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ドキュメント内 (1321) I (ページ 39-44)

会員は

,財

団に対 して

,個

々へ投資することによって

,  

ています。それ故応募学生 も

,本

財団奨学基金の設置の 彼等はそれぞれ財団の仕事 を引続いて成功 を頒っている

  

主旨をよく理解 して願書 を提出されることが望ま しい のだ とい うことを知って満足するであ りましょう

.彼

  

しか し単なる給費学生であってはな らないこと

 

即 ち将 の真に

,諸

国民の間 よ り,  よりよき理解 と親善に

,即

  

来において国際的国際人 としての重大な使命を果す善意 将来のために投資 しているのであ ります」

        

の人であることが重大要素の一つであ ります

この投資 とい う語は前述の親善大使 とか

,国

民間の思

   

それ と同様に鉛衡委員 も

,単

なる学力のみに重点 を置 想の通訳 と共にいかに も米国 らしい表現ですが

,実

に解

  

きません

.勿

論留学 したい学生の ことですか ら自分の行 り易い文句 とも思います

      

先の国の語学 に対 しては相当の自信 と練達の ことは第一 資金は この 10弗の外に随時且つ任意寄附によって も

  

条件であることは言 うを待 ちません

.本

年の東京の如 き

年々増大 されてることは申すに及びません

        

は東京7クラブ合同で試験 を行いま したのですが応募者

53名

に達 し

,大

多数の方が語学 に対 し優秀の方であ りま

     

 

集 と 鎗

 

 

嵐 誕

I,35%褻

L鷹

  

√ 曇

日本の口 タ リークラブは残 らず国際奉仕に活動 してぃる

ロータ リー米山奨学金委員会

 

東京

R.C.穂

御承知の通 り日本の ロータ リーの生みの親 は故米山梅吉翁その人である。彼は米国で三 井の福島支店長の案内で, ロータ リークラブ の例会に出席 して深 く感ずる所あ り

,今

か ら 38年前に日本に初めて『東京 ロータ リークラ

ブ』 を倉J立せ られ

,初

代の会長 となられた 其後翁の直接の尽力により各地に設立 された

クラブ及びそれ らのクラブがスポンサーとな って生れたクラブは

,翁

の子或は孫に外なら ず

,今

や曽孫す ら出来て現在のクラブ数は,

200を

超えている

 

この恩人の功績 を仰 ぎ,な お模範的な ロータ リアンであった翁の高風 を 偲ぶ金字塔 として

,東

京 ロータ リークラブは 1953年4月 に

,会

員個人及会員主宰の法人の 寄附によって米山記念奨学金をつ くり

,其

運 営機関 として米山記念奨学金特別委員会 を設 けた

 

U立以来委員諸君の ロータ リー精神 を 発揮 した献身的努力は洵に有 り難い ことでぁ つた

この奨学金によリインドか ら2名,タ イか ら1名 の留学生 を東京大学及東京木産大学に おいて水産資源学特に鮪漁業

,水

産物の冷凍,

罐詰

,養

蚕 をそれぞれ学習 させ, 1名は目下 東京大学農学部の修士課程に在 り

,他

の 1名

は本年 3月 学士 となる見込である

 

漁業 も養

蚕 も日本の特技である

 

これ らの青年が錦 を故郷に飾 り イン ド国民の食生活 を豊富に し,タ イ国民の衣生活 を改 善 したならば

,両

国民の我国に対する親善感 を一層深め 得るだろ うと期待 している

この事業は東京 ロータ リークラブで始めたが

,我

々は これ を全国の ロータ リークラブの事業に して

,制

度の水 続 を計 り

,又

活動の範囲 も拡げたい と当初か ら考えてお って

,東

京 クラブ内の前記委員会規程に も其旨を記 して 置 いた ことであった

 

東京 クラブの事業はいわば鉱山の 試掘の積 りであったのである

.幸

に して追々と他 クラブ に賛同の機運が熟 し,1956年 の旧60区及62区の地区大会 において両地区所属の全 クラブが此の事業に参加するこ とを満場一致で議決せ られ

,更

に1957年の350区,355区 及360区の連合地区大会で再確認 された。即 ち 1958年1

21日の調べで, 350区 の36ク フブ,355区の49ク ラブ,

● ― タ リー の 友‑3月号

タ イ留 学 生 ソ ム チ ヤ ー ド君 東京大 学農学部在学 修 士課程,養蚕専攻

の基本財産 を持 っていることが要件である

 

積立金は こ のためである

先般 ジョージ・ ミー ンズ君の来朝の際わた くしが米山 奨学金の ことを話 した処

,非

常に興味 を持 たれ

,激

励 さ れた

 

其後

ROTARIAN"の

編集主幹 クルーガ ァ君か ら詳 しい報告 を求めてきたから

,い

ずれ同誌上 に紹介の 記事が掲載 されたであろ うと思 う。 この事業は

,世

界最 初の試みである東京 ロータ リー クラブのイヤホー ンの設 備の如 く

,国

際的好評 を博するだろ うと秘か1/C期待 して いる

ガバナーの公式訪間の際に

,地

方 クラブで国際奉仕の 方法 に苦んでお られる話が しば しば出ると聞 くが

,米

山 奨学金の事業に参加すれば白か ら国際奉仕活動 となる訳 であるか ら

,全

国 クラブが この事業を自分の事業 とせ ら れることを切に望む次第である

360区の43ク ラブ,合計128ク ラブ

,其

会員数 5,110名 が参加 されたのである

 

更に これに 止 らず

,本

年正月に大阪

,大

阪北

,大

阪南,

大阪東

,神

,神

戸西の 6ク ラブも参加せ ら れて半年分の寄附金 を送金せ られた

.関

西の 重鎮の参加は百万の援軍 を得た心持である

この発展に応ずるために1957年9月 に従前 の規程 を改めて『 ロータ リー米山奨学委員会 規程』 を作 り, これに基いて当時の参加クラ ブか ら漏れ無 く比例的に選出せ られた委員を もって新規の委員会 を構成 し

,事

業の運営機 関 とした。前述の関西諸 クラブは勿論,  今後 の参加クラブか らも委員が出ることは規定に 定めてある。

会員に御負担願 う寄附金は月額50円

,封

書 5通 の切手代であるが これで経常費は充分賄 える

 

この外に

,東

京 クラブ時代の経験 によ れば

,会

員主宰の会社の特別寄附

,会

員の贈 与や遺贈等 もあろうと思 うので

,新

規程にお いては

,此

種の収入は基本財産に組入れて積 立てることとした

 

なお寄附金による普通財 産に剰余 を生 じた場合には これ も基本財産 と して積立てる。本事業を永続するためにはぜ ひ財団法人 としなければな らない

 

財団法人 の認可を得るには文部省が必要 と認めるだけ

威 積

イ ン ド留 学 生

 

 

東 京 水 産 大 学 在 学

,魚

の 冷 凍

,饉

詰 を研 究

イ ン ド留 学 生

イ ー ベ ン 君

東 京 大 学 農 学 部 修 士

,現

在 イ ン ドに て 博 士 論 文 執 筆 中

.水

産 資源 学

(135e) 39

人間の社会はいつ も分業による共同生活であ ります その社会にあるあらゆる職場は

,社

会がそれを必要 とす れば こそ存在す るものであ ります

個 々の職場は適材適所主義で分担 されなければな りま せん。個々の人1司は何か 一つ自分に最 も適 した職場 を受 持つ義務があ ります

.受

持 った以L,その職場を社会に 対 して預かっている人は自分唯一人であるとい う責任を 忘れてはな りません

自分が この世の中の一員 として厄介になってゆ く以上 何かの職場 を受持つ義務があ り,その職場 を受持つ目的 は常に社会の繁栄公共の福祉 を増進することにあるわけ で, ロータ リーの精神 も全 くここに徹 しています.ロー タ リア ンとは

,如

何なる職業にあって も

,常

に社会への 奉仕 を信条 としている人であ ります

この意味において

,近

代の大実業家渋沢栄一翁の生涯 は

,世

界中の ロータ リアンの模範 として尊敬 され るべ き ものであると思 いますので,  ここに翁のお話 しをして見 たい と思 います

偉 大 な ろ市 民

民主主義社会における偉人 とは

,必

ず偉大な市民

(a

″滋

%)で

あ ります

 

渋沢翁 を評 して,偉大な実業人 とい うよりは偉大な市民 と呼ぶ方が更に大 きく更に適当な表 現であるか もしれません。我々が翁に打たれるものは, 翁の人間 としての偉 さであ り

,な

された多 くの御仕事 も,

その背後に光 る精神に敬服すればこそ偉大な事業 と讃え

東京 R.C.矢 野 ― 郎

40(1360)

第一国立銀行の錦絵

 

小林清親筆

られるのであ ります

逝 くなった私の父恒大は

,独

立独歩の人間であ りまし たが

,特

に渋沢翁には傾倒 していました

 

翁は道徳経済 合一論者 で

,右

手に算盤左手に論語 とい う主義の方であ り,父もそ こに共鳴す る所があったか らであ りましょう.

父に連れ られて初めてお 目通 りしたのは翁が80歳にな られた頃で

,若

冠の私に も大変立派な方だ とい う心か ら の感銘が残 りました

大正10年に翁は82歳で渡米 されましたが,その翌年,

私達親子 で欧米にゆ くことなったので

,出

発前にお暇乞 いに伺いました所

,細

々と色々な御注意を頂き

,又

是非 これ これの人を訪ね よと沢山の紹介状 を下 さいました

この紹介状が

,他

の方か ら頂いたの とは比較にならぬ 程有力であって

,い

かに渋沢翁が世界中か ら絶大な信用 と尊敬 を受けてお られるかをシき々と感 じさせ られました その翁がな くな られてか ら已に26年も経 ち, 日本 も民 主的な社会になってお るわけであ りますが,  さて今 日,

日本が生んだ偉大な市民は誰か とい うことになると

,私

は渋沢栄 …翁 と福沢諭吉先生のお二人 を挙 げたいのであ ります

 

今 日の 日本の生みの親は

,思

想的には福翁

,実

際的な正に於ては青淵翁 (翁の号

)で

あると言 って も過 言ではあ りまりまい

このお二人は所謂家柄や肩書 を上台に して成功 した方 ではな く

,あ

くまで平凡な一市民た らん ことを信条 とし て立派な人にな られた

 

渋沢翁は若い時一時官界に入 っ て経済行政を担当されたことと

,後

年功績 を嘉みされて 華族に列せ られた ことはあるが,その生涯を経済界のた めに捧 げて

,終

始在野人 として政治には一切関与 されず

THE ROTARY̲NO‐ TOMO

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