本章では本稿を締めくくるにあたり,将来の高齢者虐待防止と援助の在り方に焦点をあてて 考察する.筆者はこれまで一方で第 1 章に述べたようにわが国の高齢者虐待防止法に規定さ れた定義の課題を明確にし,第 2 章では先駆的な自治体の取り組みや事例に照らしあわせて 現実の諸問題を抽出した.また,他方第3章ではイギリスの意思能力の推定原則及び「harm」の 視座とイギリスの諸制度に示唆を求めて,高齢者虐待防止と援助の在り方について考察してき た.
その結果,わが国においては 2005 年(平成 17 年)11 月 1 日に高齢者虐待防止法成立,
2006 年(平成18 年)4月 1 日より施行され,一応高齢者虐待防止と養護者を支援する制度が 動き出したものの,この7年間の高齢者虐待統計や施設従事者・家族への面接調査から,虐待 事例に十分対応できていないことが明らかとなった.それはまた,在宅や介護現場で起こってい る虐待すなわち高齢者が被る危害(harm)の把握には現行法制度では限界があり,高齢者が被 っている数々の危害(harm)がこぼれ落ちていること,加えてこの問題が高齢者虐待防止法成立 後の制度運用の未熟さという問題だけに留まらず,措置から契約へと転換した福祉サービスの 政策展開の中で,ケアの質を保障するための高齢者施設の「運営基準」,「指導監査」,「第三 者評価」,「苦情解決」等の諸施策が形骸化,あるいは機能不全状態であることを意味するもの ではないかと考えた.
このような状況は全国の市町村の財政事情,サービス基盤の整備,高齢者虐待の相談窓口 である地域包括支援センターの専門性や権限の低さ,地域特性など様々な要因が絡み合って いる.おそらく,本稿に紹介した先駆的な自治体がある一方で高齢者虐待防止法制度がまだ十 分機能していない自治体も多くあるものと推測され,地域間格差も懸念されるところである.この ように介護場面において高齢者虐待という人権侵害は水面下で多数起こっており,介護サービ スや高齢者虐待防止法制度が高齢者の権利擁護のための支援につながりにくい側面を持って いるとするならば,虐待者と被虐待者という関係のみならず,その社会的法制度の仕組み自体 を考え直す必要があろう.
したがって,この章ではharm の視座とイギリス法制度からの示唆を得てわが国の高齢者虐待 防止の目指すべき方向性を明らかにし,制度の在り方を根本的に立て直すために新たな制度 設計に少しでも参考になるいくつかの提言を試みたい.しかしながら,イギリスの法制度と成立 背景が異なるわが国において,「高齢者虐待防止と望ましい援助へのグランド・デザイン」を創り 出すことは容易なことではない.本稿はその意味において,わが国の虐待の本質の捉え方を
「abuse」から「harm」へ転換しながら,今後の新たな高齢者虐待防止法制度と望ましい援助の 在り方についての議論の切り口を示すことに過ぎないかもしれない.本章ではそれにあえて果敢 に挑戦したいと考えている.
第1節 高齢者虐待防止と望ましい援助の在り方への提言-将来展望を見据えて-
スコットランド法の高齢者が被る危害を軸として捉える危害(harm)の考え方からすれば,わが
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国の高齢者虐待防止法の通報で主に「著しい虐待行為」を捉えるのでは高齢者の被る危害を 早期発見・早期対応することはできない.そこで筆者は以下にあげるいくつかの提言を行う.も ちろん,これがすべてではないが,把握手段の強化を幾重にもはりめぐらせることによって,これ まで把握できなかった高齢者が被る危害 harm を拾いあげ,その実態を明らかにする必要があ る.
1)権利擁護を必要としている高齢者,被っている危害(harm)を把握するために
(1)高齢者虐待防止法定義での改正
①虐待行為類型への「自虐(セルフ・ネグレクト)」及び「その他」の追加
まず,わが国の高齢者虐待防止を考える時,前述してきたように行為類型にある「程度」は厳 密に「著しい」に限定すべきではなく,「その他」を設けることによって,高齢者本人に何らかの支 援が必要な状態を捉える範囲を拡大する.諸外国の例では,民族や人種,宗教,性別,経済 状態などにより,公平に医療や介護サービスが受けられない,社会参加が認められない状況が 起こっており,今後新たな虐待が出現する場合にもその態様をキャッチすることができるのでは ないかと考える.現場や研究者の中には「その他」を設けることは判断の混乱を招くのではない かとの意見があるが,その点についてはすでに開発されているアセスメントシートによっておおよ その分類と程度の見極めが可能になってきており,むしろ「その他」を意識づけて現行の 5 類型 に精度を高めて分類することができるであろう.
次に社会からの孤立が孤独死(孤立死)の要因であることからも,虐待を二者関係に限定す ることなく,自虐(セルフ・ネグレクト)も加える.
したがって,筆者は高齢者虐待の類型としては以下のような案を示したい.今後は程度にお いて軽微なものも含めて類型に困る事例の態様,その詳細を検討していく必要があるのではな いかと考える.
高齢者虐待の行為類型
①身体的虐待
②心理的虐待
③介護・世話の放棄・放任(セルフ・ネグレクトも含む)
④性的虐待
⑤経済的虐待
⑥その他(高齢者の尊厳を傷つけると思われるもの)
②適用施設に医療機関等を含める
今や医療を提供する病院や医療従事者は不適切なケアをしない倫理観をもった存在である という前提はもはや崩れつつあることは,新聞・テレビ等の事故・事件報道や本稿でのインタビュ ー事例からも明らかである.精神薬や睡眠導入剤の過剰な投与,腎機能が悪化していても点滴 を行い水分の摂取や・排泄をコントロールしていない,少しの手助けでトイレに行けるにもかかわ らずオムツを強要する,経管栄養などのチューブを引き抜かないよう両手をベッド柵に縛られて
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いるなど,医療現場でも行われているこれらのケアの現実について,自らの施設で生じた事故 や不適切なケアの実態を関係者や施設利用者の通報に委ねるだけでは限界があることは言う までもないであろう.そこで,高齢者虐待防止法の適用施設に医療機関を含めることによって病 院での虐待や3条件を満たさない身体拘束,不適切なケアの防止や抑制を図ることを提案した い.将来的には貧困ビジネスに使われている生活保護施設や劣悪な介護付き有料老人ホ ームも規制対象に入れなければ,高齢者が被る危害を防止することができないものと予 想もしている.
(2)苦情窓口の強化
社会福祉基礎構造改革の中では,ケアの質を向上する施策として「サービス評価」とともに
「苦情解決」が位置づけられている.まず,介護保険制度下の国民健康保険団体連合会(以下,
国保連合会と称す)行う苦情解決の概要について述べる.なお,詳しくは各都道府県の国保連 合会が提示している介護保険にかかる苦情処理手引き(以下,手引きと称す)を参照していた だきたい.手引きによれば,事業所やサービス担当者,地域包括支援センター等の関係機関な どに相談・苦情があった場合,事実確認,原因究明,改善などが行われることになっている.とこ ろが,現行の都道府県や市町村単位の窓口は高齢者本人や家族に身近である反面,相談し た個人が特定されやすい不安や迅速な対応が期待できないと敬遠されがちである.また,直接 事業所に苦情を申し立てることは,インタビュー事例が示すように高齢者本人や家族にとっては 施設退去につながるかもしれず,実際には申し出ることが非常に困難である.高齢者本人や家 族が施設に対して抱く不満や不信のすべてに対応することはたやすいことではないが,高齢者 の人権侵害の防止のために施設等に強く指導できる権限を有した機関が求められる.
(3)高齢者虐待オンブズマンの導入強化
介護保険法では,全てのサービス事業者に対して自らサービスの質評価を行うことと 努力義務が課されている.しかしながら,前述してきたように高齢者施設では虐待や不 適切なケアに対してスタッフや管理者からの通報はほとんどなく,実態を把握すること が困難な状況にある.そこで,筆者は高齢者虐待オンブズマンの積極的な導入を提言し たい.
なぜなら,家族は高齢者を預けているため意見や苦情,改善の申し出を言い出せない ことも多く,むしろ,事例にあったEさんの妻やFさんの娘Gさんのように頻回に面接 に来る家族よりも施設に預けたままの家族も少なくない.たとえ,入所施設での怪我や 骨折について「高齢者自身の転倒によるもの」との説明に疑問や不審を抱いていても,
容認せざるを得ないケースもあるのではないだろうか.施設を転々とするFさんの事例の 背景には,苦情を生む過酷な介護現場の現実(人手が足りない,介護報酬が少ない,重労働 等)もあり,それらを根本的に解決しないままでサービスの質を改善することは難しい.特に,Fさ んが夜間に転倒して怪我を負った場面では夜間の介護がどのような状態であったのか,娘のG さんがカルテの開示を求めても施設は応じなかった.その理由として粗雑なカルテ記載,あるい は施設にとって都合の良い改ざんなどが習慣化していることも考えられる.これらの状態を秘匿