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太田耕遺先生の思想

ドキュメント内 亜細亜の夢 (ページ 33-47)

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第二部  太田耕遺先生の思想

建学の精神

昭和三十年︑亜細亜大学の設立が認可された︒本稿は︑太田先生の建学精神に関する最初の論述である︒−−昭

和三十年度r大学案内﹂所載 −

けみ本学は塾教育から発足し︑昭和三十年四月を迎えて十六年の歳月を閲している︒その建学精神は﹁自助協力﹂に

も ウ   こ れ

あり︑前身を興亜専門学校と称し︑更に日本経済短期大学と改名したが︑一以て之を貫きたるは︑E本の伝統と全

さたアジアの復興を強く念願して︑之を建学精神に基づけて教育し来ったことにある︒﹁自助﹂は独立に通ず︑独立は自

己能力の認識また試験で研学精神唯一の拠点となる︒而して﹁自助﹂のあるところに真理映ゆ︑﹁協力﹂の生ずる所

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本学卒業生多数は︑日本再建のための有力分子として︑現に其方に活動しっつあるが︑かつてその諸先輩は︑ア

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ジア大陸にまた南方諸地域に雄図を飽いて馳塵奔走したる歴史をもち︑その諸先輩の幾多勇魂をも彼方に留めてい

る所以であると思う︒

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今や寛にアジアの黎明期が来た︒アジアの独立と自由と協調を告げる暁の鐘はアジアの全域に鳴り渡っている︒正

に全アジアはその撃に応じて門戸を開放し︑通路を清掃して︑相互に廃人交歓の至情を披涯すべき欲である︒もし

あいよう自由アジアが誕生して︑全アジアの民人が相擁して文化交流︑経済合作を計ったなら︑アジアの市場は共通となり︑

ば っ こ う

生産は協力化され︑関税は自由となり︑やがてアジアは勃興し︑日本も複興し︑而して世界情勢は必ず一変する︒

いわゆる亜細亜大学は以上の認識と情勢実現のため︑重大使命を担って設立されたものであるが︑所謂大学教育の内容に

ついては︑特に留意して刷新充実し︑転換時代の教養に対しては万全の努力を払う所存である︒けだし学生の視野

を拡大し︑研学に生気を充満せしむることは︑学生将来のために計っても当世第一の急務である︒

本学には別に中学留学生部を設けてあるが︑既に多数の優秀卒業生を出し︑その後続の留学生をも含めて現に添刺

ひらたる︑文化的国際交通路を拓いている︒本学は︑本学に学ぶ学生諸君の明鼓に期待すると共に︑諸君のため最善を

尽くして専門的知識と人格向上の場たることを浣く期している︒

︵r太田耕遣全集︼第二巻3〜4貫所載︶

亜細亜大学とその夢

同窓会﹁青々会﹂が初めてその機関紙を発行することになり︑その創刊号に書かれた文章である︒﹁知行一致の学

風﹂︑﹁アジア学への情熱﹂︑﹁アジア各地に同名の亜細亜大学を設立﹂など具体的な亜細亜大学の道標が示されてい

る︒ − ﹁青々会報し第一号︵昭和三十一年四月一日付︶掲載 −

知行一致の学風

私は︑本学要覧の中で本学の建学精神が﹁自助協力﹂にあることを明記した︒本学の前身たる興亜専門学校の学

生諸君は︑この建学精神により鍛練されながら研学勉学に精励した︒そして︑卒業生諸君は︑この建学清神を体得

して社会各層に活躍した︒また︑多数の盟友がこの建学精神に鼓舞されて︑海外に赴き︑アジア大陸に︑南隈の海

ていしん域に挺身し︑その勇魂を留めておることも想起さるべきだろう︒

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本学の学風は︑この建学精神を文字通り学園に実現して︑いわゆる知行一致の学習を確立したところに伝統の一

貫性を示してきた︒

けんこう終戦後は︑内外情勢の激変をみたが︑わが学風はこの情勢に対応してますますあがり︑学徒の意気また軒昂︑祖

国再建とアジア復興のためさらに志望を拡大しょうとしている︒その第一着手として実現したのが亜細亜大学の設

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わが国の人口は︑昨年十月に八千八百万人となり︑十五年後には実に一億に達しようとしている︒四つの小島に

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この人口だ︒芋洗いのような︑同胞梱剋の修羅場におかれているわが国として︑この窮路をどう打開していくのか︒

この現象を大きくみるならば︑それはまたアジアの姿でもある︒科学文明の発達は︑世界の距離を縮小し︑世界

l︑えんたくしょうの運命を一蓮托生にまで追い込んでいる︒政治も︑経済も︑国防も︑今や一国だけでは︑安全を期し繁栄を計るこ

とはできない︒

いわゆる孤立主義は︑既に前時代の遺物と化した︒アジアは戦後に十か国の独立因家が誕生し︑民族主義は燈原

の火の勢で燃え拡がってきたが︑もしその風向きを誤ったら折角の新興国の運命は︑逆転して隣国相喰み︑再び漁

夫の利を占められて植民地主義の鉄鎖に繋がるる結果を見ないとも限らない︒

亜細亜大学とアジア学の理想

こんいつ亜細亜大学は︑理想として亜細亜学とも云わるべき独自の学問体系を研究創作し︑これによってアジアの洋一

を念威し︑全アジア人がその門戸を閑放し︑その通路を清掃して相互に隣人交歓の至情を披涯し︑ついにアジア

の市場が共通となり︑生産が協力化され︑関税が自由となるような自由アジアの建設に一役を果したいと思って

いる

たいがんじょよノじサこの大願成就は︑もとより容易でない︒しかし︑E本再建はこの夢なくしては不可能だ︒アジアの胎動もこの夢なく

しては失敗に終るだろう︒

亜細亜大学の建学精神は︑この大顧成就に魂を入れるものである︒

ことbぎ自助とは自立︑一本立ということである︒他力に依存しないということだ︒西洋の諺に﹁真理は自己を支持す﹂

とあるが︑自助はこの真理に立つということを意味する︒これを独立といってもよい︒しかして﹁協力﹂は︑独

立あってのことで︑独立のない協力は追随であろう︒アジアは独立した︒よろしく自助精神で国家軽骨を進めて

いく

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か り き

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しかし︑割拠精神は︑偏屈な民族主義に堕すおそれがある︒協力精神の基づけがあることが絶対に必要だ︒アイ

ゼンハワ大統領のいわゆる﹁独立と共存﹂という表現は︑これを国際政治に通用したものである︒

また集団安全保障体制の主唱者であったヴアンデンハーグのい

太田耕造全集

わゆる ﹁互助と自助﹂という表現もほぼ同一語である︒互助は自

助あってのこと︑共存は独立あってのことだ︒アジアは永年にわ

たり︑いわゆる植民地主義の対象となって自助なく︑したがって

協力なく四分五裂の割拠状態におかれていたが︑ついに独立国家

の創設となり︑ようやく協力体制の桟会到来をみるにいたった︒四

わた

月十八日から一週間に亙りインドネシアのバンドンで開かれたア

ジア・アフリカ会議はその好例である︒

hパンドン会議は︑自由主義︑共産主義︑中立主義の三派鼎立で交錯

していてその成果を判断することは未だ早急であるが︑自由主義︑共産主義ともに植民地主義の名を冠せられて人

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望を失し︑ネールの中立主義もまた時代錯例の灰色政策と断ぜられて暮色蒼然たる有様となったことが明らかにさ

れた︒かくしてアジア情勢は︑混沌社に新文化︑新勢力発生の黎明期にあることを思わしめている︒アジアの明日

は︑まさに劃目して観るべし︒

アジア各地への亜細亜大学設立

こんいっ亜細亜大学は︑全アジア人の夢であるアジアの渾一︑一体化のため︑まずアジア全域にその思想浸透を計るべき

急務を切感している︒

これがためアジア各地に同名の亜細亜大学の設立を急ぎ︑おのおの連鎖大学の教育を通じて文化交流︑経済提携

すばを計ったなら素晴らしいことだろう︒

だいがんじヱうじe亜細亜大学がこの大願成就の促進に微力を果し得られたらまた素晴らしいことだ︒亜細亜大学がすでに中国留学

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︑ え ん   そ し

生部を設立して︑多数の慶秀留学生を収容教育しっつある所以も素志実現の二面を示している︒

亜細亜大学の前途は遠く︑その使命はまことに重大である︒

︵﹁太田耕造全集﹂第二巻32〜35頁所載︶

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アメリカ合衆国第三十四代大統領︵一九五三〜一九六こ

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アメリカの政治家︒一九二八年共和党上院議貞となる︒四八年六月︑上院で採決されたヴアンデンハー

グの決議は︑自由諸国との相互防衛を推進しょうとするアメリカの外交政策の重要な原則となっている︒

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独立インドの初代首相︵一九四七〜一九六四︶

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