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戦略的援助

ドキュメント内 基本 CMYK (ページ 53-62)

平和とは何か

3. 政府による人民の殺戮

4.3. 戦略的援助

 人権の国際化時代の趨勢に抗うかのように、国際社会は政府の手による非人道 的な行為を看過した。それは国際平和秩序の負の側面であると同時に、この時期 に始まる友好関係優先の国際政治の権力闘争ゲームの負の側面でもある。先述の 通り、かつて植民地支配下にあったアジア・アフリカの人民は、経済的遅れや教 育的遅れとは無関係に独立が認められた。かつて国際連盟加盟の加入の際には民 主制が加盟資格として問われたものであるが、独立した国が大挙して国連に加盟 する際にはそのようなことはなかった。誕生した多くの国は、事実上、無審査で 国際社会に迎えられた。国連は、すべて「平和愛好国」(国連憲章第4条)に開か れていたからである。それに帝国主義時代に比べ、時代状況が一変していた。武 力行使による赤裸々な侵略も領土併合もまれになり、国際社会には主権平等、人 種平等、人間平等の規範が確立され、もはや弱肉強食の時代ではなくなった。自 存自衛ができるほどの国力を備えていなくとも良い。それどころか主権と独立が 尊重され、しかも援助で国際社会から支えられる、そうしたよき時代が到来した のである。

 しかしながら、主権国家の地位は認められはしたものの、社会、経済、文化的 発展を自由に追求しようにも人的資源は不足し、経済発展の基盤がない。途上国 は国際社会の技術援助なしには国家建設は見込めず、経済援助なしには経済発展 は見込めず、そして軍事援助なしには独自に軍の近代化が見込めないほどの、ひ よわな国である。国際社会の構成国は増えたものの、その多くはかつての西欧的 な成熟した文明国ではない。このことから途上国にとって国家建設に取組むには 開発支援と軍事支援を取り付けることが国家安全保障戦略上、喫緊の外交課題で あったのである。

 とうてい自立できそうにはない国を国際社会が主権国家として認めたのである から、これらの国を国際社会は支えていかなければならなくない。もっとも国際 援助はなにも慈善事業として始まったのではない。国際社会が援助によって途上 国を支えていく背景には、先進国の側と途上国の側で利害の一致があったからで ある。それは、比較的に平和になった国際関係における国際政治のパワー行使の 手法に変化が生じていたことと深く関係している。国際社会において、アジア・

アフリカ諸国が占める割合が著しく増大し、しかも武力行使が禁止されたことか ら、同盟国のみならず友好国の数を増やすことで勢力拡張を競うような国際政治 状況が出現したからである。無論、そこには東西対立という冷戦構造が色濃く影 を落としていた。脱植民地化の結果、国際社会で国家の数は急増し、1960 年に は国連加盟国は 100 カ国に倍増し、やがて国連で途上国の数が国連創設の原加盟 国の数を上回るようになり、62 年には米ソそれぞれの同盟国の合計数よりも非 同盟国の数が上回ることになる。そして 64 年には加盟国は 115 カ国に増加するが、

その中でアジア・アフリカ及び中南米の途上国は 56 カ国(50%)を占めるに至り、

同年には先進国から援助を引き出すために途上国は国連で「77 カ国グループ」を 結成している。主権平等の国際政治におけるアジア・アフリカ諸国の台頭は、そ れまでの大国中心主義の東西対立の国際政治の勢力図を一変させる勢いであった。

 国際政治の勢力図が日増しに変化するなか、東西両陣営とも援助を梃子に友 好国獲得競争に走ることなる。すでに「アフリカの年」1960 年には西側先進国は、

途上国への経済援助を協力して行うために経済援助グループ(DAG)を組織し、

翌年にDAGは経済協力開発機構(OECD)の下部機構として経済開発委員会(DAC)

に位置づけられている。一方、国連内で途上国が多数派を形成するや、1965 年 に途上国の開発と発展を支える目的で国連開発計画(UNDP)が設立され、国連は UNDPを通して途上国に援助を行うことになる。途上国は、国連の国際管理下に 置かれたのも同然である。

 援助が最初から友好国作りの戦略的な援助であったことは当時の国際平和秩序 と深くかかわっている。主権平等が約束される国際平和秩序のもとで、侵略が禁 止され、人民の自決権と領土保全原則が順守されるようになると、自ずとそれま での大国中心主義の国際関係に民主化が求められる。そのことが国際政治のパ ワー(勢力)概念までも変質させてしまい、侵略に代わって友好国を獲得し、そ れを増やすことが勢力拡張の新しいやり方になったからである。東西両陣営の側 からすれば、被援助国が政府間関係において信頼できる友好国でありさえすれば それでよい。途上国は東西両陣営の取り込み対象となり、それが独裁体制であろ うと権威主義体制であろうと、あるいは王国であろうと、その国を友好国として 繋ぎ止めるために両陣営はそれぞれ、食糧援助、軍事援助、あるいは経済援助に よって友好国政府を支えたのである。こうして国際社会は各国の統治のあり方、

すなわちガヴァナンスの形態など問題にはしない「消極的主権国際政治ゲーム」の 時代に入っていったのである(Jackson 1990:40-49)。

 消極的主権国際政治ゲームとは、国際平和の維持を前提にした友好国の獲得競 争である。自由と民主主義を旗印に冷戦を戦った西側も、また自由と平等、民族 の解放を旗印に冷戦を戦った東側も、およそそうした大義に反して独裁体制であ ろうと王国であろうと、友好国でありさえすればその国の政府を戦略援助外交で 支援したのである(田中…1995)。例えば、アメリカの対外援助は反共産主義国家 に対して、また戦略的に重要な国に対して向けられる戦略的援助であった。アメ リカは、戒厳令下のパキスタンを援助し、アラブの王国に、また中南米の独裁政 権に援助を惜しまなかった。アメリカと同盟関係にある日本も、冷戦期にはアメ リカの戦略的援助の一端を担いだ。一方、ソ連の援助は、社会主義諸国、あるい は親社会主義政府に対して向けられた戦略援助であった。なかでもソ連の対アフ リカ援助は軍事援助が中心であり、特に 70 年代には、コンゴ、アンゴラ、エジ

プト、アルジェリア、モザンビーク、エチオピアなど社会主義政権に対して軍事 援助を行い、ギリシャ、南アフリカ、南米諸国の共産主義者の反政府勢力へも経 済援助や軍事援助を行った。さらに注目すべきは、政府間の国際援助に加え両陣 営はそれぞれの非友好国の国内反政府勢力に対して軍事援助、経済援助、さらに は資金援助を行い、外部から途上国の国内紛争に関与したのである。

 友好国の繋ぎ止めを目的とする消極的主権の国際政治ゲームでは、友好国、ま してや同盟国を失わないために、特別の関係のある国の国内で発生する人権侵害 や人道的危機を陰に陽に支えることになった。例えば、ポルトガル革命の結果、

ポルトガルは東チモールを手放し、東チモール人は独立を宣言した際に、インド ネシアは混乱に乗じて東チモールを占領し、東チモールを併合した。人民の自決 という時代の趨勢からすれば、国際社会は東チモールの独立を無条件に認めなけ ればならなかったはずである。しかし、実際には、西側諸国は、インドネシアの 東チモールの武力併合を認めたのである。その際に、インドネシア軍の掃討作戦 で東チモールの人口 25%にあたる 20 万人のジェノサイドが行われているが、注 目すべきは、アメリカ、フランス、イギリスなど西側諸国は、インドネシアの軍 事作戦を支持し、フランスはインドネシアに軍事援助すら与えている。東南アジ アに新たな共産主義国家の誕生を恐れたからであるという(Jones 2011:311-312;

Kiernan 2007:576-582)。

5.人間の安全保障と平和の両立は可能か

 平和とは何か。平和維持の大義のもとで、あるいは友好関係維持の大義のもと で、人間の安全が脅かされるというのであれば、平和とはいったい誰のためのも のなのかと考えざるを得ない。われわれが至高価値として渇仰し、支えてきた平 和、友好、あるいは援助の理念と実践の仕方そのものに、人間の安全を脅かす要 因が内在していたとするならば、果たして平和と人間の安全保障の両立は可能な のかという根本的な疑問にも突き当たらざるを得ない。

 本論で、安全保障ディレンマと国家強化ディレンマに陥っていた国で、人民が 国家安全保障政策の犠牲になったと論じた。そうした人道的危機が国際社会から 見放され、さらには助長さえしている背景には、二つの国際要因、すなわち国際 平和秩序、及び友好関係優先の国際政治構造が災いしているとも論じた。主権平 等、人種平等、人間平等、そして紛争の平和的解決の原則が確立され、アナキー の国際政治の場に国際平和秩序が形成されつつあることは確かである。しかしな がら、そこで形成された国際平和秩序とは、国家安全保障、なかでも領土保全と 国家体制の安全保障を所与に国家間の平和を維持することを共通目標とする国 際平和秩序である。領土保全と国際体制の安全保障が優先される時代にあって

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