第 6 章 数値計算手法
6.4 既往津波の痕跡高を説明できる断層モデルの策定
6.4.1 計算モデルの適合度の評価
計算モデルの適合度は,適切な地形条件と波源モデルを用いて津波の解析を実施し,精 度の高い痕跡高データを用いて,相田(1977b)による幾何平均Kおよび幾何標準偏差κに基 づき評価する。
(1) 評価基準
津波痕跡高と計算値の空間的な適合度を表す指標として,従来,相田(1977b)による 幾何平均Kおよび幾何標準偏差κが適用されてきた。Kおよびκの定義式は次のとお りである。
== n
i
Ki
K n
1
1 log log
( ) ( )
2 / 1 2 1
2 log
1 log
log
−
=
=
K n n K
n i
κ
in : 地点数
K
i= R
iH
i
R
i : i番目の地点での痕跡高H
i : i番目の地点での計算値なお,κの推定誤差は地点数に依存するため,K およびκの算出にあたっては,参 考として地点数を明記するべきである。
(2) 地形再現の必要性
再現性の確認に用いる津波痕跡地点周辺の地形は,可能な限り津波発生時の実地形 を反映したモデルとするべきである。海岸付近の地形の変貌や,港湾・漁港の整備状 況等を調査し,津波発生時の地形条件の設定を行うことが望ましい。
(3) 痕跡地点と対比する計算遡上高の選択方法
津波痕跡高と陸上に遡上した計算遡上高とを対比する場合,計算遡上高は痕跡地点 の含まれる格子付近の値を用いることが原則である。ただし,計算における津波遡上 範囲が痕跡地点にまで及ばなかった場合やモデル化における地形表現上の制約がある 場合,痕跡地点に近い計算遡上高で代用させてもよい。
遡上計算を実施していない場合においては,想定される痕跡地点への進入経路とな る海岸線の格子周辺の値を用いる。また,痕跡高のデータ分布数に地域的な偏りがあ り総合的な再現性が得られないと考えられる場合,これらの影響を排除する工夫を施
すことが望ましい。
(4) 留意事項
再現性の確認に際しては,本編 3.1 で示した既往津波に関する調査で得られた痕跡 高を用いることができる。ただし,痕跡高の信頼性が疑わしいものについては,出典 等に立ち戻り痕跡高記録の精度の再検討を実施し,信頼性が低い場合には適合度の評 価において除外することができる(付属編 4.8.1を参照)。
なお,津波の周期と検潮儀の応答特性等によっては,検潮記録は痕跡高よりも小さ くなることがある(付属編 4.8.2を参照)。このため,断層モデルの適合度の評価にお いて,痕跡高のかわりに検潮記録の最大値を用いる場合には,痕跡高と検潮記録の系 統的な違いについて十分留意する必要がある。
津波堆積物調査結果に対する再現性の確認を行うにあたっては,相田(1977b)による 幾何平均 K および幾何標準偏差κを適用する必要はない。ただし,津波堆積物調査結 果は過去の津波の最低限の高さもしくは遡上範囲の拡がりに係る情報であるため,計 算結果はこれを上回る結果となっている必要がある。
6.4.2 既往津波の痕跡高を説明できる断層モデルの策定
既往津波の波源モデルについては,沿岸における津波の痕跡高をよく説明できるように 波源のパラメータを設定する。
一般に,地震に起因する津波の場合,地震動を説明できる断層モデルと,津波の痕跡高 を説明できる波源モデルは必ずしも整合しない。本書では津波の評価に主眼を置いている ため,既往津波の波源モデルを設定するにあたっては,沿岸における津波の痕跡高をよく 説明できるように波源のパラメータを設定することが第一に重要である。
(1) 一般
既往津波の波源モデルを設定する際には,沿岸における津波の痕跡高をよく説明で きるように,すなわち,相田(1977b)による幾何平均Kがほぼ 1 となるように,かつ,
幾何標準偏差κが可能な限り小さくなるようにパラメータを設定する。
広域のKおよびκについては,次の条件を目安とする(土木学会,2002)。 0.95 < K < 1.05
κ < 1.45
広域にわたる痕跡高分布の全体的傾向を説明できるようにすることが重要であると ともに,評価地点周辺で良好な再現性を持つことにも留意すべきである。
評価地点周辺に着目して再現性を評価するための痕跡高を選定する場合には,評価 地点からの距離が近いこと,また,K およびκを算出するために必要な痕跡の数を確 保できること等を考慮する。また,検潮記録を参考にできる場合には,津波の波長や
位相等も表現できるようにパラメータを設定する。
なお,地震による津波の記録に加えて当該地震の諸特性(余震分布,発震機構解,
地震前後の地殻変動量等)が把握できている場合には,それらを参考にすることがで きる。
一方,痕跡高記録の信頼性の低い歴史津波を対象とする場合,最近の津波と同水準 の再現性を期待することはできない。
(2) 文献で提案されている断層モデル
主要な既往津波については,文献で津波の現象を再現できる断層モデルが提案され ていることが多い。既往津波を評価するにあたっては,これらのモデルを参考にする ことができる。このような断層モデルをとりまとめたものとして,佐藤編(1989)があ る。
これらのモデルのうち特に出典が古いものは,プレート境界面の深さとの整合性等,
近年の地震学的知見に照らしてモデルの設定が不適切な場合や,津波の計算格子間隔 が粗く精度の低い津波解析となっている場合もあるので,必要に応じて断層モデルの パラメータを修正することができる。
なお,文献で提案されている断層モデルの中には,痕跡高ではなく,検潮記録を再 現できるように設定されたものがある。津波の周期と検潮儀の応答特性等によっては,
検潮記録は痕跡高よりも小さくなることがあるため,検潮記録を用いて設定された断 層モデルを使用する場合には,検潮記録と痕跡高の系統的な違いについて十分留意す る必要がある。
(3) 津波インバージョン解析による断層モデルの策定
既往津波に対する適切な断層モデルが提案されていない場合,津波インバージョン 解析によって断層モデルを策定する方法が有効である。代表的な手法として,以下が ある。
① 非線形インバージョン手法
ガウス-ニュートン法による非線形モデルの線形近似反復解法(例えば中川・小 柳,1991)であり,数値計算モデルとして非線形長波理論を用いることができるが,
計算時間が膨大となる。中央防災会議(2003)はこの手法を応用(粗メッシュと詳細 メッシュとの水位比率を換算係数として用いる)して使用している。
② 線形インバージョン解析
数値計算モデルを線形長波理論とした線形インバージョン解析は,計算が高速で あり容易に計算できるが,非線形性を考慮できない。Satake(1987)の手法に対し,
谷岡・馬場(2004)では推定パラメータの平滑化や拘束条件を与えた手法も提案され ている。
③ 浅水変形効果を考慮した線形インバージョン解析
安中ほか(1999)による津波インバージョン手法である。浅水変形効果を除去した 観測値を目標値として,グリーン関数を用いたインバージョン解析の繰り返しに,
非線形長波理論による順解析を組み合わせて非線形効果を考慮した波源モデルとし て収束させていく手法である。
津波インバージョン解析で推定するパラメータは,すべり量とするのが一般的であ る。走向,傾斜角,すべり角等はあらかじめ地震学的知見等に基づき設定しておき,
想定される波源域を包絡する領域を複数の小断層に分割し,個々の小断層のすべり量 分布をインバージョン解析によって求める。小断層の数が多い場合は,すべり量を同 じと仮定するグループごとに分割する等により,未知数(すべり量を推定するグルー プの数)の軽減を図ってもよい。
津波インバージョン解析の再現対象には,津波検潮記録や津波痕跡高,地殻変動記 録等が用いられ,これらの観測値と計算値との残差二乗和が最小となるような断層す べり量を最適解として求める。ただし,検潮記録等の観測記録が十分得られない歴史 津波等では,未知数を多くすると解が不安定となるため,未知数の制限や,谷岡・馬 場(2004)による平滑化や拘束条件を与える等の工夫が必要となる。
東北地方太平洋沖地震の津波インバージョン解析では,十分な観測記録が得られて いることもあり,断層面上の破壊伝播やタイムラグを考慮したインバージョン解析を 行った事例として,Satake et al.(2013),杉野ほか(2013),Takao et al.(2012)等が 報告されている。