本章ではまず天津市の概要を簡単に説明し、それから天津市民調査の実施方法と個票データ から見た天津市民の社会階層と教育水準の特徴、および本調査の個票データの特質について説 明する。
第 1 節 天津市の概況
天津の歴史は隋代の大運河の開通に始まり、南運河と北運河が交差した「三会海口」は天津 市発祥の地である。唐代半ば以降、天津は中国南部の食品と絹を北部へ運送するための水陸埠 頭であった。元代では「海津鎮」が設置され、軍事要衝と水路による食料運送の役割を担った。
1860 年、天津は通商港として開発された後、西欧の国々は次々と天津に租界を設置し、同地は 中国北部開放の最前線と近代中国「洋務」運動の基地となった。軍事の近代化、および鉄道、
電報、電話、郵政、鉱物の採掘、近代教育、司法などの建設は、すべて全国に先駆けて行われ た。天津は当時、中国で第 2 位の商工業都市であり、また北部最大の金融商業貿易業の中心で あった。
1949 年の新中国成立後、天津市は直轄市として、経済建設と社会事業が全面的に推進され、
中国における総合性工業基地と商業貿易業中心としての地位を強固にした。1978 年の改革開 放以来、同地の沿海港湾都市としての地位は益々高まり、対外交流も広がり、各事業が勢い良 く発展している。
「2015 年天津市国民経済和社会発展統計公報」7によると、2015 年には、天津市の国内総生産 値(GDP)は 16538.19 億元に達して、2014 年より 9.3%上昇した。産業別に見ても、第一次 産業は 210.51 億元増加し、2014 年より 2.5%上昇している。第二次産業は 7723.60 億元増加 し、2014 年より 9.2%上昇した。そして第三次産業は 8604.08 億元増加し、2014 年より 9.6%
上昇した。三次産業構造は 1.3:46.7:52.0 であり、サービス業の割合は初めて 50%を超えた。
また、市民の収入にも増加が見られた。2015 年における都市部常住人口の一人当たりの年収は 34101 元に達し、2014 年より 8.2%上昇した。農村部住民の一人当たりの年収も 14739 元に達 して、7.3%の上昇が見られた。
7 「2015 年天津市国民経済和社会発展統計公報」(http://www.stats-tj.gov.cn/Item/25858.aspx)最終アクセス 2016.11.16。
そして、人口から見ると、外来人口が天津市の人口規模を推し広げていることが確認できる。
2015 年末の時点で、天津市の常住人口は 1546.95 万人に達して、2014 年末の 1516.81 万人よ り 30.14 万人増加した。その内、外来人口は 500.35 万人を占めており、2014 年の 476.18 万人 より 24.17 万人増加し、常住人口の増加量の 80.2%を占めていた。常住人口のうち、都市部住 民の人口は 1278.40 万人、都市化率は 82.64%である。
次節では本研究で使用したデータの概要について説明し、調査票の結果から調査期間中の天 津市民の構成の特徴を見てみる。また、調査期間中の天津市における社会構造の変化は、第 3 章で詳しく説明する。
第 2 節 天津市民アンケート調査の概要
本研究で使用する個票データは、天津社会科学院等が 1997 年、2007 年、2008 年と 2009 年 に実施した「家庭与社会生活変遷調査」から抽出されたものである8。調査の対象地域、サン プルの抽出方法と分布、調査項目などについては園田編(2010)に詳しいが、ここではまず、
サンプルの抽出方法について簡単に述べる。4 つの調査とも天津市の 6 つの区をすべてカバー しており、各区から1つの「街道」9、さらに各街道から 3 つの居民委員会または「社区」10 が抽出された。1997 年調査では、各居民委員会の戸籍台帳から等間隔で 67 世帯を抽出し、当 該世帯の世帯主(戸籍台帳のコード番号が奇数である場合)または配偶者(偶数の場合)を対象 に質問票に基づいた調査が行われた(6 区×1 街道×3 居民委員会×67 世帯×1 人≒1200 人)。
また、2007 年、2008 年と 2009 年調査では、各社区から同じ系統の抽出法を用いて抽出され た 50 世帯を対象にほぼ同じ内容の質問票に基づいた調査が実施された(それぞれ 900 人)。
以上のように、両調査の回答者は同じ人物ではなく、対象地域(居民委員会または社区)も 異なるため、厳密な意味では 4 つの調査の個票データを用いてその間の変化を比較分析する ことは難しい。とはいえ、4 回のいずれの調査においても社会調査のルールに従ってサンプリ
8 1997 年調査は科学研究費によるプロジェクト・「現代中国における『中間階級』の生成に関す る共同研究」(代表者は園田茂人氏、研究課題番号は 09044038、1997 年度~1998 年度)、2008 年 調査は人間文化研究機構(NIHU)・早稲田大学現代中国研究所の研究プロジェクト(責任者は園田茂 人氏)の一環として実施されたものである。なお、これらの調査を用いた主な研究成果として、厳
(1999)、園田(2001;2010;2012)、魏(2013)、厳・魏(2014)、魏(2015)、魏・厳
(2015)がある。
9 都市部の末端行政機関であり、農村部の郷鎮に相当する。
10 居民委員会に代わる用語であり、community の訳語である。
ングが行われ、そこから得られたサンプルの分析結果でもって天津市の全体状況を推測する ことは可能であると考える。
続いて、4 つの調査が実施された時点の社会経済的状況に触れ、本調査を行う意義について も指摘しておく。
社会主義市場経済を打ち立てることが決定された第 14 回共産党全国大会(1992 年)以降、商 業・サービス業から始まった国有企業の民営化・私有化改革が加速し、企業改革の対象も製 造業などの工業分野に広がった。1997 年は国有企業に対する全面的な市場化改革が開始され た年であり、大中型国有企業の体制改革を強める一方で、零細な国有企業の民営化・私有化 の徹底を眼目とする「抓大放小」が本格化した年でもある。その意味で、1997 年調査の計測 結果を通して全面的な市場化改革直前の状況を捉えることが可能であると考えられる。ま た、2007 年、2008 年と 2009 年調査は世界貿易機関(WTO)に加盟して6年以上が経過し、市場 経済体制への移行がほぼ完了し、社会構造も大きく転換していた時点である。2007 年、2008 年と 2009 年調査の計測結果からは市場経済体制下における収入決定、階層形成、世代間階層 移動の状況、およびそれぞれの決定メカニズムを理解することができる。さらに、これらの 調査の計測結果を比較して市場経済体制への移行過程で起きた変化を把握することも可能で あろう。
以下、本研究の分析目的に合わせて抽出されたデータの構造について簡単に説明する。
1997 年調査では、一般市民 1200 人のほか、月収 800 元を超えた、いわゆる中間層からも 800 人が調査対象として抽出されたが、2007 年、2008 年と 2009 年調査では一般市民だけが対 象とされた。一般市民の各時点における状況とその間の変化を比較することが本研究の主な 狙いであるため、分析では中間層サンプルの 800 人を除いたものを使うすることにする。
調査対象の中に勤務先に関する回答で「退職」に印をつけた者が多く含まれるが、本研究 の分析目的から第 4 章では 1997 年と 2008 年のデータに関して、こうしたサンプルをデー タ・セットから除去した。その結果、実際の分析で使える在職中の一般市民サンプルは 1997 年調査が 906 人、2008 年調査が 590 人となった。
教育に関する設問では最終学歴について答えてもらったが、計量分析の中でそれを教育年 数に置き換えた。具体的には「文字が読めない」が 0 年、初等小卒が 3 年、高等小卒が 6 年、中卒が 9 年、高卒(中等専門・技術学校を含む)が 12 年、大学専科卒が 15 年、大学本科 卒が 16 年、大学院生修了が 18 年、とした。また、学歴を使用する際に「小卒以下」、「大 専卒以上」でカテゴリーを統合して分析することも行った。
勤務先、職業に関しては、必要に応じてカテゴリーを統合する。勤務先について自営業、
私営企業、集団企業、外資系企業と答えた者を「民間企業」に、商業とサービス業労働者を
「商業・サービス業労働者」に、専門技術者と各種組織責任者を「専門技術者・組織責任 者」とすることもある。サンプル数が限られている中で一定の傾向性を見出すための処理法 である。
そのほかに、男性、党員、学歴、出生年代などのダミー変数を用いて分析を進めた。
第 3 節 個票データにみる天津市民の属性および人的資本
1.調査対象の属性と就業
まず、1997 年と 2008 年の調査で得られた在職中の一般市民の属性を表 2-1 の集計結果に基 づいて説明する。男性サンプルは女性サンプルより 1~2 割く、性別分布に若干の偏りがあ る。生れた年代別の構成比をみると、1997 年調査では 50 年代、60 年代生まれの人が全体の 4 分の 3 を占め、2008 年調査では 50 年代、60 年代に代わって 70 年代生まれの割合が増加した ことが分かる。両調査の回答者の平均年齢はそれぞれ 40.5 歳、42.8 歳、既婚者の比率は 95.3%、94.4%であった。抽出された対象世帯の世帯主かその配偶者が調査票を記入したと推 察できる。そのため、本研究の分析結果は、天津市における在職中の一般市民というより、
その中の既婚者の状況を表すものとみるべきであろう。
回答者の学歴に関しては、両調査の 11 年間で顕著な高学歴化が確認できる。中卒以下の割 合が大幅に下がり、大専卒、大卒以上の割合が上昇したのである。19.1%から 48.4%に高まっ た大専卒以上の学歴を有する回答者はどのように最終学歴を上げたのだろうか。まず考えら れるのは 1990 年代末から始まった大学教育の大躍進の効果である。実際、全国の 18 歳人口 に占める大専・大学への進学率は 1997 年の 5.3%から 2007 年の 21.7%へと急上昇した11。大都 市の天津市では進学率の上昇がより一層顕著であると推測できる。
ところが、天津市民の高学歴化はすべて大学教育の大躍進に起因したものとは言い切れな い。表 2-1 には示されていないが、2 つの調査で最終学歴が大専卒と答えた人の割合は、1950 年代、60 年代、70 年代に生まれた回答者でそれぞれ 14.0 ポイント、11.1 ポイント、16.0 ポ イント、また、大卒以上との回答者比率はそれぞれ 6.6 ポイント、4.0 ポイント、26.2 ポイ
11 各年の進学者数を 2010 年人口センサスに基づいた 18 歳人口の推計値で割ったものである。