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ドキュメント内 論 説 研 究 (ページ 32-40)

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(36)  The Prince

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Ch. 19.  (37)  Cf.  ibid., Ch. 20. 

現時の図民中にも.フランスは議舎を創始するこごに依って︑園内の問題も最を善く解決し

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﹁何故なれば︑この王闘の建設者は貴族の野心及び不遜を戚知し︑彼等を牽制するの必要を悟

ったからである︒彼は同時に︑人民が貴族に濁する畏れより︑貴族を恰惑するに至るこさを

知った︒雨者を結び付けんさ欲して︑然も︑玉の特別な配慮を好ま歩︑人民の味方合するご

貴族に思はれる責任ご︑貴族を助けるご人民に思はれる責任ごから救はれる程度に︑彼は王

さ関係なき第三者ざしての議舎を建て︑強きを抑へ︑弱きを助けるのである︒王及び冷の図

土の安全を計るものごして︑これ以上の賢明なる制度を求めるこさは出来なかった

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国外の安全の問題に閲しては︑彼は図民笠・及び一致図絵せる人々に見出される強さにありさ

の彼の信念をこ︑に再び断定してゐる︒

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更に性格をして抑座するよりは︑むしろ︑表示せしめんぎする近世的考ヘ方さマキャグェ7

ーのそれさは会然合致するさころがある︒

﹁凡そ︑君主をして偉大なる計主をなし︑彼自身の人柄の高倫なる模範を一不すほピ命敬せられ

るも

のは

ない

︒﹂

﹁かくの如く︑彼は常に︑臣下守して心配︑讃嘆せしめ︑その成行に心を費すごころの大なる

計幸一且を目論み︑而して︑それ等の困難なる計査は矢継早に一から他に移り行︿ので.人々に︑

彼に濁して落も付いて何等の攻撃をなすの機舎を奥へなかった程であった︒﹂

克に︑次ぎの論調の如きは︑骨子ごしては氾代的の響きを持つものである︒

﹁輔弼の巨の選採は君主にさつで︑す︿なからゴる重要さぞ持つものである︒君主が鋭きか︑

否かに従って︑輔弼の臣も善きか否かである︒君主自身の才能の第一印象は︑君主をさりま

︿人々の性格に依るのである︒若しも輔拘の臣等が有結局の材にして︑忠寅であるならば︑君

主は賢明さ考へられるo何故なれば︑彼等の有能なるかを如何にして識別するか営︑又︑彼

等の誠忠を如何にして得るかを知ってゐたからである︒然し若し彼がこれご反おの者である

こさが剣れば︑そのごきには︑君主に謝して持った立見は︑君主ゆ彼等を最初に選ぷに蛍っ

て剣断が銚けてゐたが故に務讃を得るこごに至らないであらうOLO

ぞれ放に︑君主は輪開の直に就いては細心の注意守梯ひ︑阿設を避けるq

きで

ある

﹁賢明なりさの名獲ある君主は︑君主自身の天賦に負ふよりも︑彼をさりま︿よき輔持者に倹

っさ想像する者はたしかに自らを誤るものである︒何故なれば︑本来賢から

5

る君

主は

偶々

高一平に君主伝導き︑非凡の才能の人たるべき一人の者の手に全然自己を任せてしまふにあら

マキヤグエリーの枇合哲卒

The Prince. ,Ch. 22.  (37) 

ぎれば︑よく忠一一員を聴き入れるこごが出来ないこさは︑一般に説︑りなき原則ご見られ得る︒

か︑為る輔弼者のあった場合に︑君主はよく指導され得るかもしれないが︑恐らくはその輸拘

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者はやがて︑その図を奪ふであらうからして︑永績きはしないであらう

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最後

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マキヤグエリーは人事は如何に運命さ一仰のカに左右せられるかを論じ︑我々の行動

は竿ばはそれを︑運命に臆するが︑同時に他の竿ば︑若し(はそれよ

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もや︑少︿は︑人間の自 由意志にあるこさケ認めねばならないさ云ふ︒ぞれ放に︑これ等の要素ケ無視する君主は賢明

なら

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るも

ので

ある

﹁運命に全然頼れる君主は運命の鑓化に連れて︑滅びるであらう﹂が︑然るに﹁時代精紳に行

勤を順応せしめる君主は迩よ︿なるであらう︒而して︑同様な方法に於いてャも︑若し君主

がその行動に於いて︑時代精紳を無視せるならば︑不幸一・ごなるであらう︒﹂

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6︑イタηノヤを外夷から救済するの警告

これは最後の章たる第二十六章のみに書かれたごころである︒著者はこの章に至って︑

筆致も情熱的に︑

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メギイチじ調し︑

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ヤ救済を懇願せるものである︒

上述し来ったごころは一般的考察であったが︑本章に於いて︑

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は絞越の態度を

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接へ

︑静

岡時

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ηノヤに劃する関心の一層強調せられてゐるのを見る︒彼が二十六章の始めに

Tbe Prince

, 

Cb. 23.  Tbe Prince, Ch. 25.  く38)

(39) 

逃ぺるごころに依れば︑

﹁現

時︑

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ヤ精

紳の

勇気

を後

揮す

る結

局に

は︑

イタクヤがか(現在の窮一読に陥

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︑嘗つての

へプライ人のそれよりも︑更に奴隷の境過に苦しみ︑嘗つてのべ

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ヤ人のそれよりも︑夏

に厩制を受け︑嘗つてのアテネ人のそれよりも更に分裂し︑主権なく︑秩序なく︑打たれ︑

奪はれ︑彼られ︑侵略

3れ︑そしてあらゆる荒廃に耐へ忍ぶぺきこ之が必要であった︒

﹁近く二三の者が立って︑ぞの輝きを一不きんさし︑

イタ

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ヤ救済の結局に紳より遣ほされたかの

如く思はしめたが︑その花々しき生涯の英中に於いて︑運命の担むごころさなった︒それが

怨︑イタリヤは死せるが如く横はり︑その傷診療し︑

ロ ム バ

Yディヤ︑トスカナ︑ナポ

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位 寸

の ︑

長きに亙って被れる惨害を一掃する如き者の出現ケ待つ甲}さの切なるものがある︒これ等の

惨朕及び澄夷の倣慢不遜よりイタ

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ヤを救ふぺき者を紳に詮らんこごを望

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の情や切である

若し

いま艇なごりで進なものあらば︑

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ηノヤは直もにこれに集まらんごする有撲であ

る ︒ ﹂

彼に依れば︑今やイタ

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ヤの絶望の底にある迩命子救ふぺき偉大なる好機が到来せんごして

ゐる︒図民軍は備はり︑正しき勤機の下に於ける正義に依って鼓舞せられ︑史上︑如何なる偉

人が彼等の同家を救ったかに関しての知識を持って︑﹁紳及び数合より恵まれたる﹂メディチ家

マキヤグエリーの祉合哲阜

商 業 さ 経 済

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がこのイタ

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ヤを救済するこさの成功を︑如何にも確信にみちて︑愛図的の情熱を以って述ぺ

てゐるではないか︒

﹁殿下は︑イタリヤが長い間待って遂にその救済者の現はれたの&見たる機舎を逃してはなら

ない︒長い問︑外散の殺到に苦しめられてゐた諸岡は如何なる戚勤を以ってこれぞ迎へるこ

さか︑││如何に外敢に濁する復讐を渇望するか︒如何に読まぬ信義を以ってするか︒如何

に献身的に︑如何仁涙を流すか││到底︑一式ひ表し得るさころではない︒君主に閉ぎさんさ

する門戸は如何なるものがあるか︒君主に服従を拒むものがあるか︒如何なる嫉妬も君主に

反調し得るものがあるか︒イタタヤ人が君主に臣服せゴるものがあるか︒我々のすぺてにさ

って︑この外夷が鼻につくのである︒

﹁希は︿ば︑殿下の克輝ある家門を以って︑正にこの大業を遂行するの勇気ご希望さを以って︑

このこさを携蛍せられよ︒かくして︑殿下の旗下に我が闘は古代の柴春を侠俊し︑殿下の庇

護の下に次ぎのペトラYカの言葉ケ貫現せられ給へ︒

徳義は狂暴に濁して︑歳器を執って起ち︑かくて︑守飢間もなく止まん︒

蓋し︑古のローマの勇気は未だ己び?︑

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ηノヤ人の胸の中に消え

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Ch. 26.  (40) 

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マキャヴエリ!批評

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ηノ!の思想は﹁君主論﹂其他が世に↓公にされて以来︑既に四世紀︑その問︑人を

異にし︑時代を異にして︑幾多の論評が後表されてゐる︒恐らく︑

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o私はこ﹀に︑年代を迫ふて

これ等の有力なる評論を紹介する暇?持たないが︑次ぎにその要貼を概括し︑批評するであら

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足 ︒

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に関する彼の論文中に述べて臼く︒1

﹁彼さ同時代に生活せる人々が彼の著作中に何ものか街勤を奥へるものを見︑或は不調和の貼

ヶ翻て︑如何に考ふるこさあるさも︑ぞれは何等の理由にならない︒彼の著作

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人ごなりの

二つながらが︑同時代の者の中の︑最も件敬すべき人々に依って高く詳債せられたる幾多の

詮披を留めてゐるoVメジト七世

( Q O B O

︿口)は次ぎの時代に於けるトレジト曾議がキE

マキヤグエリーの枇合哲単

商 業 さ 経 済

一 八

ηノスト教徒が朗読するは安営ならやさ後表したこれ等の書籍の出版を保護した程であった︒

民衆黛の一波はメデイチの不人気なる名を持った一個人に濁して︑﹁君主論﹂ぞ献じたこの秘

書官舎非難した︒されJ芝︑後にか︑る非難伝家ったこの不朽の皐設は︑砂田時にはその偉受け

入れられたやうに思へる︒この非難の患は先づアYプスの彼方に起って︑

外の驚きを以って︑聞かれたゃうである︒しは︑

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ヤにては意

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﹁十五世紀以降の︑長きに亙る烈しき関守の中にマキヤグェ

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は政調的信念の中に在りて︑

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又市民政府に於ける闘争的勢力の問に介在して︑雨方面より情感せられ︑攻撃せられたので

あった︒数合に於ける生活︑而して叉︑岡家に於ける生活の新形式への一大飛躍に営って︑

彼の名は︑新苔雨汲が等し︿共に忌み嫌ふ芯一公言してゐたさころのものを代表してゐた︒先

づ︑若し数舎が保護を奥へなかったならば︑彼の著作を黙許したであらうに︒然し間もなく︑

一方に於いてはドイツに於ける宗教改革さ他方に於いてはイタηノヤに於ける異殺徒的な文義

復興さの二重の歴迫の下で︑新しき印刷術を恐れて︑今や一五五七年に至って始めて︑表面

にあらはれて来たご二ろの禁書日銀に彼を載せたのであった︒彼は早くも信義さ真理の︑殺

舎を離れんごする︑異数的な︑邪悪な︑不敬紳の徒輩ごして一公然さ非難されるに至った︒彼

.( 41)  ClItical  Historical and MiscelIaneous Essays and Poems, Vol.  1, p. 196. 

ドキュメント内 論 説 研 究 (ページ 32-40)

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