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第 2 章 1990 年代

3 小括

ここでは本章の議論をまとめたうえで、仮説との照応関係を確認したい。

1990年代の政策背景は、①不法就労者の増加、②グローバル化の進展、③労働力不足の 深刻化であった。まず①と②に対応する政策として1980年代後半、労働省より雇用許可制 が提唱された。しかし法務省などの強い反発により雇用許可制は実現せず、法務省の主導に より改正入管法が成立した(第1項)。他方で同法の成立前後より、③の問題を解消するた め、経済界を中心に外国人労働者の受け入れ緩和を求める声が相次いだ。これを受けて第三 次行革審は、単純労働者の受け入れを公式に認める大胆な政策転換を検討したが、入管法の 枠組みを重視する法務省や、国内労働者の雇用悪化を懸念する労働省の反発によって、後退

を余儀なくされた。その結果、入管法に根拠をもつ「研修」を前提とした外国人技能実習制 度が成立し、研修生の法的保護の問題を生み出すことになった(第2項)。また雇用許可制 の頓挫による外国人労働者政策の不在は、日系人労働者の無制限な流入を引き起こした。彼 らは非正規労働者として日本に流入し、社会統合政策も不十分な中で、不安定な生活を強い られることになった(第3項)。一連の流れを表したものが図2-3である。

以上の政策決定過程において、労働政策の観点から外国人労働者の受け入れ制度を構築 しようとした労働省は、影響力を発揮することができず、そこで主導権を握ったのは主に法 務省だったといえる。法務省は出入国管理制度の枠内で外国人労働者政策を構築し、その矛 盾が技能実習生と日系人労働者の受け入れにおいて露呈することになった。ただし注意し たいのは、労働省もまた、国内労働者の保護を重視し、単純労働者の受け入れには慎重な姿 勢を示していたことである。第三次行革審の改革案に反発した経緯からも示唆されるよう に、こうした労働省の消極姿勢が、単純労働者の受け入れのあり方を歪め、「サイドドア15」 からの受け入れを認める結果をもたらしたともいえる。

労使はどのような影響力を発揮しただろうか。まず労働組合は、政策形成に深く関与する ことができなかった。例えば1988年9月、連合の山田精吾事務局長は、雇用許可制にかん する議論の中で「あとは受け入れ管理体制に労組が参加できるようにしてほしい。雇用許可 制は各省の管轄の問題もあるのだろうが、きちんとチェックできるように是非実施して欲 しい」と述べていたが(『朝日新聞』1989.9.26 朝刊)、労働省の構想が頓挫したことで、労

15 日本で働く外国人労働者を、その受け入れ方法に着目して「フロントドア」、「サイドド ア」、「バックドア」と分けて呼ぶことがある。就労を目的とする在留資格を持つ外国人を「フ ロントドア」からの外国人労働者、技能実習生や留学生など就労を目的とする在留資格を持た ないが合法的に滞在して働く外国人を「サイドドア」からの外国人労働者、合法的な滞在資格 をもたずに働く外国人を「バックドア」からの外国人労働者と呼ぶ(鈴木 2015:13)。

政策背景 政策決定過程 政策実施

①不法就労者の増加

②グローバル化への対応

③労働力不足の深刻化

・法務省:改革を主導

⇔労働省:雇用許可制の 頓挫

・行革審:大胆な改革模索

⇔法務省・労働省:反発

法務省:改革案の主導

・1989年入管法改正 労働市場規制の不在

→日系人の流入

・技能実習制度の導入 2-3 2章の政策決定過程

出典:筆者作成

使の利害のもと、外国人労働者の受け入れや処遇について検討していく体制が整備される ことはなかった。くわえて連合はそもそも単純労働者の受け入れに消極的だったため16、そ の受け入れ制度のあり方について具体的な提案を行うこともなかったといえる。他方で経 済界では、様々な経営者団体が外国人労働者の受け入れ緩和を求める提言を発表していた。

特に中小企業が直面する労働力不足の窮状は、自民党議員に伝わることで、党内の中小企業 調査会や外国人労働者問題特別委員会において、受け入れ拡大の検討が行われた(『日本経 済新聞』1990.5.31 朝刊)。ただし経済界の見解が一枚岩だったわけではない。財界4団体 の1つをなしていた日本経営者団体連盟(日経連)は、単純労働者の受け入れは認めないと いう方針をとっていた17。こうした姿勢が変化し、経済界全体が受け入れ拡大に転じていく のは次章で扱う1990年代末以降のことである。

以上のように、労働省は政策決定過程において、法務省との権限争いから、あるいは国内 労働者への配慮から、影響力を発揮することができなかった。その結果、労働政策の観点か ら外国人労働者の受け入れが実現することはなく、労働組合の政治過程への参加も保障さ れなかった。こうして仮説で示したように、不十分な外国人労働者政策が成立したといえる。

16 1988年9月、連合の山田精吾事務局長は、労働省の「外国人労働者問題調査会」が中間ま

とめにおいて、専門的・技術的職種の労働者は受け入れる一方、単純労働者の受け入れは認め ないという方針を示したことに対して、「連合の方針と合致する部分が多い」と評価していた

(『朝日新聞』1988.9.26 夕刊)。

17 日経連は1988年9月、組織内に設置した「外人労働者問題研究会」での検討をもとに、「単 純労働者は認めない」「技術、技能をもつ労働者は受け入れを拡大する」という方針を示した

(『朝日新聞』1988.9.2 朝刊)。翌年9月にも、鈴木永二会長が同様の見解を示し、「人手不足 で困っている建設業界などはここは我慢してもらうしかない」と述べていた(『朝日新聞』

1989.9.13 朝刊)。

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