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要するに,スミスは「永久債」による国家債務の累積は,「国民が年々消費する必需品と便益品」

の量を減少させることに繋がり,国家債務が累積した国家は,正義に反する「貨幣単位の引き上げ」

や「鋳造貨幣の改悪」という手段に頼らざるをえなくなり,結果として統治に対する国民の不信を 招くことを危惧していたわけである.

(2)経済発展と国債

スミスは国防費を国家が負担すべきもので,しかもそれは,社会の発展とともに不可避に増大し ていかざるを得ないと理解していた.というのも,分業の展開とともに国の富は増大してゆくが,

文明国はその富を狙う他国の侵略に晒されるからである.

分業の展開は,自らの生産物との交換によって必需品を手に入れる人々を増大させるが,製造業 者や職工などの人々は従軍して生産活動に従事できなくなると,生産そのものが減少し,生産技術 も後退を余儀なくされる.それを避けるため,国が常備軍制度を整備すべきだとスミスは主張した のだが,くわえて,分業が展開して生産技術が高度化すると,迫撃砲のように非常な高価な火器が 使用されるようになり,国防費は増加して行かざるを得ないから,とうてい個人レベルでは負担し 切れないという理由もあった.だが,商業の発展によって貸し付け能力をもつ大商人や製造業者が 誕生し,彼らが「政府の正義」を信認すれば,自らの利益のために政府に対する貸し付け意志を強 く持つようになる.結果的に,経済が発展すればするほど,政府は国債を発行して次第に多量の財 源を確保することができるようになる,とスミスは理解していたことになる.

このように政府に借り入れる必要性をもたらしたほかならぬ社会の商業的状態が,道徳原因

(moral causes)の作用によって,国民のあいだに貸し付けをする能力と気持ちの両方を生み出

す.もしそれが,それと同時に一般的に借り入れの必要性をもたらす場合には,それと同様に,

それと一緒にそれを遂行する融通性を生み出すことになるだろう.(WN. V. iii. 5)

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貨幣を「貸す側」と「借りる側」を同時に生み出し,国家債務あるいは公信用を成立させた「道徳 原因」とは,いったいどのような概念なのであろうか.

貨幣を貸し付ける能力と気持ちとを備える「貸す側」は,「商業や製造業」の繁栄に伴って生まれ,

「商業や製造業」が繁栄するためには「政府の正義」に対する国民の信頼が不可欠である,とスミ スは理解していた.「政府の正義」を信頼するからこそ,「大商人や大製造業者」は,政府の債務証 書に投資するのである(WN. V. iii. 7).

国家の緊急の必要は,貸し手にとって極めて有利な条件で政府に借り入れさせようとするのが ほとんどの場合である.当初の債権者に与えられた証書は他のいかなる貸し手に対しても譲渡 可能であるから,その国家の正義に対する普遍的な信頼にもとづいて,最初に払い込まれた分 を上回る価格で市場売却されるのが一般的である.商人と金持ちは政府に金を貸して金儲けす るわけであって,取引用の資本を減少させるのではなく,むしろ増やすことになる.それゆえ 金持ちは,行政府が,新規の借り入れ向けの初回応募に彼が加わることを認めた場合,それを 一般的には好意であるあと理解する.このような理由から,商業国家の国民のなかには,貸し 付ける傾向と意欲が存在するわけである(WN. V. iii. 7).

政府に金を貸す商人や製造業者は,金を貸すことで自己の資本を減らすどころか増やすことになる.

債務証書は売買可能であり,国家に対する信頼が高ければ,その債務証書は高く売れるからである

(WN. V. iii. 7).つまり,「貸す側」の投資する動機は,「借りる側」に対する期待と信頼が基礎であ

り,それは「道徳原因の作用」あるいはその結果である,とスミスは理解していたわけである.し かし,ここでいう道徳原因とは,人々の自己利益についての期待あるいは合理的な判断のみを意味 しているわけではない,ということに注意が必要である.

もちろん,スミスは理性的に考えることが我々の行為すべての基礎であると主張しなかったか し,より限定された意味で(おそらくデイヴィッド・ヒュームほどではないが),情緒(emotions)

や感情に考慮すべき余地を与えた.しかし,スミスは,特定の行為に対する我々の本能的な反

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応でさえ,「膨大なさまざまな事例」における行為と結果との間の因果関係について筋の通っ た理解に頼らざるをえないと考えるのである.(Sen 2013, 585)

『道徳感情論』でスミスが明らかにしたように,共感,適合性,公平な観察者による是認という 一連のプロセスが「膨大なさまざまな事例」を通じて繰り返されるなかで,「行為の結果との間の因 果関係について筋の通った理解」が得られながら,正義という「一般規則」は成立する.つまり,

「一般規則」は人々の思考習慣とともに変化することになる.つまり,「道徳原因」とは,正義の「一 般規則」を作り出していく人々の思考習慣そのものを意味しているのである.

統治者は,『国富論』第5編第1章で考察された国防・司法・公共設備と公共制度の整備・維持,

つまり国民に対する義務を果たし,続く第2章で示された課税四原則にできるだけ反しないかたち で徴税すれば,国民の信頼を獲得し,政治もより安定してゆくことになる,というメッセージであ る.

(3)合邦か植民地の放棄か

スミスはグレート・ブリテンが採るべき途は,次のようなものだと提案する.第一は,アイルラ ンドやアメリカ植民地を合邦し,課税する領土を拡大することによって歳入を増大させる83.第二 に,あるいは植民地から租税収入を獲得できないのであれば,莫大な費用のかかる植民地を放棄し,

歳出を削減する.

当時,グレート・ブリテンにおける租税の四大項目は,「地租,印紙税,様々な関税と内国消費税」

であった.地租と印紙税について,アイルランド,アメリカ,および西インドといった植民地は担 税力があり,制度を適用さえできればグレート・ブリテンの税収増加に寄与する.しかし,関税法 を適用すれば植民地貿易の恩恵は消えてしまうが,自由貿易はそれ以上の恩恵をグレート・ブリテ ンと植民地の双方にもたらすことになる.

83 ブリテンによる北アメリカ植民地政策に対するスミスの批判に関しては,Winch(1965), Stevens

(1975)が詳しい.

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内国消費税は,生産と消費の性質がグレート・ブリテンと同じアイルランドにはそのまま適用す ることができる.アメリカと西インドについては変更が必要であるが,「砂糖,ラム酒,およびたば こ」はどの地域でも奢侈品であるから,課税品目を調整することで内国消費税制度も各地域に適用 可能である.

アイルランドとアメリカがグレート・ブリテンの公債の償還に貢献することは,「正義に反するも のではない」と,スミスは主張する.というのは,国債は名誉革命によって樹立された政府を支え るために起債され,その政府によってアイルランドとアメリカの人々が享受している自由・財産お よび宗教についての安全性が,確保されたからである(WN. V. iii. 88).

アイルランドやアメリカは,グレート・ブリテンと合邦することによって経済的な利益を享受す ることができるが,スミスの合邦論の特徴は,経済的次元に留まるものではなく,むしろ「道徳原 因」の次元を強調していることにある.アイルランドは,グレート・ブリテンとの合邦を通じて,

経済的な利益よりも「はるかに重要な利益」を得ることになる,とスミスはいうのである.「圧制的 な貴族制度」や「宗教的や政治的な偏見」からの解放が,それである.

アイルランドのすべての階級に属する大部分の住民は,グレート・ブリテンとの合邦を通じ て,著しく圧制的な貴族制度――スコットランドと同様に,生まれや富という自然であって尊 敬に値する区別にではなく,あらゆる区別のなかで最も忌むべき宗教的で政治的な偏見にもと づいており,このような区別が,一般的に,抑圧者の傲慢さと抑圧されている人間の憎悪や怒 りの両方を駆り立て,同じ国の住民を,違う国の住民のあいだ以上に互いに敵対的なものにす る――から,完全な解放を同程度までは実現できるだろう.グレート・ブリテンと合邦しなけ れば,アイルランドの住民が彼ら自身を一つの国民であると考えることなど,長期にわたって ありそうにない.(WN. V. iii. 89)

アメリカはどうだろうか.アメリカには,そもそも「圧制的な貴族制度」は存在しなかった.し たがって,アメリカはグレート・グレートブリテンとの合邦を通じて,アイルランドとは異なる利 益を享受する,とスミスはいう.それは「民主主義的な統治をかく乱する」党派心からの解放であ