レード・灯龍流しと花火。
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月(金〉は大国会 場の前夜祭でクイズとライブショウにアトラクション。 6日(土〉は大田会場での町村対抗綱 引き・ミス天領クイーンコンテスト・多根神楽 と天領踊り。
7日(日〉は大森会場での石見銀
山天領太鼓・大道芸にストリ}ト劇・そして呼 び物の代官行列。このように4日間に渉って,
盛り沢山の多くの催し物があったのだが,私た ちの調査地である五十猛町や水上町は,これら の会場には含まれておらず,また私たちの今回 の調査の主眼は盆行事の参与観察にあったので,
この「天領さん」は割愛することにしたのであ る。ただ天領は全国各地に数多くあったにもか かわらず,今日,その天領であったことをあえ て語い,このようなイベントを大々的にやって いるところは,この石見の大岡市の他にはない ようなので,そのこと自体のもつ意味について は,十分に吟味しなくてはならないと考えてい る。
ところで,町おこしのイベントと云えば,五 十猛町の大浦では五十猛漁業青年会(いわば漁 協の青年部〉が中心になって,ちょうどこのお 盆の時期に海上筏レース大会が挙行されている のである。そして,そのキャッチフレーズがあ の神話にまつわる五十猛命に因む「イソタケノレ ノミコト杯争奪サマーエキサイティングレー ス」というネーミングなのである。今年はその 第4回で, レースに参加する筏チームの募集要 項の主旨には,次のような文章が記されている。
「青い海と,はるかに続く白い砂浜に固ま れた私達の町,五十猛。私達は幼い頃から,
この海で遊び,砂とたわむれて成長してきま した。
五十猛といえば,皆さんは外に向って,何 が自慢できますか。漁業の町,ワニの町,正 月のグロの町,天然の良港,大浦港,高台の 小学校等ありますが,ほとんどが海と結びつ くものばかりです。又,五十猛の地名の語源 をご存じですか。五十猛というのは,皆さん
‑ 2 9 ‑(156)
もご存じのあのスサノオノミコトの子,五十 猛命〈イソタケノレノミコト〕にちなんだものと いう話が有力です。五十猛町大浦後ノ浜(通 称、〉の沖に「神島d1,手前に「小神島』と名づ けられた岩礁が並び,浜辺には「神上(しん じよう)d1の地名もあり,五十猛命が上陸し た所とされています。五十猛は伝説上の歴史 の町でもあり,特に子供達にこのことを,広 く知っていただき,自分達の町に夢と誇りを 持って欲しいと考えます。
私達は,この恵まれた海と歴史という資源 を生かし,この地域の若者の活性化と相互の 親睦を図るために,第4回イソタケノレノミコ ト杯争奪サマーエキサィティングレースを企 画致しました。〔下署)
J
大浦の盆行事のメインの
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日夜の盆踊り(N
章 2 ・(2),参照〉とカラオケ大会(青年会主催〉なのだが,その日の早朝から正午までがこの海 上筏レースで,近年はこれがなかなか人気を呼 んでいるのである。以下に参与観察の概要を記 述してみよう。(写真 II‑5, 6)
午前
8
時,大浦後ノ浜のロングピーチで開会 式。これには大田市長や大岡市教育長など来賓 の挨拶,選手代表による宣誓,競技方法の説明 があったが,特にレースの安全祈願が五十猛神 社H
官司によって行われた。筏の大きさや形状 については細かな規定があり,平面の大きさは 長さ2 m
以上,幅が50cm
以上である。これに3~5 人の 1 チームが乗り,カヌー用以外の擢
を使って漕ぐのだが,特に各チームがそれぞれ 趣向をこらした扮装で乗りこむわけである。コ ースは神島と小神島の
2
つの岩礁を周ってくる 所定のコースで,子供の部(小学4
年 中学生〉と一般の部があり,前者は五十猛町内の子供だ けだが,後者は前述の暮集に応募したチームが 参加した。後者の内訳は,五十猛町内が
9
チー ム,市内の他の町から6
チーム(長久町2
,久 手町2
,大田町1
,朝山町1
),そして出雲市 の湖陵町からlチームであった。各チームとも「元気組レディースJ,
r
い か し て る チ ー ムJ,「酒のみチームJ,r漁民団地チームJというよ うに,チーム名をつけ,奇抜な扮装を競い合っ ている。
9
時,コースが長い一般の部がスタート,二 般ずつが次々に時差スタートし,所要のタイム で順位を決めるのだが,所定のレースは相当の 長距離で,かなり体力を消耗するから,途中で 棄権するチームもある。この間に,距離が短い 子供の部が同様に,二般ずつ時差スタート。そ して,これらの筏がスタート地点に戻ってくる 聞を利用して,幼稚園児や小学生を対象に,浅 瀬や砂浜に予め隠しである"宝さがし"があり,これがなかなかの賑わいである。
かくて,
1 1
時半,審査員諸氏(五十猛町自治 会協議会々長・五十猛公民館長・五十猛町商工 振興会々長・五十猛体育協会々長・五十猛漁業 青年会々長)による審査結果の発表と表彰式が あり,賞金や副賞の授与が行われたが,特に筏 のデコレーションや扮装についても優秀賞が与 えられ,拍手喝采を博したのである。真夏のつ よい陽差しの海辺で,若いエネノレギーを思いき りエサキイトさせた,この海上筏レースは,ど うやらその主旨に沿った成果をあげ,この五十 猛の海辺に定着してきたようである。(ロ) 仮屋行事(センボク・グロ〉
正月
1 5
日前後の小正月に,野外に何らかの仮 屋をたてて年神を記り,餅などで祝った後,こ れに火をつけて正月の飾り物や古いお礼と共に 焼く仮屋行事が全国的にみられ,「とんど」とか「左義長」などと呼ばれているが,多くが子供 たちの行事として親しまれている。石東(東石 見〉地方でこれに相当するのが,センボクある いはセンボコ,シンボコなどと呼ばれる行事で,
今ではかなり簡略化しているが,なおかなりの 集落で行われている(的。
この「センボク」については,早くから識者 が関心をょせ,例えば石田隆義は,この仮屋は 歳徳神を加る仮の社で,大田町では古くは年頭 の正月
3日であって,センボコと称する笹のつ
いた大竹
2
本(うち1
本はやや小さい〉をたて,仮屋の内部に,その年の干支(えと)や鶴亀,
松竹梅などの切り紙を飾り,鏡餅や魚・野菜,
果物などを供え,子供たちがそこで餅を焼き,
菓子を食べて遊んだという。そして,この地方 では男児が出生すると魔除けの面〔荒神・鬼神
・毘沙門天・天狗・恵比須・大黒など〉を贈る 風習があるのだが(女児には羽子板を贈る)そ うした面を仮屋に飾る習わしがあることに触れ,
特に荒神面が多いことから,荒神信仰と歳徳神 との関連について論じている。〔石田
1 9 6 6
・259‑64J
また,鈴木大東は明治期の久利村(いまの久 利町)の場合について, トシトク(歳徳〉の祭 りの行事の
1
つが「シンボコ(神木?)倒し」で,
1
月6日の晩にシンボコ(仮屋〉にお面を
たくさん飾って,餅を焼いて食べるが,上組と 下組の双方のシンボコの間で,若い者が互いに 相手方に忍びこんでシンボコ倒しをしたのだと 言う。それぞれ見張りをおいて倒されまいとし,時には乱闘になったりしたが,祭りが終われば,
けろっと忘れて仲よくしたそうである。〔鈴木
1 9 7 0
・39‑40J
さて,「センボク」は五十猛町の湊集落で現 在も行われており,同じく大浦集落ではこれを
「グロ」と称している。センボクの語源は,千 木あるいは,前述の鈴木のように神木かと思わ れるが,確かなことはわからない。グロについ ては,山中や草むらの住居の意だとする説があ るが,これも不明である。私たちが参与観察し た限りでは,湊のセンボクがこの地方の素朴な 形態で,大浦のグロは大型化した特殊な場合と 考えられ,それだけにグロは近辺では有名で,
最近ではマスコミもよく取材にくるようである。
なお,大浦の「グロ」は平成
7
年(19 9 5 )に
, 大田市の無形民俗文化財に指定された。いずれにしろ,以下,両者を比較しながら,大要を素 描してみよう。なお,山間の水上町には,今日,
この種の風習は全くみられない。
湊では,以前は毎年1月5日がセンボクサン の竹割りで,センボクの柱となる竹を用意し,
1
月11
日にそれを立て,そして1 4
日が祭り,1 5
日にこれを解体したのだが,いまは松の内をす ぎた日曜日にセンボクサンを立て,その次の 日曜日に解体している。また戦後の昭和26
年( 1 9 5 1 )頃までは,成人式を迎える数え年の2 1
歳の男子が中心になってやっていたが,現在は 若衆も少なくなり,3
地区の自治会が順に当番 制でやっている。平成7年は1月8日(日〉の 午前7
時に当番の湊3
区の人々が五十猛神社の 境内に集まって竹割りをし,センボクサンを立 てた。(写真II‑7)立てる場所はむかしから 神社の境内で,センボクの高さは写真のように,10m
ほどであり,中心の親竹に添え竹2本が束 ねられ,先端から少し下に,神招き棒と称する 横木を結ぶ。これに御幣がつけられるが,セン ボクサンの入口がその年の歳徳神(トシトクガ ミ〉が来られる方角(恵方),今年は申(さる〉と酉(とり〉の聞の庚(かのえ〉の方角に向け て立てられるのである。これを円錘状に多くの 助け竹で支えるが,それだけでは不安定なので,
四方からワイヤーロープで引張り,しっかりと センボクサンを固定する。なお中心の親竹の下 部には,五十猛神社の門松の竹をもってきて周 りを締め,全体の周囲を菰で囲み,入口に〆縄 を張ると,出来上りである。なお,かつて湊か ら京阪神へ大工や左官で出稼ぎにゆく若者が少 なくなかった当時は,そうした若衆が正月に帰 省してセンボクサンを立てたのだという。(I章
1の(4),参照〉
この湊のセンボクサンには,中に人が入れな いことはないが,後述の大浦のような十分なス ペースがなく,入って何かすることはない。
このセンボクサンの祭りは
1 5
日(日〉で,午 前10
時に玉十猛神社境内にある幼稚園で,やは り湊3区の人たちを中心に餅つきが行われた。立杵を手にした男たちが臼を囲んで,「今年や 豊 年 だ 穏 に 穂 が 咲 い て 道 の 小 草 に 米 が な る」と祝い唄をうたいながら,廻って掃くうち に,掃き上り,立派な鏡餅ができ上る。(写真E