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第 4 章 翻訳プロセスの質的分析

第 4 節 小説の翻訳

1項 翻訳プロセスの概観

小説の翻訳プロセスにおいて協力者が共通してこだわる箇所は、主に以下の 6 点であった。

(1)In this manner, the issue was decided. の解釈と訳出 (2)単文の反復と訳出における主語(she, he)の省略 (3)lean backの理解

(4)She would have it, this baby. におけるwouldの用法 (5)句読法(引用符、感嘆符)の訳出

このうち本節では、主に1点目のIn this manner, the issue was decided. の解釈と訳

出および 2 点目の単文の反復と訳出における主語の省略にに焦点をあてて論じる こととする。これらは、本テクストの特徴を強く反映していると考えられるからで ある。

2In this manner, the issue was decided. をめぐって

このテクストの特徴のひとつは、最終行である当該箇所において、結末が明示さ れないまま、唐突に物語が終わることであろう。この箇所で学習者は、decided と いう語が何を意味するのかという語義に関する理解や、this mannerやthe issueとい った間接的な指示表現が何を指すのかについての理解が必要となる。同時に(ある いはその後で)学習者は、ここで「問題が解決した」とあるのは誰の判断か、また、

本当に解決したといえるのか、解決したとすれば、それはどのようにであるか、さ らに、このように非明示的に書かれることが何を意味するのか、といった解釈に立 ち入ることになる。

協力者の翻訳プロセスは、大きく分けると以下の6段階から構成されているよう であった。すなわち、(a)分からないことに気づく、(b)語の意味を考える、(c) 訳語を選ぶ、(d)諦める、(e)解釈に至る、(f)訳文を産出する、という6段階で ある。これらは厳密に区別することが難しく、また、直線的な流れを構成するもの ではないが、この6段階によって小説の翻訳プロセスを捉えることができる。

(a)分からないことに気づく

以下(1)で協力者が述べているように、manner や issue などの語は、本調査の ほとんどの協力者にとって既知語である。そうした語について、もう一度意味を問 い直すのは、最終的に訳さなければならないというタスクの特徴といえるだろう。

事前の内容理解において無自覚的に読み飛ばし、分かったつもりになっていたこと について、翻訳という課題の中で再検討する必要性に気づくのである。

(1) K17

調査者:そのあと、最後のIn this manner, the issue was decidedまで読んで、

そのあと、こう辞書で調べるんだけど、ここらへんは何を考えてい るの?

協力者:この、先に全文の方を読んだ時には、manner も issue もそこまで 難しい単語じゃないんで、意識してなかったんですけど、いざ訳す となると、どう訳していいのかわからなくて、どんな意味があるの か、どんな意味が合うかなって思って。

(b)語の意味を考える

分からないことに気づいた後、協力者は、問題の同定と解決にむけて試行錯誤す る。以下(2)の例にあるように、語の意味を辞書で調べたり、文脈から推測した り、といった、これまでの読解経験に基づく方略を総動員しての理解が生じる。

この際に注目したいのは、かなり広範囲にわたって捉え直そうとすることである。

単語の意味の確認から、文の意味の確認へ、さらには前のパラグラフ、テクスト全 体といったように、次第に大きな範囲へと読みが遡上していく。そうして、単語の 意味からテクストを理解すると同時に、テクスト全体から語を理解しようとすると いった、相互作用的な読みが生じる。

(2) J25

調査者:と、1番最後の文、「このような風習」の「風習」のところでなん か、考えながら書いているような感じなんだけど、これは何を考え ているんですか?

協力者:と、さっき、最初に読んでいくときに、mannerがさっぱり分から なくて、で、これ文化的なことなのかなと思ったんですよ、manner を調べた時に、風習とか習慣とかってあったから、で、文化的なな んか、だから例えば日本やったら、男の人が抱っこするとか、そう いう風習とか習慣とかなのかなと思って、でもやっぱなんかおかし いなと思いつつ。

L7

調査者:それで、その最後の文を読んでるんだけど、In this mannerのあと に、スラッシュを入れて、そこでちょっと考えてるんだけど、ここ は?

協力者:と、この manner っていうの、訳すときに、manner ってどういう 意味で使われるのかなって、日本語でmannerってマナーって感じ だから、それでもいろんなほかの意味があったりとかして、ここで そんなにマナーっていうふうに訳すのは、なんか違うんじゃないか なと思って、もっと他にいい意味とかがあるんだったらなぁ、と思 って類推できるかなぁと思ったんですけど、できなかったんで、だ ったら辞書を借りてみようと思って、辞書をかりてみたんですけど、

まぁ、そんなに、そんなに。

c)訳語を選ぶ

そうして自らの理解を確認しながら、適切な訳語を選び取っていく。

以下(3)の例で協力者Lは、自分の訳と原文と辞書を参照しながら、理解を確 認すると同時に適切な語を選ぶという活動を継続的に行っている。ここで協力者J

は、issueに対し、最初は「問題」、次に「結果」という訳語をあてることを決断し

ている。それに伴い、先送りしていたmanner に「態度」という訳を与えることに なる。ここで学習者は、英日間での一対一の対応が存在し得ない(尐なくとも、存 在しにくい)ことに自覚的になる。

(3) L29-31

調査者:そのあと「結果」っていうふうに書いて、そこでしばらく止まっ てるんだけど?

協力者:これは「結果」でいいの?って、もう1回。

調査者:その、え、「その態度では結果は決まっていた」まで書いて、最後 の英語の文を読むんだよね、In this mannerって。

協力者:で、読んでみて、読んでみて、や、本当にいいのかなって、思っ たりしてました。で、もう1回mannerを調べてるんですよ。

調査者:この時は何を考えてるの?

協力者:こっちを、一応「結果は決まってた」って、書いて、じゃあ、結 果は決まってたっていうのを、これだとして、じゃあmannerをも う1回ひいてみようと思って、戻ってきました。

(d)諦める

こうした理解の再検討や訳語の選択が、常に解決に至るわけではない。以下(4) の例にあるように、諦めることがある。この例は、報告中に唯一明示的に言及され た例であるが、潜在的にはむしろ、全ての訳出という行為が理解と訳出の間の妥協 であるとも言える。そうした中で、原文の表現と自らの理解の間ので落としどころ を、訳出という形で探っていくのである。

(4) H18-19

調査者:そのあと、issueをしばらく調べてから「結末」っていうふうに書 くのかな、そこでまた考えるんだけど、そこは何を考えているの?

協力者:「結末」っていうのを見つけて、あ、いけるんじゃないかと思った んですけど、その説明に、an issueで結末って書いてあって、さら に稀って書いてあって、あ、これ、the、the issueだし、違うかなっ て思って、で、やめました。

調査者:そのあと、「結末」っていうのをやめて「問題点」っていうふうに 直すんだよね、そこは何を考えているところ?

協力者:もう正直分からなかったので、無難にいこうかと思って。

この点は、第3部以降で論じる翻訳の評価にも関係する論点である。すなわち、

どの程度「正しく」理解しているのか、あるいはどの程度「深く」考えたのか、そ の結果が、訳文に反映されない可能性がある。上述の例のように、「無難に訳す」

ことによって、英語の理解度や、取り組みの深さが隠れてしまう可能性がある。そ うした点は、第3部以降で論じることとし、本章の射程はプロセスにおけることば への気づきの記述に限定する。

e)解釈に至る

先の(c)で論じたように、訳語選択の判断に際しては、学習者の解釈が反映さ れる。

例えば先の(3)の例で協力者 L は、「問題」ではなく「結果」という語を選択 した。明示的な言及こそないが、訳文や思考過程から判断するに、赤ん坊の最後を 示唆するような訳文を産出し、明確な結末を物語に与える判断をしたと考えられる。

同様に、以下(5)の例における協力者Jの言及においては、より意識的に、「思 い込みかもしれないですけど」といいながら、1つの解釈に至った様子が語られて いる。

(5) J27-28

調査者:このあと「風習では」を消してから、「結果は」というふうに続け ていくんだけど、これで、こう、「風習では」を消してから「結果 は」って続けていってるときには、何を考えてるの?

協力者:えと、これ、私の勝手な思い込みかもしれないですけど、赤ちゃ んのことを書いているのかなって思ったんですよ。なんか、で、issue に結果っていう意味があったので、勝手に妄想して、なんか、この 赤ちゃんが死んじゃうのかなって思って、で、えと、それだったら、

風習よりも、manner、使い方とかそんなのがあるから、そっちのが いいかなと思って、書き直しました。

調査者:「結果は見えていた」って書いた後に、辞書で今度はまた manner を引いているのかな、これは何を考えているところですか?

協力者:と、manner の、うーん、1 番最適な訳し方が、こう、載ってない かなと思って。

当該箇所であるIn this manner, the issue was decided. は、一読すると、この赤ん坊