3 . 1 は じ め に
ICTにおいて文字を表示するための「フォント」は欠かせない存在である。ソフ トウェアにおける日本語環境の整備を論じる際、日本語フォントが当然あるものと して展開されるが、実際には多大なコストをかけて開発された日本語フォントが無 ければ日本語環境は成立しない。
コンピュータ上で扱う日本語フォントには、1万字以上という字形集合の大きさ、
文字コード、異体字・外字処理、知的財産権、可読性などのクオリティ維持のため には多大な開発コストが必要などといった多くの課題を抱えている。
インターネットの普及により国際化が叫ばれる中、日本の IT 産業が競争力をも って開発を推進するため日本政府は OSS 普及推進を進めてきた。しかし、OSS に おける開発環境、異なる OS 間におけるマルチ OS 環境で、日本語の処理、表示を 行うためには日本語フォントは必須であるが、これまで、OSSで利用可能な日本語 フォントは存在していなかった。オープンな日本語フォントの不在がOSS活動さら には日本のソフトウェア産業の活性化の大きな障壁となっていたことから、独立行 政法人 情報処理推進機構(以下 IPA)は、2003 年より「IPAフォント」をある制 限のもとで提供してきた。IPAフォントは、商用フォントと同等レベルの字形集合 を保持し印刷にも対応できる可読性を追求した高品質フォントである。しかしフォ ントを情報通信基盤として明確に位置づけ、それを基盤として整備するためにどの ような条件が必要か、 どのような整備の方針がありうるかを検討した研究はなく、
IPAフォントは、充分な管理体制およびライセンス体制にはなかった。本研究はこ れを試みるものである。
本章では、技術と社会環境の変化により公共フォントとして日本語パブリックフ ォントという新たなドメインが必要とされてきた状況を整理し、IPAフォントでの パブリックフォントの整備事例を提示し考察することで、今後の日本語パブリック フォントの課題を提示する。
本研究は、筆者が 2007年から現在まで IPAの研究員として在籍し、IPAフォン
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ト(Ver.002)の公開(2007年10 月1日に公開実施)の担当者として活動する中、
公開方針の検討にあたって調査・研究を行った結果を基に、筆者が日本語パブリッ クフォントの課題を検討したものである。この研究は IPAの了解を得て、筆者を第 一著者として学術雑誌に投稿・掲載された。
この研究で得た成果は、初めての日本語パブリックフォントと呼べるIPAフォン トの今後の運用に役立てることができる。さらに、広く本研究成果を公開すること で、未整理であった日本語フォントのポジショニングを明確にし、今後のOSSをは じめとするソフトウェア産業の育成にあたっての基盤整備に必要な課題を提示し、
さらなる議論が展開されることが期待できる。
3 . 2 フ ォ ン ト の モ ジ ュ ー ル 化 ・ オ ー プ ン 化
フ ォ ン ト を 情 報 通 信 基 盤 と し て 整 備 す る う え で の 重 要 な 着 眼 点 は 、 モ ジ ュ ー ル 化・オープン化である。
Carliss Y. Baldwin, Kim B. Clark (2000=2004)はパーソナルコンピュータに おいてモジュール化の発想がいかに重要であり、それがいかにイノベーションを創 出し、ソフトウエア産業、シリコンバレー、ネットワーク経済を生んだかを示した。
国 領 (2003:72) は 多 数 の 技 術 の 複 合 し た シ ス テ ム に お け る 自 律 ・ 分 散 ・ 協 調 の 基 盤を支える重要な設計思想をオープン(開かれた構造)化とした。オープン化の前 提としてモジュール構造がある。
しかし、モジュール化はイノベーションを加速させる側面を持つが、モジュール は共通のインターフェースを持つため冗長性を内包しており(青島・武石、2001:43)、
システムが最適なパフォーマンスを得るためには構成要素間の情報を仲介する機能 が重要となる。
日本政府がOSSを推進する理由には、ソフトウェア技術の中での知識共有による イ ノ ベ ー シ ョ ン の 促 進 が あ げ ら れ る ( 田 代 、2006:540)。 一 国 の 持 続 的 な 成 長 、発 展を実現するために、イノベーションの促進は、政府の政策にとって重要なテーマ で あ る ( 後 藤 、2001:9)。 社 会 構 造 の 変 化 の 中 で 、 日 本 経 済 の 成 長 ・ 発 展 を 促 す た めのイノベーションの促進の中で求められているオープンな日本語フォントを定義 することは、情報通信基盤の整備と言える。プロセス全体を解決するその問題点を 明らかにすることが、イノベーションへの道の具体的な活動(宮原、2005:243)で
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あり、日本のソフトウェア技術の中での日本語問題を明らかにすることは、イノベ ーション促進活動とおける。
本 論 文 に お け る 「 基 盤 」 と は 、 イ ン フ ラ ス ト ラ ク チ ャ ー (infrastructure) を 指 しており、社会資本と同義語として用いられることが多い。社会資本は通常政府に よ っ て 整 備 さ れ る ( 羽 田 、2010)。 ま た 、 社 会 資 本 は 社 会 的 間 接 資 本 ま た は 社 会的 共通資本とよばれることもあるが、これは、社会資本が生産活動や消費活動などの 経済活動一般の基礎となり、財・サービスの生産に間接的に貢献することを意味す る(大塚、2010)。本論文で扱うオープンな日本語フォントは、OSS 推進により日 本経済の成長・発展を促すという経済活動の基礎として、政府から提供された公共 財として捉えることができる。
「2.6 日本語フォント」でみたように、日本語フォントは、パーソナルコン ピュータの出現とネットワーク社会化により、データでの情報交換を可能とする環 境への対応として、標準化・規格化の必要に迫られ、結果としてクローズドなモジ ュールからオープンなモジュールへと変化していった。
イ ノ ベ ー シ ョ ン 加 速 を 前 提 と し た 公 共 フ ォ ン ト の あ り 方 を 検 討 す る に あ た っ て はフォントというプラットフォームのデザインを考えるべきであろう。プラットフ ォームとは「第三者間の相互作用を促す基盤を提供するような財やサービス」であ り、プラットフォームに適度な制約とルールが存在することで、創発的な価値創造 を促す(国領、2003:114-117)とされる。フォントは、プラットフォームとしては 未整備であるために、創発的な価値創造にとってボトルネックとなってきたように みえる。従って、これからの公共フォントを考える上で、適度な制約とルールを見 いだすことが重要である。日本語フォントが最適に機能するための情報を仲介する システムをデザインすることが、日本のソフトウェア産業のイノベーション促進へ とつなげるための課題である。
3 . 3 日 本 の OSS 政 策 と フ ォ ン ト 3 . 3 . 1 OSS の 社 会 的 役 割
OSSは、1998年に設立されたオープンソースイニシアチブ16(以下 OSI)が推進
16 Opensource.org、Open Source Initiative:http://opensource.org/
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す る 新 た な ソ フ ト ウ ェ ア の 開 発 ス タ イ ル で あ る 。Raymond(1999) は 、 旧 来 の 組 織 的 な 開 発 ス タ イ ル を 「 伽 藍 (Cathedral) モ デ ル 」 と す る の に 対 し 、 誰 も が 自 由 に 集 ま り 、 好 き 勝 手 に 、 他 方 で 協 調 し な が ら 開 発 を 進 め る モ デ ル を 「 バ ザ ー ル
(Bazaar) モ デ ル」 と 名 付 けた 。OSS は ソ ー ス コー ド を 開 示し つ つ 「 バザ ー ル モ デル」で開発を進めることで、様々な開発者の知見を効果的に一つのソフトウェア に集めることができる。世界レベルでのオープンな開発コミュニティの中で、メー リングリストや Webで情報公開をおこなうことで、貢献や贈与という開発者自らの 開発モチベーションを維持し効率的かつ継続的なソフトウェア開発を可能にしてい ると捉えることができる。
また、OSSライセンスは、誰もが一定の条件に従えばソースコードを自由に利用
(複製・配布・改変)できることが重要なポイントである。OSSであるかどうかは、
OSI による定義である The Open Source Definition(以下 OSD)を満たしている かどうかであり、ソフトウェアの著作権者は、ライセンスによってそのソフトウェ アをどう扱ってほしいかの意志表明をすることになる。OSDでは「フリーであるか どうか」をベースにした OSS の条件のガイドラインが設けられており、OSS 利用 者は利用の際に著作権者とライセンスについて調整することなく安心して利用でき る。つまり、OSSとは、図 7に示すように、OSIが OSDを満たしていることを確 認した上で承認したOSSライセンスのもとで公開されるソフトウェアである。
OSSで最も有名な例に、1991年にLinus Benedict Torvaldsが開発したLinux OS が あ る 。 そ の 他 に も Apache、Tomcat、Emacs、PostgreSQL、MySQL、JBOSS といった OSSミドルウェアや業務アプリケーション、システムの開発環境において もOSSの活用が進んでいる。これらの OSSは、ソースコードを公開するとともに 広く多くの意見を取り入れることから、オープンスタンダードを採用していること が多い。つまり、OSSの採用はオープンスタンダードと直結することで、技術的な リスクを回避することにもなる。