ところで「メディア」の概念の理解について、晩年のルーマンにおいて、心 理学者のF.ハイダー( Fritz Heider )の影響が大きくなっているのは周知の
政治システムも中心と周縁に構造化されている 9 0 ) 。政治システムの中心は政 治的選択をする選挙であり、選挙の結果、与党の綱領(Program)がその後の
国家機関の行動のプログラムとなる。そのプログラムの実行、適用の結果は 個々の国民の生活に直接影響し、政治的に評価される。国民の中に大きな不満 をいだく層が存在すれば、さまざまな抵抗運動(
Protest
)が生じるかもしれ 図6 ニクラス・ルーマンによる民主制における公衆、狭義の政治、行政の間の権力循環
政治
公衆
行政
二 二 三
ない。国民による政治の評価や抵抗運動の活動は世論の形成を通じて次の選挙 の結果に影響するであろう。抵抗運動はルーマンにおいて決して小さくない意 義を割り当てられている。それは、あたかも社会の外に立つかのごとくするこ とで社会全体を観察する立場に立つという特異な位置を有し、その結果、あら ゆる既存の文脈に再考を迫る問題提起をする可能性を持つのである。
3 古典的な政策過程モデル
以上を前提に政策過程における法システムと政治システムの交差を一般的に 考えてみよう。まず政策過程のすべてにおいて政治的コミュニケーションが行 図7 ニクラス・ルーマンによる狭義の政治の中心/終焉−分化
外周縁
内周縁
中心 政府 野党 政党
連盟 環境
公衆 経済 宗教 科学
抵抗運動
Jan Fuhse, 2005, S. 89
二 二 二
われているのはあきらかである。たがこの過程を少し立ち入ってみれば、法的 コミュニケーションも行われているのも明らかである。法使用あるところ法的 コミュニケーションあり、なのであるから。したがって政策過程のいたるとこ ろで法システムと政治システムは交差していることになる91)。
政策過程が社会ごと政策領域ごとに多様であるということは、すなわち、法 システムと政治システムの交差のパターンが多様であるということにほかなら ない。しかし、古典的と目される政策過程をモデルとして構築し、そのような モデルのもとで法と政治の交差はどのように生じるかを、今まで導入してきた 概念で以って記述し、いくばくかの推論をすることは充分に可能であるし、そ れが単なるモデルに過ぎないということを忘れなければ有益であろう。ポイン トになるのは、政策過程に実体的規範でどのような制約が課されるか、手続規 範で手続の参加者となりうるものがどのように規定され手続の進行段階に応じ た手続的権能の配分がどのようになされるか、などである。
選挙のコミュニケーションの一周期は、前の選挙で議席の配分が決まって
(その議席配分に有権者がYESと言ったことになる)から今度の選挙で新たな 議席配分が決まるまでである。選挙と選挙の間には、公衆同士の間、公衆と狭 義の政治界に属する行動主体との間での期待的評価的コミュニケーションが短 い周期で社会のなかを駆け巡る。A党支持の市民から市民へのコミュニケーシ ョン・ネットワークと
B
党支持の市民から市民へのコミュニケーション・ネッ トワークは異なりうる(コミュニケーション・ネットワークの粗密存在テーゼ)。 コミュニケーションの名宛人の範囲に限定はない。法規範による統制は、扇動 の排除、不公正な政治活動の排除などのほかはあまり存在しない。国会の機能は多様であるが、政策の遂行のために法律の制定が要求され現に 制定されることがあり、そのケースが、法システムと政治システムとの相互関 係との関連では重要である。法的規律がすでに及ぼされている領域での立法の 場合には、前の立法(法律成立の時点で国会がYESを言ったことになる)から 次の立法までが一周期である。ここでは、前の立法に対する評価、次に制定さ れるべき法律への期待が内容になるので、ここで行われる政治的コミュニケー ションは期待的評価的コミュニケーションが主となる。この場面での法規範に 二
二 一
よる統制は、憲法上の手続的実体的制約、国会を組織する規範、既存の法との 整合性などであるが、一般には法的規律はそれほど強くない。このコミュニケ ーションの名宛人は国会の構成員である(図7 ニクラス・ルーマンによる狭 義の政治の中心/終焉‐分化の「中心」)。もちろん期待的批判的な政治的コミ ュニケーションは国会外部でも一般市民を名宛人として行われているが(図7 ニクラス・ルーマンによる狭義の政治の中心/終焉‐分化の「内周縁」「外周 縁」「環境」)、この二つの評価的期待的コミュニケーションは、一つのコミュ ニケーションにおいて交差するという関係にはないので、相互浸透は生じない。
ただし、別の機構を通じた後者から前者への影響もありうる。ルーマンの理解 では、狭義の政治は「世論」を自らの「鏡」として自らの方向を定めるのであ
るが9 2 )、世論の形成に後者の評価的期待的コミュニケーションは寄与するから
である。
ここまでは、法規範の統制はあまり強いものではなく、政治勢力間の政治的 資源(市民の対する説得力なども含む)の配置が上記の諸評価的期待的コミュ ニケーションの帰趨を決する度合いの方が、一般には高いであろう。したがっ て、一般的には、制定された法律の内容に上記の政治的コミュニケーションを 経た政策選択が反映する度合いの方が、ここまでの政治過程を枠づける上記の 諸規範の規範内容が政策の内容を決定づける度合いよりも大きいであろう(浸 透の方向性定理)93)。
立法は、次の立法までの一周期の起点でもあれば、政策プログラムとして行 政に渡され権力的コミュニケーションの起点にもなり、場合によっては憲法裁 判にいたる法的コミュニケーション94)の起点にもなる。
立法は、通常の政策過程においては、権力的コミュニケーションの起点とし ての意義が重要である。古典的モデルでは、この段階では、相当の範囲の行政 から市民への権力行使95)=政策実施は同時に法的コミュニケーションでもある ことが多く(両システムの交差=相互浸透の発生条件充足)、政策実施が法律 内容の実現となるように、つまり法システムから政治システムへの一方的な浸 透が生じるほどに、法律の枠付けは可及的に厳格であるのが理想とされた(浸 透の方向性定理)。
二 二
〇
この政治的コミュニケーション(のうちの権力行使のコミュニケーショ ン)=法的コミュニケーションにおいて、古典的モデルでは、市民側の名宛人 は、政策実施を授権ないし統制する法規範の構成要件の人的要素に該当するも のか、その法規範に定められた正負のサンクションの名宛人になっているもの、
その他の当該決定手続に妥当するに手続規範によって定められたものに限定さ れる。
行政から市民への権力行使の過程で同時平行的に、あるいは前後して、その 権力行使についての期待的評価的コミュニケーションが進行することは充分あ りうるが、そのコミュニケーションの名宛人がその権力行使の名宛人と重なら ない限りで9 6 )、権力行使のコミュニケーションと期待的評価的コミュニケーシ ョンは交差せず、相互浸透は生じない。また、行政過程には、狭義の政治界と 異なり、当該時点での世論ではなく事前に定立されている法規範に志向するよ う要請されているので、世論の鏡機構を通じた、期待的評価的コミュニケーシ ョンから権力行使のコミュニケーションへの影響もほとんどない。このように 分離された期待的評価的コミュニケーションは、次の選挙や立法過程に接続し ていくべきものとされる。国家機関の市民への権力行使は、市民の期待的評価 的コミュニケーションの対象となるが、場合によっては訴訟が提起されて裁判 所の審査を受けることになる。
古典的な政策過程のモデルでは、選挙と狭義の政治界での議論を通じて形成 された国民意思を具象化した法律を行政機関はたんなる執行機関として執行す るとされる。このモデルの特徴は、政治の期待的評価的コミュニケーションか ら法への浸透を立法の一点に集中して、以後は、公式的権力的コミュニケーシ ョン=法的コミュニケーションと評価的期待的コミュニケーションの厳格な峻 別を行うことである。
総じてこの過程では、同時に法的コミュニケーションでもあるところの権力 行使のコミュニケーションと、期待的評価的コミュニケーションの厳格な分離 が特徴であり、その分離は当該手続に直接の関係者のみを包摂し他のものを排 除するということにより、制度的担保されている。裁判では、原告・被告・裁 判所のみが名宛人である。
二 一 九