たん じょ
りゅうれいせき す き や
マップ番号 H‐6
松風庵
面積 約 42.9 ㎡〈約 13 坪〉
2 室からなる庵室で、星溪寮と積翠閣 との中央に位置し、当初は渡り廊下でつ ながっていましたが、現在は独立した建 物になっています。
前庭は、この庵の静かで落ち着いた柔 らかい数奇屋の建物のたたずまいをかも し出しています。
積翠閣
面積:約 72 ㎡〈約 21.8 坪〉
松風庵の北に位置し、当初は、昭和 5 年
(1930)澹如翁の長男耕一郎により建て られたものでした。高床式の建物で、
和室と洋室からなり、月見台もあり、
庭園の眺望が一段と高められ、静かな 情緒を味わえます。玄関に入ると、星溪 園や澹如翁などについての資料も展示さ れ、澹如翁を偲ぶことができます。
庭 園
総面積:3847 ㎡、池の面積:1020 ㎡ 正門を入ると右側に大きな石碑があり ます。これは澹如翁の長男耕一郎の撰文 で、酒井瑞石(天外)翁が書かれた星溪 園記碑です。
星溪園の前庭には、袖振り石・天柱石 があり、文禄の役 (1592〜 1593) に加藤 清正が朝鮮から持ち帰ったもので、忍城 主松平忠吉が譲り受け、後に澹如翁の 手に渡ったものであるといわれていま す。
庭園には、多様な植物が植えられ、庭石は約 40 個置かれ、石造美術品は灯籠・層塔・
十王供養塔など約 20 個あります。
しょう ふう あん
せき すい かく
しの
せんぶん
熊谷市指定記念物・名勝
切れ所 と 中の渕
−荒川の歴史を 記憶する名勝−
熊谷市の大里地域にある「切れ所」(小泉地区)と「中の渕」(小八林地区)は自然 地形の変遷を現在に残す貴重な遺産であることから、熊谷市の記念物(名勝)として 文化財指定されています。ともに明治初期以降の度重なる荒川洪水の破堤により形作 られた池であり、堤防を破った水が土壌を抉り取り、押し出した場所に水が留まった ことから、「押堀」とも称されています。
「切れ所」は、昭和 13 年(1938)の洪水の際に現在の形へと拡大した経過を辿り、
屈曲した沼地の線が残されているなど保存状態が良好です。面積は 7,200 ㎡を測り、
荒川右岸に残されている押堀の中では比較的大きい規模を誇ります。また、「中の渕」
は大芦橋に隣接した場所にあり、形成当初より規模が小さくなりましたが、安定した 水量を維持しています。現在では、この二つの池はヘラブナ釣りの名所として、市内 外から多くの人々が訪れています。
なお、「切れ所」は、平成 25 年(2013)に刊行された文化庁『名勝に関する総合調査』
において重要事例に指定されており、貴重な自然的遺産として評価されています。荒 川の歴史と深いつながりのある二つの名勝を未来に残すため、景観の保護を継続的に 行っていく必要があります。
切れ所 中の渕
コラム コラム
えぐ
おおあし
たど おっぽり
熊谷市指定記念物・名勝
三尻観音山
所在地:三ヶ尻 時代:江戸
三ヶ尻地区にある独立した丘陵で、古い地層が 確認できるなど地質学的な特色をもっています。
眺望もよく、特に南方は視界が開けています。標 高 83.3m、周囲約 850mで、松・なら・くぬぎな どが植生しています。北麓はニッコウキスゲの自生地として有名です。南麓にある龍 泉寺は、渡辺崋山ゆかりの文化財(県指定絵画の松図格天井画・紙本淡彩双雁図、県 指定書跡の龍泉寺本訪瓺録)を所有しています。
熊谷市指定記念物・名勝
崋山築庭園
所在地:押切 時代:江戸
渡辺崋山の意匠に基づいて築かれた庭とされて います。木石の配置高低起伏は南画の趣があり、
画人の描き出しそうな作庭の様相であるとして評 価されています。
み しり かん のん やま
か ざん ちく てい えん
き しょ なか ふち
ごうてんじょう
マップ番号 H‐2
マップ番号 I‐4
マップ番号 J‐7 マップ番号 L‐9
埼玉県指定記念物・天然記念物
元荒川ムサシトミヨ生息地
所在地:久下・佐谷田
世界で熊谷の元荒川上流域だけに生き残っ
たムサシトミヨは、トゲウオ目トゲウオ科トミヨ属の淡 水魚で、成魚の体長は約 5cm です。平成 3 年(1991)、
この源流部の約 400 メートルが「元荒川ムサシトミヨ生 息地」として県の天然記念物に指定されました。ムサシ トミヨは環境省レッドリストでは絶滅危惧 IA 類(CR)
に指定され、絶滅が危惧されている種です。ムサシトミ ヨの生態には、15℃前後の清涼な湧水と、水草が適度に 繁茂した環境が必須であると考えられています。一年魚 のムサシトミヨは、成魚となった雄が水草などで直径
3cm 程の球形の巣を造ります。その後、雌を誘い込み、巣内で産卵、受精した後、
雄が子育てをするという珍しい特徴があります。
なぜ、ムサシトミヨが熊谷だけに生き残ったのでしょうか。昭和30年(1955)代後半、
湧水が枯渇し関東各地のムサシトミヨの生息地が急激に減少していきました。そのよ うな状況下、元荒川の源流部にあった県の水産試験場や民間の養鱒場が試験研究や養 殖のために地下水を絶えず汲み上げていたことから、水の供給が止まることなく、ム サシトミヨの生息環境が維持されたのです。
現在、天然記念物となっている区間は、行政と「熊谷市ムサシトミヨをまもる会」
など地域の住民が協力しながら、環境保全が行われています。このような努力が実を 結び、平成 25 年(2013)12 月にはムサシトミヨをまもる会の活動が日本ユネスコか ら評価され、「プロジェクト未来遺産運動」に登録されました。