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● 春

ドキュメント内 一 Der erste 1)頭ent. (ページ 31-35)

季 端 艇 競 漕 曾

   

編 者

東風搦々ピして彩霞胎蕩︑天朗かに鳥謡ひ人億

                       百一

   

  鎌

方に花に醇ひ月に耽るの時︑一片の飛橡︷吾曹

が萬解の渇塵を欝癒して絃ふ我端艇競漕曾の畢

を報eぬ〇

月十五日︑描暁︑二登の號砲は爆然校庭の暖

露を破うて春の夜の残夢を掘かせり︑輕装大野

濱に向ふの時陰雲天を蔽ひ人は競÷竃Lて宿雨

再襲せんかを危ふむ︑濱に到るの比ひ雲ハ白

嶽の頂よ9破れて見るく麗々ε晴れ亘◇たる

青弩は忽ち赫々だる暁輝を吐いて燦光斜めに水

面を射う波絞綾の如く濃かなう︑見亘せは蓮江

長流︑溶々たる一⁝帯眠れるが如く静あユ卒和

を曝きつ︑逝き︑蓼廓εして人籟を聞か走︑焉

ん↓ゲ知らん此卒和萩る水域13藪賠の後︑條ちユ

して萬頃の怒濤Y呼んで鴎鷺の夢を驚かし寵闘

虎撰の批観Y起すの劇戦場ピならんピはo

                       百二 聴 計

入点︑劉暁たる鐘鈴は水Y亘うて響き殿︑瑞

島葦原の三艇︷白青赤仕帽衣を被れる勇士

を分載して影を清流ゐ砕く︑於戯︑艇は是れ連

月の冬眠に倦んで舵痕長へみ椎に印せざるを嘆

ぜし者︑艇員ハ是れ雲裡嘘邊の泰卒よ厭きて鐵

夜をに鳴ウて止まざりし者︑演身の覇氣森然

巴して正ユ鯨鯉Y屠るの慨あり︑齋しく讐頬に

を撲惚て徐うにスタートを指して瀕る体度

勇ψぐしさよo

忽然硝煙之揚うぬ︑砲響は聞えぬ︑観衆眸を注

ぐの慮三艇舳を井べて珠沫舷に蓬り擢聲軋々餅

車の如く奔霧の若く駒虎の勢殆と當る可かタ瑳

をして麗侵宇肩を鴛かし腕を振して快哉を連 呼 しむo

 今試みユ其一二を塞げん欺o

第 十七回  ︵職員競漕︶

  三 艇 波を裁冠て進む・と約五十迷突︑不幸白の

 一士認て流擢の災に陥り満艇之よ座せられて

  遽

檀の捕の義経此二の舞を演じ︑須史ゐし  て叉他士轄倒の厄に遇ふてピツチ爲に乱さる  赤青之を奇貨εし猛⁝進寛に宇治河の高綱たる

Y

り︑唯見る青吐操携宜しまに⑳なひ勢

頗る雄偉白龍の室を縫ふが如く激潭を形づく

 うつ︑進む勝算既み歴々さるを︑一漕叉一漕

 喝采聲裡に悠々決勝点に入∧・Lは之れ青衣青

乃艇員︒

      整調   五番

  村上致授︵殴閂學科︶

                            福見助教授                  

 宮川助致授

番    

   三番     二番

由 長  中俣教授 山瀬書記

 田  部

 ●漫  録 第二十回  ︵書學部撰手競漕︶

      一年︵赤︶二年︵白︶三四年︵青︶

 呼︑赴÷たる各七撰手︑休戚ハ懸つて各級の

  頭 あう︑中原の鹿途ユ誰が手に蹄せん哉︑

 號

O叫聲振ふ︑殺氣一道浪を衡いて袷渠

 鼎沸風馳電激鬼紬⁝も端俊すべうざるが如きや  

赤の優勢を吻々し白の必勝を喋々し青

 の蓮往Y噴々ゑ走Y人追ふ人之恰も狂するに

 似さり︑惜む可し青のコース梢乱れゑユn非

 ざるか︑舵手が煽聲叱陀太だ力めし巴錐も白  

機に乗ヒて勢倍÷加はウ衝風の如く流星の

3ゐ及之瑳して砲一登審剣棲上白姻は白旗

 を吐いて醗れり︑時を要する四分︑艇nこれ

穂號︑旺肚なるあな︑兵に日く戦克ちて懸

 驕う卒・惰る者・︷敗るピ︑善く戦ふものは︷勝を                      百ミ

   ●漫  録  

敗る︑の日に求め︑敗を勝つの日ユ度ふ︑勝

 て驕る可のら宇敗る︑も屈す可から竜易めよ  や健見o 舵 手

   整調    五番   四番

  辻 村 耕

 清

秀夫  井上隼雄  緬岡喜洋

番   二番    舳手

  都

熊藏 森岡惚太郎 高田重忠

競漕総て二十二回︑聴夕陽撤く傾き落霞水Y射

りて更に清し︑戦克つて擢を横へて孟將軍の古

を偲び︑手つから創震Yつ︑んで大塞ゐ哺けパ

豪氣牝斗を貫き︑胸間メダールの光は燦燗とし

て名樫の寵見を彰表し︑人をして坐うに提督子

姿を懐之しむ︑知ら瑳今夜の夢︑果

して那邊にか彷復之んo

會長之委員を集めて徐ろあ慰勢の辞を迷べて曰

                      百

成うてよう鼓に此初回の盛會を見る委

員の功多ピ・をるa足る望むらくハ旬將來に向

て努を惜まざらん乙εを︑ピ

    ●佐藤先生を送る 編者

樹蔭宇日の交も︑手を分つゐ方・りて相顧みて稠

帳キ︑燕遊一夕の朋も︑訣Y梯ふユ臨んで之声

依々ぜして傷祠す︑況んや師ピ仰ぎ弟芭愛しむ

乙巴殆ん澄六簑葛︑旦哺咳に陪して鴻﹇講の恩に

せしに於てをやo

柔 道 部

敷師佐藤怯賢先生︑將に職Y辞して京

都 大學繧科聴講生巴して入校せられんεすo先 生職Y我校に襲ふ︑實に明治廿入年な0きo當 時我柔道部創設の際ユ方ゐ・︑先生夙夜杭〃ピし

て諭へ︑絢々ピtて導き︑温篤惇さに赤誠實具

を掲して饒濫なLO實ユ我稜体育振與の實ピ.剛 健

佼武の美風Y獲揚せ・しは先生の功に蹄せざる

を得ず︒宜⑤り諸生の一たひ訓導Y蒙る岱の皆

然芭して其熱情に靡服し︑相率ひて以て永く

よ在るY得んヒ巴Y糞へうo圃らざ

6き︑今や突如冠を桂け瓢然として去られんピ

すO鳴呼今よう以後︑吾曹は再び峻乎だる風手

接して︑親しく豪肚の枝を修養し得ぎるを悲

しみ︑無聲堂裡亦先生の温容を仰・ぐ能亡ざるを

むc然れ︒世も酬て之を想ふ︑之れ軍に吾曹の

爲めに悲しむべくして︑而か吊先生の爲めに大

きもの︑吾曹登徒らに婦女の顔を爲さ

やo丈夫涙なきあ非卍離別の間に漉がそo往

けよ先生︑鴨河の翠︑嵐山の緑︑笑て先生の行

を迎へむo於戯思ふ所ハ功名よあう︑離別焉ん

   

漫  録 ぞ悲しむよ足らむo

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