• 検索結果がありません。

月の総大会以降に他界した,以前 の中央役員およびその他の著名な教会員

ドキュメント内 10485_TMP_71cover_JPN.indd (ページ 32-134)

元七十人定員会会員,マリオン・D・ハ ンクス長老,ジャック・H・ゴーズリンド・

ジュニア長老,モンティ・J・ブラフ長老,

2011年度統計報告

大管長会秘書

ブルック・P・ヘイルズ提出

いて短く話したいと思います。

第 1 に,ここで不公平に扱われた人が 一人もいなかった点に注目することが大 切です。最初の労働者たちは,1 日分の 賃金に同意のうえで,それを受け取りまし た。恐らく彼らはその仕事を得て非常に 感謝したことでしょう。救い主の時代の 平均的な個人や家族は,その日の稼ぎで 生活することで精いっぱいだったはずで す。もし畑や漁や商売などの仕事がなけ れば,食べることができなかったでしょ う。仕事の数よりも働けそうな人の方が 多かったので,その朝最初に選ばれた彼 らは,就 業 希望者の中でも最も幸運な 人々でした。

実際,だれかに同情するとしたら,扶養 家族を抱えながらも選ばれなかった人々 にまず同情するべきでしょう。幸運はい つも一部の人にだけ来るものだと,彼らは 思ったかもしれません。主人がやって来 ても,その度に,ほかの人が選ばれていく のを一日中眺めていたのです。

しかしその日の終わりに,何と主人が 5 度目に現れ,11 時間目にしてさらに労 働者を募ったのです。今まで雇われず最 も落胆していた労働者は,公平に扱われ るとだけ聞いて,賃金も知らずに仕事を請 け負います。何かもらえれば,何ももらえ ないよりはよいと分かっていたからです。

実際,その日はそれまで何ももらえません でした。賃金が払われる段になって,彼

らはほかの労働者と同じ額を受け取り唖ぜん

とします。どれほど驚き,感謝したで しょう。長い労働者生活の中で,そのよう な思いやりに触れたことは一度もなかっ たからです。

物語の背景をこのように理解したうえ で,最初に雇われた人の不満に目を向け る必要があるとわたしは思います。たと えに登場する主人の言葉を(わたしの言 葉も少し交えて)聞いてください。「友 よ,わたしはあなたに不正をしてはいな い。あなたは今日の賃金は十分だと同意 していた。仕事に就けたことに喜んでい たし,わたしもあなたの働きを喜んでい る。あなたは約束どおりの支払いを受け た。賃金を受け取って,その祝福を味わ いなさい。ほかの人については, わたし には,自分のお金でしたいことをする自 由があるのだ。」そして,当時も今も心を 貫く,万人が聞くべき鋭い質問が続きま す。「それともわたしが気前よくしている のでねたましく思うのか。」

兄弟姉妹の皆さん,この人生では,時々 だれかほかの人が思わぬ祝福や特別な称 賛を受けることがあります。ほかの人に 幸運が訪れても,わたしたちが決して傷つ いたり,ねたんだりすることがないように 祈ります。人に付け加えられても,自分の ものが取り去られるのではありません。

わたしたちは,豊かさや才能,美しさ,祝 福の多さを競っているわけではありませ ん。わたしたちがほんとうの意味で競っ ているのは,罪との戦いであり,ねたみは 最も身近な罪の一つです。

さらに,ねたみという過ちは尾を引くも のなのです。不幸な出来事自分に降り かかると心が少し痛むのは当然です。し かし,知人のだれか幸運が訪れると心 が痛むのがねたみです。何と明るい未来 でしょうか。周りの人に幸せが訪れる度 に,苦虫をかみつぶすのです! 終わり が来て,神が公正で憐あわれみ深く,御自分 に従った人に,聖文にあるとおり「自分の 全財産」2 を与える御方なのだと分かった 十二使徒定員会

ジェフリー・R・ホランド長老

ほど大管長会が召しと解任を 発表しましたが,わたしはこれ まで忠実に奉仕をしてくださっ た方々のことをいつまでも忘れることなく 愛していると,すべての皆さんに代わって 申し上げます。同時に早速,新たな職務 に召された人たちを愛し,歓迎します。わ たしたちの心からの感謝を皆さんすべて にお伝えします。

きょう日わたしは,救い主の一つのたとえ について話したいと思います。それは,

「労働者を雇うために,夜が明けると同時 に,出かけて」行ったある家の主人のたと えです。最初に労働者を朝 6 時に雇った 主人は,収穫を急ぐ必要が増すにつれて,

朝 9 時と正午と午後 3 時に戻って来て,

さらに労働者を雇いました。そして,聖文 によれば,最後に「五時ごろ」やって来 て,最後に労働者を雇っています。それか らちょうど 1 時間後,労働者がすべて集 められ,その日の賃金を受け取ることにな ります。驚いたことに,労働時間が異なっ ていたにもかかわらず,皆, 同額の賃金が 支払われたのです。最初に雇われた者た ちがすぐに怒って言いました。「この最 後の者たちは一時間しか働かなかったの に,あなたは一日じゅう,労苦と暑さを辛 抱したわたしたちと同じ扱いをなさいまし た。」1 このたとえを読んで,恐らく皆さん も,この労働者たちと同様に,ここでは不 公平だと感じるでしょう。その問題につ

ぶどう園の労働者たち

まさに今この瞬間に告げる聖なる御

たま

の促しにどうぞ耳を傾け

て,主イエス・キリストの贖いの賜

たま

もの

を受け入れてください。

ときには,大いに悔しがることになるで しょう。ですから,主のぶどう園から学ぶ 第 1 の教訓は,人をねたんでも,すねて も,けなしたりしても, 自分を高めること はなく,人を落としめても,自分のイメー ジは上がらないということです。ですか ら,人に優しく接し,神の優しさに感謝し ましょう。それが幸せに生きる道です。

このたとえから学ぶべき第 2 のポイン トは, 途中で起きた問題で頭がいっぱい になるあまり,一日の終わりに受け取るは

ずの賃金を放棄するという,悲しむべき過 ちを犯す可能性があるということです。

この聖句には,主人の顔に硬貨を投げつ けて,一文も受け取らずに怒って帰った人 について書かれていませんが,そのような 人もいたかもしれません。

愛する兄弟姉妹の皆さん,この物語で 9 時と正午と 3 時に起きた出来事は,そ の日の終わりに全員が受け取る惜しみな い報 酬に比べたら,何でもありません。

信仰の公式は,続けること,働くこと,や

り遂げること,そして,途中で悩みが生じ たら,それが現実のことであろうと,想像 上のことであろうと,最後に頂く豊かな報 いのもとに追いやることです。自分自身 や,隣人,あるいはまことの生ける教会に 関する,過去の出来事や不満にいつまで もこだわらないでください。あなたや隣 人の人生,そしてイエス・キリストの福音 のすばらしさは,最初から常にすべての人 に気づかれることはないかもしれません が,終わりの日には必ず明らかにされま す。ですから午前 9 時に起きた出来事に とらわれないでください。皆さんのその 日の仕事の取り決めがどうであれ,恵み 深い神は,午後 6 時に皆さんに報いを与 えようとしておられるのです。

子供のころピアノの発表会で大失敗を してしまった記憶や,今後 20 年は蒸し返 し続けてやると心に決めている 20 年前の 伴はん

りょ

の言動,あるいは死すべき人間は神 が期待しておられるような者になろうと常 にもがいていることをただ単に証明した にすぎない教会歴史のある出来事,わた したちはそうしたことにこだわり続けてい るために,とても大切な心と霊の力を使 い果たしています。不満の種をまいたの が自分ではなくても,その芽を摘むことが できます。やがてぶどう園の主とお会い するときに,皆さんはどれほど報われるこ とでしょう。地上で過ごす日が終わると,

すべてが清算されるのです。

これは第 3 のポイントにも関連してい ます。このたとえは,羊や山のたとえと 同様,ほんとうは労働者や賃金について 述べているのではありません。神の慈し み,神の忍耐と赦ゆるし,主イエス・キリスト の贖あがないについての物語です。寛容と哀れ みの物語であり,恵みについての物語で す。何年も前に聞いたことですが,神御自 身が最も喜ばれるのは,憐れみを受ける ことを期待していない人やその資格がな いと感じている人に,憐れみを施されると きであり,このたとえが言わんとしている ことは,まさにそれを表しているのです。

ドキュメント内 10485_TMP_71cover_JPN.indd (ページ 32-134)

関連したドキュメント