格の不 足への自省を促す衝撃で,「“五七一工程”紀要」以来の最大の「精神的な爆弾」を為した。
「人無千日好,花無百日紅」(人に千日の好よしみ無く,花に千日の 紅くれない無し)という格言の 様に,『醜陋的中国人』熱ブームは発行の 2 ヵ月半後の胡耀邦失脚でいきなり撲滅された。湖南で ボーボワール(1906~86,仏フ ラ ン ス蘭西の作家)の評論『第 2 の性』(49),ローレンス(1885~
1930,英国の作家)の小説『チャタレー夫人の恋人』(28)の訳本と共に発禁されたが,評 論家・小説家伊藤整(1905~69)に由る後者の和訳無修正版(小山書店,51)が警視庁に 摘発された事と照らせば,日本の近代化に対する中国の 30~40 年の遅行の 1 例に為る。
同年 6 月 27 日に『醜陋的中国人』を「非合法出版物」扱あつかいから外したのは,皮肉にも反 胡耀邦の胡喬木(意イ デ オ ロ ギ ー
識形態工作主管の政治局委員)である。台湾と同様この本を大々的に非 難すれば国民党と一緒だと見做される,という理由で彼は批判の口ト ー ン調を落すよう指示した。
国共の同根性は「文革」の言論弾圧と同時期の柏楊の筆禍・投獄にも現れたが,18 日後の 戒厳令解除に次ぐ翌年元日の台湾報禁(新聞の新規発行等の禁制)解除等と逆行して,胡 総書記時代の建国後最も民主的な空気はぶち壊され,以来 30 年経っても再来が見られない。
花城出版社副総編集長として『醜陋的中国人』の刊行を発案・推進した陳俊年は,広東 省委宣伝部招集の批判会で社の代表として自己批判をさせられたが,同書は中国人・中国 の優れた文化を侮辱しているという司会者の基調発言に反論し,大国の国民は自分の不足 を正視する勇気が有って然る可べきで,作中の「醜陋」の例は殆ど台湾・香港と海外の中国人・
華人の不ふぎょう行儀ぎだから,大陸の読者は参照して教訓にすれば可よかろう,と主張した。改革・
開放の最前線だけに当事者に対する処罰は無かったが,同社は発行の中止を余儀無くされた。
1998 年に『書城』誌(同年に上海文芸出版社より同市三聯書店に移行)が「20 年来最も 影響の大きい 20 冊」,翌年に『出版広角』誌(広西出版雑誌社)が「共和国を感動させた 50 冊(1949~99)」の読者投票を催もよおし,2008 年に『南方都市報』(南方報業伝媒集団)で「30 年の 30 冊」選が行われた処,『醜陋的中国人』は何れも高い得票で入選した。根強い支持 が証明された調査の範囲は建国と改革・開放の節目の位置をも印象付けるが,開国 70 年と
習近平の原点と「紅色基因」─毛沢東・鄧小平への継承と超越(1)(夏)
「第 2 の開国」40 年の頃には,「醜い中国人」の類の批判は再び言論管制の対象に為った。
胡錦涛体制第 1 期に省新聞(報道)出版局長を務めた陳俊年は,敢えて自身の醜さを正視 する中国人こそが美しくあり得る,という逆説を柏楊の思辨べんから会え得した。編集担当の葉 曙明(195?~ )は後に作家・近代史研究者と為ったが,自称「歴史説書人」(歴史の語り部)
の彼は『醜陋的中国人』出版 30 周年の前に,金かねもち持に成った一部の中国人は世界を君臨しよ うとする大昔の夢を見て,尊大に為り自省精神を失い,今『醜陋的中国人』を出すなら,「中 国に泥を塗る」「中国の衰退を望む」「米国の走狗」等の誹りを受けるはすだ,と述べた。
網ネット・メディア絡媒体『好奇心日報』に語ったその話(6.6)の前の 2 月 20 日,自リ ベ ラ ル由主義色の強い『南 方都市報』の習近平講話の記事は,題みだしの「党和政府主辦的媒体/是宣伝陣地必須姓党」(党 と政府が主宰する報メ デ ィ ア道媒体は/宣伝の陣地で「党」を姓とせねばならぬ)の下に,深圳せん経済 特区(1980.8.26 成立)の功労者袁庚こう(1917~2016)の遺骨が海に撒かれた場面の説明文が 有り,上の 2 行の右端の 2 字と繋げて「媒体/姓〝党〟/魂帰/大海」(報メ デ ィ ア道媒体は「党」を姓 とし,魂は大海に帰す)と読める為,党を揶揄する「重大事故」とされ編集者が解雇された。
習近平の党首就任の 暁あかつきに,同集団の自リ ベ ラ ル由主義的な『南方週末』紙の新年号(2013.1.3)
献辞「中国の夢 憲政の夢」は,題・内容の修正後に当局の検閲を通ったのに省委宣伝部の 指令で党賛美の内容に差し替えられ,憲法で保障される言論・出版の自由に対する抑制は 同紙記者の同ス ト ラ イ キ盟罷業を招いた。省委書記・政治局委員胡春華(1963~ )の調停で事態は 収拾されたが,是非・責任は有う や む や耶無耶と為り,省委宣伝部長庹たく震(1959~ )は 2015 年 7 月に中央宣伝部副部長,17 年 10 月に中央委員候補,翌年 4 月に人民日報社長へと出世した。
習近平体制誕生の半年後に下された「7 不講」禁令では,「普世価値」(普遍的価値観)
に次ぐのが「新聞自由」(報道の自由)である。以下の「公民社会」・「公民権利」・「党的歴 史錯誤」(党の歴史上の誤り)・「権貴資産階級」・「司法独立」と共に,7 つの「語るな」は 体制が最も忌み嫌う事柄や要求と言える。数ヵ月後の陳小魯・劉進の「文革」に関する謝罪・
反省・批判は,毛沢東時代の最大の誤りに対する追及と失われた自由・権利・独立に対す る追求であり,憲法遵守を強調する主張は実現に程遠い「憲政の夢」の発露に他ならない。
国際連合教育科学文化機関(1946.11.4 設立)の「世界の文化遺産及び自然遺産に関するユ ネ ス コ 条約」(72.11.16 採択)に,世界遺産の認定基準として顕著な普遍的価値観が記してある。『現 代漢語詞典』第 6 版(2012.6)の【普世】(世の中に普あまねく)の項に,「❷⃞形属性詞」が追加 され語義・用例は「世界上普遍認同的:~価値|~倫理」(世界中で普遍的に認められてい る。「普遍的価値観」「普遍的倫理」)と為るが,第 7 版(2016.9)では従来の❶⃞名「普天下;
挙世:~歓騰」(満天下。世を挙げて。「満天下喜びに沸く」)と共に削除された。
「普世価値」を忌む為に【普世】まで抹消するのは,「斬草除根」(根刮こそぎにする。徹底し て禍根を断つ)の様相を呈す。前近代の「満門抄斬」(一家の資財を没収し皆斬首刑に処す)
も,究極の懲罰と共に親族に由る復讐を防ぐ「斬草除根」の発想に基づく。顧順章の裏切 り後の家族・関係者に対する保秘の為の集団殺害の際に,周恩来は子供には罪が無いと言っ て 7 歳・12 歳の子供を放免したが,後者は後日に偶然出会った現行犯の 1 人を国民党に通 報し当人の自供で事件が発覚したから,草を斬るだけでなく根まで取り除くのは一理が有る。
「悪戯っ子」「ごろつき」や群を離れた動物の「凶暴な」等を表すrogueは,動詞として「〘園 芸〙(悪い苗,不良の変種)を取り除く」の意も有る。毛沢東時代の無法「革命」も「有害 作品」を「毒草」として根絶にしようとしたが,中性的な【普世】❷はともかく無害の❶ まで切り捨てて了しまうのは,明太祖(朱元璋,1328~98,68~98 在位)の文字獄を想起させる。
彼は和尚・反乱軍の経歴に触れられたくない故,「僧」(sēng)・「賊」(zéi)と発音が近い
「生」(shēng)・「則」(zé),延ひいては禿はげを連想させる「光」さえ断罪の対象にした。
習近平は党首当選の 2 週間後(2012.11.29),政治局常委全員・書記処成員を率いて国家 博物館で大型展示「復興の路」を参観する際,中華民族の偉大な復興の実現は中華民族の近 代以来の最も偉大な夢であると語った。5 日後に現行憲法公布・実施 30 周年を記念する首 都各界大会で,憲法の命と権威は実施に在り,憲法・法律に違反する行為は全て追及せね ばならず,法に依る治国・執政を堅持す可すきだと強調した。『南方週末』新年献辞の「中国 の夢,憲政の夢」は其処から来たのに,検閲で憲政は題から削られ文中の言及も圧縮された。
7 禁句には流石に「憲政」は入らないが,憲政貫徹の試金石と為る公民の権利や報道の自
由は「黒ブラック・リスト名単」に有る。件の「不講」の「講義で語らず」の域を超えて,辞書項目の「普
世価値」の削除は全社会の言語空間からの抹殺である。胡錦涛が退任前の「18 大」政治報 告で打ち出した「社会主義核心価値観」を優先する為かも知れないが,その「富強・民主・
文明・和諧(調和)・自由・平等・公正・法治・愛国・敬業(仕事を敬う)・誠信(誠実・信 頼)・友善(友好・善良)」は,世界の普遍的価値観と通じる処も多く対立軸ではあるまい。
『南方週末』新年献辞の原稿も民主・自由・平等を鍵キー・ワード詞に使って,政治の民主化や言論の 自由,個人の権利向上を唱えたが,党・国の建前に反しないのに強制修正されたのは,憲政・
法治の不徹底に由る民主・自由の不十分の現れである。普遍的価値観と報道の自由が不寛 容事項の 1・2 位に指定されたのは,人類同慶の偉業に値する「アポロ 11 号」月面着陸の 情報を遮断する鎖国体制の名な ご り残や,「“五七一工程”紀要」の公表で起きた威信失墜に対す る学習効果の他,新領袖の権力基盤が固まった同時期の北朝鮮との同根性も感じられる。
附記
本稿中の中国の事柄・人物の基本情報は,原則として中国の権威有る文献(主に『辞海』)に依拠し,
日本の辞書・事典等の記載とは一部異なる(子貢・劉邦・呂后・劉秀の生年,曾子の歿年,司馬遷の