• 検索結果がありません。

才  ガリア最後の反乱  (BC51年)

ドキュメント内 2 (ページ 172-200)

この冬カエサルは中部ガリアの反乱を納めても北イタリアへ帰ることは許されなかった。

なぜなら反乱の余韻がまだ残っていたこと、アレシア戦では十分な兵を送ってこなかった 部族が再び反乱の動きを活発化しているとの知らせが彼の諜報網からもたらされていたか らである。アレシア戦後ただちに各軍団を不穏の動きの予想される地へ冬営させるベく送 り出したが、彼が予想した通りというべきか、反乱の炎は足もとの中部ガリアのビトリゲ ス族の中から燃え始まった。カエサルの任期切れに照準を合わせて蜂起したらしい。

カエサルは知らせを受けると、12月の厳寒を押して手持ちの1個軍団とビトゥリゲス族 に冬営させていたセクスティウスの1個軍団を併せ2個軍団でビトゥリゲス族に急襲を掛 けた。そして雨の中、場所によっては雪の降る厳寒の地の中を6週間も掛けて骨の折れる

人狩を行った。敵は分断したカエサルの軍を各個撃破出来ると思っていたようだが、厳寒 の12月でもカエサル軍が動くとは思いもよらず、団結する前に自分達が各個撃破される 羽目になった。この苦行とも思える仕事に対してカエサルはボーナスで報いる。兵士には 2百セルティウス(一年分の給料以上)銀貨、百人隊長には千セルティウスの銀貨が支給 された。

カエサルはハエドゥイの首都ビグラクテに族長達を集め恒例の裁判兼、ローマの施政方針 を押しつけた。

しかし諜報網はカルヌテス族のしつこい反乱を知らせてきている。ウェルキンゲトリスの 反乱の火付け役となった部族である。オルレアンの民間ローマ人の虐殺はまだ記憶に生々 しい。すぐさまオルレアンの町を襲ったが、反乱住民は逃げた後であった。町を完全に破 壊をするつもりでいたが、ローマ兵が寒さしのぐのに町の家が必要となり破壊を免れた。

そしてしばしの休息の後、北のベロワッキー族へ向かった。

冬もまだ明けやらぬのにベロワッキー族が何やら企んでいるとの知らせが、冬営地のファ ビアス、ラビアヌスからも届いていた。前にブリタニア遠征では随分と協力的だったアト レバテス族の族長のコンミウスが陰で糸を引き、北部ガリアをまたぞろ反乱に誘っている らしい。ベリガエ・ガリア戦では主役をなしたスオッシオネス族やら弱小のカレテス、ア ウレルキー、ウェリオカッセス、アンビアンー族のような部族まで引き込んで各策してい るらしい。そこでカエサルは厳冬の時期にもかかわらず反乱の中心をなすベロワッキー族 に4個軍団を率いて向かった。今回の兵糧はレミー族が受け持ってくれるので、安心して 戦えたのである。

このベロワッキー族はウェルキンゲトリスの反ローマ戦には1万のところを2千しか出さ ず、力を貯めていた。陰謀者コンミウスに口説かれ、族長コッレウスが立ち上がった。こ のまま行けばレミ族の勢力伸張を黙って見逃し彼等の足元に屈するであろうとプライドに 訴えられたのである。

ベロワッキー族の首謀者コッレウスはなかなかの用心深い男であり、交渉術にも長けてい た。ラインの川向うのゲルマン人とも話をつけ騎兵の援助を取りつけ、その騎兵の取りこ みに成功していたのである。しかし駆け引きではカエサルの方が1枚も2枚も上手である。

今回はウェルキンゲトリスのような大反乱に至る前につぶす覚悟で出撃して来た。諜報網 に寄ると彼はローマ軍が3個軍団なら自軍の数の優位を頼んで戦いを仕掛けてくるとの知 らせが入ったので軍旗を隠したり、1個軍団を兵糧隊に隠したりして相手を誘いだす。こ の時は3倍ほどの敵であったがいつもの重装歩兵の活躍で難なく敵を壊滅させた。ベロワ ッキ族長コッレウスが討ち死にすると、ベルガエ・ガリアの反乱も瓦解し、黒幕コンミウ

スもブリタニアの地に亡命した。後日談だが彼は部下達とブリタニアで自分の王国を築き、

それは後のクローデイゥス帝時代のローマに滅ぼされるまで1世紀も続いたとのことであ る。

カエサルは北ガリアの反乱に今回もエブロネス族のアンビオリクスが暗躍しているとの 情報を得たので再びエブロネス族の領地を荒らしながら彼を見つけようとするが、今回も 民の懐に迎えられたのか、とり逃がしてしまった。そこでカエサルは矛先を変えカルヌテ ス族の地オルレアンにとって返しローマ人虐殺の首謀者グトルアトスを捕まえようとカル ヌテス族の地に反転する。情報網の知らせでは確かに彼が町にいるとの情報をキャッチし ていた。そこで住民の保護と、町の破壊の免除をちらつかせ、グトルアトスの提供を求め た。すると案の状、力攻めをするより簡単に彼と一味を逮捕することが出来た。カエサル はローマ兵達の恨みを晴らさせると、再び中部ガリアの地セネノス族に向う。

ガリア最後の戦いウクセッロドヌス攻防戦 

残る反乱者はセネノス族のドラッペスとカドルキー族のルクテリウス、アンデス族ドムナ クスの3人となる。この3人はアレシア戦から上手く逃げおおせていた族長達である。近 くの冬営地の軍団長カニニウスとファビウスが対処していたが、アンデス族は最初の戦い で降伏したが、残り2族は天然の要害ウクセッロドヌスに立てこもり持久戦に持って行こ うとしていた。カエサルの総督任期が今年いっぱいということを知っているらしく。抵抗 も粘り強い持久戦であった。

!「挿絵84」!    泉を枯らすために地下を掘るローマ軍

オルレアンの一件が片付くと、カエサルは天然の要害ウクセッロドヌスに駆けつけてきた。

一目みて、これを落すには水を枯らすしか方法がないと確信する。それほどの要害の地で あった。幸い季節は雨の少ない夏に近づきつつあった。カエサルは守り手の中にある聖な る泉に目を付ける。今度は地下水が戦いの相手である。それが唯一彼らの渇きをいやして いると知ると、工兵を使い地下水の流れを変える工事を命じ、見事にそれを成功させる。

攻城器にも絶えたガリアの兵も神聖な神の化身である泉が枯れたことで、驚く事はなはだ しかった。カエサルは彼らの宗教心をうまく利用したわけである。これは神がローマに味 方しガリア人に怒りを向けたためであると華々しく宣伝させてみた。さすがの反乱軍も神 の怒りに逆らうことは出来なかったようで、神の技をなすローマ人の軍門に下って来た。

ローマ軍の技術力の高さはひとえにカエサルの人材抜擢による。たとえ開放奴隷でも、或 いは敵側の将兵でも優秀な技術をもった者は惜しげもなくローマ市民権を与え自軍に取り こんで行った為である。それらが相乗効果を生み、どんどん質の高い軍隊になって行った のである。

フランスのニーム郊外の水道橋遺跡ポンデュガールやスペインのセコビアのそれを見た 時2千年前にどうやってこんな物を作ったのか驚いたことがあるが、私でもこれは神の技 と思ったくらいである。まして2千年前の人々の驚きはいかばかりであったろう。ローマ 人はこれらの技術をマニュアル化して記録に残し皆に共有させていた。お陰で彼等の技術 をアフリカのモロッコやアルジェリアのとんでもない僻地にまで見ることが出来る。それ は水道橋、コロッセウム、劇場であったりジュピター、ジュノー、ミネルバ神殿の遺跡と して我々の目を今でも楽しませてくれる。それらのマニュアルもローマが滅んでからは散 逸して、歴史の闇の中に葬り去られてしまった。中世このローマ人の子孫達が中部イタリ アでルネッサンスとして息を吹き返させた事はあまりにも有名である。ルネッサンスの事 はまたの機会に譲ろう。

要害ウクセッロドヌスの陥落はウェルキンゲトリスの降伏よりも重大な意味をもたらし た。去年からの反乱には貴族階級と並んでガリアの地を支配していたドルイド教の宗教界 の大物達が絶えず、後ろで戦乱を煽っていたのだが、その宗教界の権威が失墜したことで この地の陥落は大きな意味があった。この要害地の陥落は人間が降伏したのではなく神が 降伏を認めたと全ガリア人に思わせたことである。もはやガリアの宗教ドルイド教の権威 も地に落ちてしまい、この戦いでガリア独立の夢は完全に打ち砕かれてしまった。またこ の反乱に参加した長老、宗教者達並びに奴隷として売れなかった物達には右手を切り落と すという厳罰を与え、後々までの屈辱と見せしめにした。

ドキュメント内 2 (ページ 172-200)

関連したドキュメント