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「山東省南河崖西周煮塩遺跡の発掘と研究」

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謝     辞

発掘報告 2   「山東省南河崖西周煮塩遺跡の発掘と研究」

        王  青(山東大学)

        通訳・槙林啓介(愛媛大学) 

 専題報告  「四川盆地の塩業技術」

        白 九江(重慶市文化遺産研究院)

        通訳・水盛涼一(東北大学)

 総括コメント  「日中塩業考古に従事して」

      村上恭通(愛媛大学)

このシンポジウムは、当研究所が推進している私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「新

時代における日中韓周縁域社会の宗教文化構造研究プロジェクト」による研究成果公開事

業の一つとして実施したものである。研究課題のとおり、周縁域社会の生活紐帯として機

能している宗教事象を日中韓比較史の視点から研究しようとするのがこのプロジェクトの

目的であり、そのなかで地域特有の産業と結びついた地域信仰の様相を比較研究すること が、目下のところ研究テーマの一つとなっている。塩業がそういった地域特有産業の一つ であることはいうまでもなく、そこに塩神信仰が生まれて地域住民の一体感と矜持感を維 持する役目を果たしていることは、日中韓の周縁域社会に共通する宗教事象である。そこ で日中韓周縁域の塩神信仰に関する資料収集と現地調査を鋭意試みてきているのである が、その研究の前提として、そもそも塩業史研究の現状を理解しておかねばならないとい う意見があがってきたのは当然というものであろう。本シンポジウムは、そのような意見 にしたがって実現したものに他ならない。

このシンポジウムの開催に当たっては、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターから 全面的な協力を頂戴した。当研究センターは山東大学考古系や重慶市文化遺産研究院と恒 常的に研究連係を実施しており、シンポジウム報告者招請の仲介をはじめ、種々な点でご 配慮を賜ったのである。所長村上恭通先生と助教槙林啓介先生にあつく御礼申し上げたい。

本誌本号には、このうち牛英彬・王青・白九江三先生の口頭報告をシンポジウム記録と して、翻訳文によって掲載することにした。著者の三先生及び通訳・翻訳の時堅・槙林啓 介・水盛涼一の三先生に感謝申し上げるととともに、本誌『東北大学論集・歴史と文化』

への掲載をこころよくご承認下さった東北学院大学文学部歴史学科に深甚なる謝意を表し たいと思う。

なお、掲載した 3 篇の文章は、牛・王・白の三先生が、さまざまな聴衆を想定して口頭 報告用に準備してくださった原稿を、時・槙村・水森の三先生が翻訳して訳稿を作り、そ の 3 篇の訳稿に対して谷口が字体・表記などの統一を加えて完成させたものである。すな わち、三先生が意図されたのは純粋な学術論文ではなく、あくまで口頭報告用の原稿であ り、さらに訳稿→整理の過程で、中国語表記と日本語表記の調整や字体・表記の統一など、

いくつかの改訂が生じている。したがって、 3 篇に示されている知見を学術上の目的で利 用される場合は、この 3 篇ではなく、牛・王・白の三先生が学術論文・学術報告として中 国国内で公表されている、あるいは公表される予定の文章から直接引用されるよう、読者 諸賢にここにとくにお願いしておきたい。

(谷口 満 記)

重慶東南郁江流域塩業遺址の発掘と研究

牛  英彬 : 著  時   堅 : 訳 (1)

一 はじめに

渝の東南地域は重慶市の東南部に位置し、武隆、彭水、黔江、秀山、酉陽及び石柱など の区や県を含み、鄂〔湖北省〕、湘〔湖南省〕、黔〔貴州省〕の三省に隣接しており、〔山 系から見れば〕四川盆地の東南に位置する大婁山系と武陵山系という二つの大山系が交わ り形成した「盆縁山地」〔盆地のふちの山々〕にある(図一)。地形から見れば、その地域 は一連の「東北─西南」方向に走る山系によって構成され、土地の起伏は大きく、中低の 山を主とし、山脈と谷の間に多くの平原あるいは丘陵地が分布しているのである。内部に は河川が多く、水系から見ると、烏江水系と酉水水系に分けることができる。烏江は貴州

(1) 

本稿の(丸括弧)および脚注は原著者による注、また〔亀甲括弧〕は訳者による補注である。

図一 重慶東南地域位置の略図

省西北に源を発し、貴州省沿河県から西北の方向へ流れを変えて重慶の東南に入り、重慶 東南の酉陽県・彭水県及び武隆県を流れ、途中で阿蓬河、郁江、芙蓉江など支流と合流し 涪 陵で長江へ入る。酉水は湖北省西南に源を発し酉陽県を流れてから湖南省西北地域へ入 り、湖南省沅陵県で沅水へ合流する。まさに「四通八達」というべき水運交通が重慶東南 地域における古代塩業貿易の発展を促進した。

渝東南地域には塩鉱の資源が多く分布し、断層と河流によって下方に向かって浸蝕され たため、地下の塩滷はしばしば自然に地表へと露出する。例えば彭水県の郁山鎮、武隆県 の長坡郷の塩井峡、武隆県の江口鎮の咸山峡、石柱県の中益郷の塩井村などの地域にはい ずれも塩泉が湧き出ていたので

(2)

、人々は最寄りの場所で塩滷をとり煎じた。特に彭水県 の郁山鎮の塩業は最もさかんであった。郁山鎮は彭水県の東北にあり、烏江の一級支流で ある郁江が郁山鎮の北から入り、鎮の東で中井河、後竈河と合流したのち西南の方向へ曲 がり芦塘・清平・羊頭・漢葭などの郷・鎮を流れ、彭水県城の北の端廟嘴で烏江へ入る。

この地域には少なくとも漢代以降、代々塩井を開設し塩を煮だすことが、長い年月を経て もすたれず、当地の塩の販路は重慶市の東南、貴州省の東北、湖南省の西北、湖北省の西 南を含んでいる。塩業は当地の重要産業となり、郁山塩場も重慶の有名な塩場となった。

前世紀 80 年代に至り、郁山塩場は生産コストが高く、郁山塩に含まれるフッ素が高いな

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