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戦後中国の経済成長と民主主義の発展

ドキュメント内 学位名 博士(国際関係学) (ページ 41-200)

1

節 覇権システム下の中国

Ⅰ 終戦直後の国際情勢

1.

戦後のアメリカとソ連

トマス・J・マコーミック著、松田武・高橋章・杉田米行訳『パクス・アメ リカーナの

50

年』(東京創元社、1999年)によれば、第

2

次世界大戦後の

15

年間、アメリカは驚異的な経済成長を遂げ、世界で最も豊かな国としての地位 を固めた。アメリカが生産するすべての製品・サービスの価値を測定する国民 総生産は、1940年にはおよそ

2000

億ドルであったが、1950年には

3000

億ド ル、そして

1960

年には

5000

億ドル以上へと大きく成長した。アメリカは工業

生産で

1947-1948

年に世界の

50%を占め、総輸出は 30%、海外投資は世界の

75%を占める

50

こうした成長のきっかけとなったのは、第

2

次世界大戦のための大規模な公 共支出が経済を刺激したことであった。1946年から

1955

年までの間に、自動 車生産台数は毎年

4

倍に増えていった。また、冷戦の緊張が高まるに従って防 衛支出が増加したことも、経済成長の一要因であった。このように、「アメリ カは国際社会のなかで圧倒的優位を占め、世界経済の中心となった」51と家正 治は述べている。テレビの所有を例とすると、1946 年には、全米のテレビ普 及台数は1万

7000

台未満であった。しかし、

1960

年までには、全国の

3/4

の 家庭 がテレビを所有していた52。単にテレビの保有率から見ると、アメリカ の経済発展は中国より

40

年以上早かったことがわかる。

1947-1948

年の世界は冷戦体制へ移行し始めた。社会主義国を封じ込めるた

め、アメリカは軍事的・経済的優位を利用し、敗戦国に対する民主化、非軍事 化などの政策から復興援助へと転換した。

一方、家正治編『国際関係』(世界思想社、1996年)に依拠しながら、戦後 のソ連を見てみよう。ソ連は第二次世界大戦の期間中に

2000

万人以上の犠牲

50 トマス・J・マコーミック著、松田武・高橋章・杉田米行訳『パクス・アメリカーナの50年』

東京創元社 1999年、206230頁参照。

51 家正治編『国際関係』世界思想社 1996年、16−25頁参照。

52 http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-ushist12.html参照

を出したものの、その勝利に大きく貢献したことでソ連は国家の威信を高め、

世界における超大国の地位を確立した。戦後のソ連は東欧、アジア、中南米へ 社会主義を発展し、直接、間接の強権発動した民族解放運動の主導権を把握し た。国際連合創設にも大きく関与し、安全保障理事会の常任理事国となってい る。さらに占領地域であった東欧諸国への影響を強め、衛星国化していった。

ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアからそれぞれ領土を獲得し、西方へ大 きく領土を拡大した。

第二次大戦前の

1924

年にソ連とモンゴルの二国だけが社会主義国であった が、第二次世界大戦を契機に、東欧諸国とアジアの各国ではソ連の指導、影響 のもとに次々と社会主義化がすすめられた53。東欧諸国の反対派を粛清し、東 側諸国のリーダーとして、アメリカをリーダーとする資本主義(西側諸国)陣 営に対抗した。アメリカとの間では直接戦争が生じなかったものの、ベルリン 封鎖54などの有形無形の敵対行動や朝鮮戦争やベトナム戦争などの世界各地 での代理戦争という形で冷戦と呼ばれる対立関係が形成された。

このように、家正治、前掲書『国際関係』で第二次世界大戦後の国際情勢に ついて、次の三つの特徴55があると述べている。

まず、第一の特徴としては、「アメリカが国際社会において絶対的な優位を 確立したことである」。家正治の見解によると、「第

2

次世界大戦は、アメリカ が国際社会のなかで絶対的優位を占めることを決定的にした。イギリス、フラ ンスなどは戦勝国とはいえ国土が戦場となったために戦後国力は低下してい た。敗戦国となった日本やドイツなどの被害はそれ以上であり、国土が戦場と ならず兵器工場としての位置を占めたアメリカ一国のみが国際社会のなかで 圧倒的優位を占めるにいたった」56。例えば、アメリカは工業生産で

1947-1948

年に世界の

50%を占め、総輸出は 30%、金保有は 70%、海外投資は世界の 75%

を占め、経済力や軍事力で優位に立ちアメリカは世界経済の中心となった。国 際通貨基金は各国の雇用維持と所得増大のため、外貨事情を良好にし、国際貿

53 家正治、前掲書『国際関係』1617頁。

54 第二次世界大戦後の19486月、ソ連政府が西ベルリンに向かう全ての鉄路と道路を封鎖した事件 であり、冷戦初期を象徴する事件である。

55 同上書、16-17頁参照。

56 同上書、16頁。

易を拡大した。アメリカの金1オンス=35 ドルの固定価額を各国の原則とし て固定相場が形成された。これはすべて戦後のアメリカの影響力の体現であろ う。

第二の特徴は、「それまでのソ連一国社会主義の状況から社会主義の世界的 な体制が登場したことである」。第

2

次世界大戦前後のソ連は一国から東欧、

アジア、中南米へ社会主義を発展し、直接、間接の強権発動した民族解放運動 の主導権を把握した。「第

2

次世界大戦前の

1924

年にモンゴルは社会主義政権 となっているが、当時はまだ生産力も低く、実質的には社会主義国はソ連一国 であった。しかし、第

2

次世界大戦を契機に、東欧諸国ではソ連の指導、影響 のもとに次々と社会主義化がすすめられた」57。例えば、アジアにおいても

1945

9

月にベトナム民主共和国、インドネシアが独立し、1948 年には朝鮮民主 主義人民共和国が成立、

1949

10

1

日に中華人民共和国が成立した。この ように、社会主義諸国と資本主義諸国との二大陣営が形成された。

第三の特徴は、「第

2

次世界大戦を契機として民族解放闘争が高揚したこと である」と家正治は述べている。この民族解放闘争の高揚は、「第

2

次世界大 戦がフシズムの脅威から民主主義を守るという側面を有していたことと関 連している。民主主義の擁護ということに啓発された植民地支配下の人々は自 己の解放に向けて立ち上がった……中国や朝鮮における抗日戦も、民族解放戦 争として戦われた」58と家正治は述べている。換言すれば、民族解放運動の高 揚による植民地体制の崩壊が戦後のもう一つの特徴とも言えるであろう。特に アジアの民族解放運動の高揚が注目されていた。例えば、

1945

年にベトナム、

インドネシア、

1946

年にフィリピン、

1947

年にインド、パキスタン、

1948

年 にビルマ、スリランカ、南北朝鮮、1949 年にカンボジア、中華人民共和国な どの国々は次々と独立・成立した。

1997

年の香港返還と

1999

年のマカオ返還 以外ではアジア植民地は

1950

年までに殆んど消滅した。

2.アメリカのヘゲモニー戦略

ここでトマス・

J

・マコーミック、前掲書『パクス・アメリカーナの50年』

に依拠しながら、戦後アメリカのヘゲモニー戦略を紹介しておきたい。

57 同上書、17頁を参照されたい。

58 同上書、17頁。

マコーミックは、『パクス・アメリカーナの50年』で、「第二次世界大戦の 最終段階からベトナム戦争の最終段階に至るまで、アメリカのヘゲモニー

(

世 界的覇権)は世界問題の推進力であった。しかし、ベトナム戦争以降の時代に は、強国アメリカが衰退し、強国ソ連が更に著しく衰退し、そしてそれに対抗 する中枢的強国として日本とヨーロッパ経済共同体とが立ち現れた結果、はる かに多極的な世界が生み出されている」59。「世界システムと世界自体は一つ の世界と言ってもいいように思われた。近代世界システムは「資本主義世界シ ステム」、「外部世界諸帝国」、そして自給的共同社会の「ミニシステム」であ る」60と主張している。

注意すべきなのは、トマス・

J

・マコーミックがここで説明した「ミニシス テム」と筆者が後述で説明する「ミニシステム」とは大きく異なっている。筆 者が説明しておきたい「ミニシステム」というものは「資本主義」と「民主主 義」によって形成された「一つの世界システム」の一部である。例えば、「一 つの世界システム」のなかには

A・中心諸国、B・準周辺諸国、C・周辺諸国

が全部含まれている。本論文での「ミニシステム」というものは、80 年代に おける[A・日本→B・中国→C・アフリカ]、60 年代における[A・アメリカ

B

・日本→

C

・中国]のような「世界システム」なかの一部である。

トマス・J・マコーミックは「システムは複合的な国際分野の中でそれぞれ が特化した役割を果たす三つの連続する地帯からなっている。「中枢諸国

(

第一 世界

)

は先端技術・高利潤の企業の大半を所有している。周辺は

(

第三世界

)

は農 業物と原料といった一次産品の生産に特化している。その中間にある半周辺

(

第二世界

)

は、運送、現地資本の流通、およびわりに複雑でなく利潤が大きく ない形態の製造業といった仲介的な役割を果たす。歴史的には、地帯間での 個々の国のある程度の可動性が存在していたのであって、それには、1790 年 における半周辺国から

1890

年までに中枢国へと移行したアメリカ自身の変容 も含まれている」61と論じた。

さて、「世界システム」におけるアメリカの地位について見てみよう。

59 トマス・J・マコーミック、前掲訳書『パクス・アメリカーナの50年』25頁。

60 同上書、26−27頁。

61 同上書、29頁。

ドキュメント内 学位名 博士(国際関係学) (ページ 41-200)

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