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ドキュメント内 布教資料 第06集 現代教化の視点 (ページ 57-140)

n 一 一 へ

l n

母親

に対

して

の男

子の

対応

n v

U A H u

a aa

4 u a n

45 

f k m  

30  (わからない)

らない︒こういうところが︑迷いが出ている様子だと思います ︒その下は︑男の子が母親

に対してどう感じているかということですが︑やはりこの﹁わからない﹂というところを

見てみますと︑中二のところで若干高くなっている︒こういう傾向が見られるわけです︒

それから︑その頁の左上にあります﹁親を親と思いたくない﹂という質問項目が︑非常

これもやっぱり女のお子にどぎつい質問項目ですが︑それだけに貴重な結果であります ︒

さん で

﹁わ

から

ない

と答

える

人が

三年生の時にこれだけ出てくるわけです︒それか

ら ︑

﹁親を親と思いたくない﹂に﹁いいえ﹂と︑親を親と思うというのが︑三年生の時に

は減

って

それ

から

﹁わからない﹂というのが増えている︒

やは

り︑

これも今までのデl

タと一貫しております︒

それ

から

その

下に

﹁ときどきすごく家出をしたくなる﹂という気持ちが︑やはり中一

から中三に移るに従いまして︑特に女のお子さんで少し増えている︒

男の

子は

ほとんど

変わらないという結果になっております︒

こういうことは︑以前から︑心理的離乳と申しております︒母親のお乳から離れて︑普

通の食べ物になるのが離乳でありますけれども︑心理的にも︑母親から離乳していく︒そ

して︑母親のみならず︑父親からも離れていく︒それを心理的離乳と呼んでいて︑どうし

ても︑これは通過しなければいけない︑人生における一つの関円であるというふうに言え

ます

︒そして︑子どもにとっても︑あるいは大人にとっても?りいことでありますけれども︑

一度は︑子どもが持っている親に対する偶像視︑うちの親はすばらしいという気持ちが壊

される︑破壊される︑あるいは破壊されないまでも︑疑惑とか不信感を経験する︒それが

非常に強い不信感あるいは失望といったものになることも少なくないわけでありますが︑

そういうことを経験せざるを得ないということです︒これが︑やはり思春期の過渡的な︑

非常に不安定な︑親子共々?りい時期ということになるわけであります︒

そういう時期を経験しないで︑すっといく親子関係というのもあるわけで︑難しいご家

庭を

見て

そういう問題を抱えていない親や家庭では︑

ァ っ

ちはそういうことがなくて︑

本当に安心だ﹂とか︑あるいは﹁あそこのご家庭は︑あんな教育をしたり︑ご両親があん

なだから︑子どもがあんなになっちゃ・つんだ﹂というような︑突き放した冷やかな目で見

ていたりします︒しかし︑非常に幸せなご家庭であっても︑いつかは︑やはりその子ども

は心理的離乳を経験していかなければなりません︒それが︑高校生になってからかもしれ

思春期の心理と宗教の役割

ませんし︑大学生になってからかもしれない︒あるいは三十になったり︑結婚の段階と

か︑人生のどこかで出てくるということが︑ほとんどではないかと思うわけであります︒

﹁友人関係への適応﹂ということでありますが︑図ーを見てくださ

い︒これは外国のデ!タなんですが︑非常に日本とも共通した結果が出ております

︒ ﹁

誰 次に︑この三番目の

といっしょにいたいか﹂という質問に対しての解答なんですが︑﹁家族といっしょにいた

い﹂というのが︑小学校の四年生からどんどん減ってまいりまして︑それに対して﹁仲間

p 仲間

, 

,  , 

, ‑ ‑ ‑ ‑

, 

, 

, 

,  , 

, 

h

・ 一 ー ‑ . . ‑ ‑ ‑ ‑

-~

70  60  50  40 

30  20 

家 族

4 5 6 l 2 3 1

「誰と一緒にいたいかJへの回答

(パウアー.T.  G. R(鯨岡峻訳):ヒューマン・ディペロッペメント。

p.417.  ミネルヴァ書房.1982)  1

といたい﹂というのが増えてくる︒ちょうど

10 

中学校二年のところで逆転しているというの

これが非常に面白いことであります︒先

ほどの村瀬孝雄先生のデlタともぴったり一

致する結果であります︒ く

小学校の段階までは︑主に対人関係といい

ましょうか︑親子の縦の関係というものを大

切にしてやってまいりましたが︑小学校の途

中からですけれども︑自分らの仲間たちと︑

ある意味で徒党を組んで遊びまわるというこ

とが行われるようになるわけです︒中学校に

て︑自分らの仲間たちとの関係を大切にする︒あるいは仲間たちの考えを大切にして︑親 な

って

も︑

それがだんだん進行いたしまし

の考えは二の次にするということが起こってくる︒この友達との横の人間関係というもの

が︑成立してくるわけであります ︒

昔からギャングエイジ︑徒党を組んで悪さばかりするのでギャングエイジと言うんだそ

うです︒いわば過渡期には︑自分が親に対して疑問を感じながらも︑一対一で親に対決す

ると︑だいたいやられてしまいますから︑一対一では親をやっつけることはできません︒

ですから︑自分らの仲間︑必ずグループを組んで︑親に対して︑あるいは大人の価値︑考

え方に対して反発をするという時期がくるわけです︒

それが過ぎていきますと︑仲間の考え方を大切にしながらも︑自分と親とが一対一で対

決できる︒あるいは︑やっぱり親のほうが強いですから︑対決とまではいかないですが︑

親に反発する︒

だけ

ど︑

一人で反発できるようになってまいります︒これが︑やはり中学

校二年くらいを境にしているようです︒学校の先生方も︑どうも中学校二年というのは一

思春期の心理と宗教の役割

つの転機になるらしい︑ということを経験からおっしゃっておられます︒特に︑中学校の

二年生の夏休みの前後︑夏休みの前と夏休みの後とでは︑ずいぶんと変化して︑いい子

だった子どもが生意気になっできたりとか︑大きな変化があるということがよく言われて

おります︒これはもう︑皆共通していることだと思います︒

その仲間と共に過ごすことによって︑あるいは仲間の考え方と交わることによって︑何

を子どもたちはしているかというと︑親の考え方とは違う︑自分独自の考え方を模索して

いるのです︒あるいは︑先ほど申しましたが︑自分とはいったい何なのかということを︑

意識的︑無意識的に考えたり︑迷い始めているということでありまして︑小学校の段階で

は比較的安定して︑問題なく過ごしてきた子どもたちが︑意識的に︑自分でも気づくよう

な形で︑自己を問うという最初の段階に入ってくることになります︒

これは皆様に説法するみたいでたいへん恐縮なんですが︑当然宗教では自己とは何かと

いうことを問いまして︑それを大問題にするわけであります︒本来の自分というのは何か

ということを問うわけですけれども︑この思春期の段階の子どもたちの問いというのは︑

か︑本来の自己とか︑ そこまで意識的にはなっていないだろうと思います︒その宗教家が言う自己とは何かと

そういう意識的な問い︑意識的な追求というのとは︑思春期の子ど

もたちの自分とは何かという問いとは︑はっきりと区別しておく必要があります︒

宗教のほうでは︑自分が作り上げた自我といいましょうか︑我を︑自我をつぶして︑

ー コ

ぶし抜いていく修行をするわけですが︑思春期の子どもたちというのは︑ある意味でその

最初の自我を作っていく段階ですから︑ここでしっかりと自我を︑もう我のかたまりでい

いわ

けで

それを作らせてやらなければいけないと考えます︒

です

から

はじめから我は

いかんのだということではなくて︑ここではやっぱり一

E

は我

を作

って

それをわれわれ

思春期の心理と宗教の役割

老 年 期 咽

成 人 期 w

前成人期 VI 

青 年 期 V 12

学 童 期 N 6.7‑12

遊 戯 期 E 3.4‑6.7

幼児期初期 ‑3. 4

乳 児 期 I 0‑1.5

的性

信不頼

観孤対

同同性乱

格性

2 発達段階 心理・社会的危機 CE.H.エリクソン)

近 だ て の い、 、 危 ろ 死ら まし い 図た

「 こ れ の と 黙触 こ 、ー 発 と 私 警 ん ぬ て へ 2 心 こ さ 点 で つ 達 考 た な ま 、 ん が 理 に せ に は て 心 ぇ ち 通 危 で 私 有 ご ・ エ て つ な 見 理 る は 過 機 に た 名 ざ 社 リ い い い 守 学

も 発 す を 、 ち な い 会 ク た て か つ わ

け 達 る 経 人 が 図 ま 的 ソ だ は と て し こ 験 生 生 式 す 危 ン き ま 恩 い だ で て と す に ま で 機 と ま た い る い す ゆ に る お れ ご こ 」 い す 後 ま と ぷ く よ 。け て ざ れ と う 。ほ す い そ 最 ん っ そ る か い は い 方 ど 0

れこそ発達︑成長いたしまして︑発達というのは︑生まれてから死ぬまでが発達なんだ︑

従来の考え方のように︑大人になったら発達はおしまいというのではなくて︑本当に一生

涯を通じての発達ということを問題にするようになってまいりまして︑そういう図であり

ます

︒一

番左 下の とこ ろに

これはエリクソンの考え方でありますが︑﹁

乳児期

﹂と書いてあ

ります

︒ ﹁ O歳から一・五歳まで﹂というふうに︑これは私が勝手に記入しました︒あま

り厳密に︑この一・五歳までが乳児期だと考えていては具合が悪いんです

が ︑

一応の目安

として︑ここに書いておいたわけです︒一・五歳といいますと︑言葉が出てくる頃︑少し

言葉

がしゃべられるぐらいで︑知的な働きにもいろんな変化が出てくる段階であります︒

ここでは基本的にはお母さんとの聞に安定した信頼関係というものが築かれるか築かれな

いかという︑人生における最初の︑非常に重要な危機的な場面が出てまいります︒

よく言われることですが︑子どもが安心してお母さんのお乳を吸っていた︒これが︑安

心していられるというのが︑基本的信頼︒自分以外の者に対してというのでしょうか︑ま

だ自分と他人という区別もできていない︑自と他との未分化な段階ではありますけれど

も︑ともかく安心してゆったりとしていられるという段階があるわけです︒歯なんかが生

ドキュメント内 布教資料 第06集 現代教化の視点 (ページ 57-140)

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