4.1.格助詞「を」と動詞語幹が同種の変数を持っていることを示す証拠 4.1.1.証拠その一
第一の証拠は慣用句表現に関するものである。二項動詞に二項の対称性が 崩れていることを背理法で証明する。
(39) 二項動詞の二項の対称性が崩れていることの証明
今、他動詞文「〜が〜を切る」では、項「〜が」も項「〜を」も他 動詞「切る」と同じ親和性を持つと仮定する(仮定I)。すると、「〜が 切る」も「〜を切る」も同数の慣用句表現が存在するはずである。「切 る」の慣用句表現を挙げる。
a.「〜が切る」:無し
−305−
b.「〜を切る」:縁を切る、大見得を切る、腹を切る、風を切る、口火 を切る、口を切る、首を切る、自腹を切る、白を切る、
啖呵を切る、テープを切る、手を切る、腹を切る、幕 を切る、見えを切る、髪を切る、指を切る、…
仮定Aと上の観察データは矛盾する。よって、仮定Iは誤りである。よ
って、仮定Iの反対、「項『〜が』と項『〜を』は他動詞『切る』と同 じ親和性を持たない」が正しい。(証明終わり)
二項動詞の二項は、動詞と対称的な関係にない。つまり、どちらかの項が動 詞と親和性を持つ。観察データから、動詞は対格の格助詞を持つ項「〜を」
と親和性を持つことが分かる。英語のような言語でも同じ観察データが得ら れる。
(40) 慣用表現として
a.kick the bucket(= die)
b.? one kicks(= ?)
c.pull one’s leg(=足を引っ張る)
d.? one pulls(= ?)
e.hit the roof(= get very angry)
f.? one hits(= ?)
英語の慣用表現も、動詞と対象名詞句の結合が基本であり、動作主と動詞の 結合はない。動詞と対象名詞句の親和性は次の例にも現れる。
(41) a.その競争で、花子がテープを切った b.その競争で、テープを花子が切った
c.*その競争で、テープが花子を切った
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例(41a)(41b)では「テープを切る」というふうに、動詞語幹と対象名詞句 で慣用句を形成している。一方、(41c)では「テープが切る」というふうに、
動詞語幹と動作主名詞句で慣用句を形成しようとしている。しかし、後者で は動詞語幹と「〜が」は親和性がないので、適切な慣用句を形成できない。
これも動詞語幹が「〜が」ではなく、「〜を」と親和性を持つことを示してい る。
生成統語モデルでは、動詞語幹と項「〜を」の親和性は、動詞語幹と項「〜
を」がある特定の構造素性を共有することで担保されていると考える。この 特定の構造素性は伝統的には対格(accusative;ACC)と呼ばれている。構造 素性は変数(未知数)である。生成統語モデルでは構造素性は照合・消去さ れるべき変数として考える。消去されなければならないのは、構造素性を利 用する外部システムがヒト脳内に存在しないからである。つまり、「爪を切る」
の派生において、組み立て作業が終了する転送の時点で、「を」の構造素性と
「切る」の同種の構造素性が照合・消去されている。転送という情報の分岐点 の後では、音素性は音インターフェースに流れ、意味素性は意味インターフ ェースに流れる。この分岐点までに構造素性が消去されているということが 音インターフェースと意味インターフェースで派生が収束することの必要条 件である。本稿では、このような生成統語モデルの知見を、更に代数学的に 推し進める。つまり、「爪を切る」(厳密には動詞語幹と対象名詞句が結合す るので「爪を切r」)の部分の派生は次のようになっていると考える。
(42)
変数yは格助詞「を」の構造素性(=対格)である。動詞語幹は同種の変数で 正負が反対となった構造素性−yを持つ28。「切r」は[対象]という意味役割を
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付与する為に「爪を」と結合するが、結果的に構造素性計算においては、y
−y=0となってこの段階で照合・消去されるべき構造素性は全て対消滅する29。
結合とは構造の組み立て方である。構造の組み立てに関与するのは、意味 素性でもなく、音素性でもない。構造の組み立てに関与するのは構造素性で ある。よって、ある二個の要素が結合する場合、その二個の要素は何らかの 構造素性を共有すると考えるのである。
構造素性の照合・消去は、照合・消去が可能になった段階で即座に行われ る。これも計算の先送りをしないという経済性原理に従っている。計算の先 送りはメモリの負担が増加する。母語獲得の自動性(母語機能はヒト幼体の 脳成長に伴い自然発生する)、容易性(ヒト幼体の母語獲得には意識的な努力 を伴う学習は不要である)、短時間性(母語獲得は生後数年のうちに起こる)、 一般性(ヒト幼体は与えられた言語環境を入力として、いかなる言語でも獲 得可能である)という観察データを考慮すると、自然言語の情報処理システ ムはメモリが最低で済むように効率的に設計されていると考えられるからで ある。
4.1.2.証拠その二
第二の証拠は共起制約に関する相関関係である。二項動詞の二項が動詞語 幹と同じ親和性を持たないことを背理法を用いて証明する。
(43) 二項動詞の二項が動詞語幹と同じ親和性を持たないことの証明 今、二項動詞の二項が動詞語幹と同じ親和性を持つと仮定する(仮定 J)。次の観察データがある。尚、「花子」を第一項名詞、「太郎」を第 二項名詞とする。
a.花子{が/*を/*に/*と}太郎{*が/を/*に/*と}褒めた b.花子{が/*を/*に/*と}太郎{*が/*を/に/*と}惚れた c.花子{が/*を/*に/*と}太郎{*が/*を/*に/と}結婚した
仮定Jが正しいなら、「花子」と「太郎」に同じ格助詞がつくはずであ
−308−
る。しかし、実際は「花子」には「が」のみ、「太郎」には「を」「に」
「と」と変異する。これは矛盾である。よって、仮定 Jは誤りである。
よって、仮定Jの反対、「二項動詞の二項は動詞語幹と同じ親和性を持 たない」が正しい。(証明終わり)
第一項の格助詞が変化しないのは全ての述語に定の時制辞「た」が同じよう に含まれているからである。一方、第二項の格助詞が変化するのは、各例で 動詞が変化しているからである。図示する。縦軸に格助詞の変化、横軸に格 助詞の変化に対応する述語の部分を示す。
(44)
動詞語幹の変化と第二項の格助詞の変化は相関する。つまり、第二項の格助 詞「を」と動詞語幹「褒め」は相関関係にある。本稿では「を」と動詞語幹
「褒め」は特定の構造素性を共有すると仮定する。この事実は、例えば、「花 子が太郎を褒めた」の文構造が次のようになっていることを示している。詳 細を省略した樹形図を示す。
−309−
(45)
動詞語幹「褒め」は「太郎を」と結合し、動詞句(VP)を形成する。この段 階で「褒め」と「太郎を」の親和性が構造的に担保される。時制辞T「た」が 動詞句と結合し、T’(T−bar)を形成する。T’と「花子が」が結合する。この 段階で「た」と「花子が」の親和性が構造的に担保される。重要な点は次の 構造ではないということである。
(46)
ここ約半世紀の生成統語モデルの追求により、自然言語が二項対立構造を持 つこと、従って、不可避的に階層構造を持つことが明らかになってきている30。
4.1.3.証拠その三
第三の証拠は複合語形成に関するものである。他動詞は対象と親和性を持 つことを背理法を使って証明する。
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(47) 他動詞が対象と親和性を持つことの証明
今、他動詞について、動作主も対象も動詞と同じ親和性を持つと仮定 する(仮定K)。すると、次の例において、「人」は動作主と対象の両 方の可能性がある。
a.人殺し
しかし、(a)で「人」は対象(人を殺す)であり、動作主(人が殺す)
ではない。よって、仮定 Kの下では矛盾が起こる。よって、仮定 K は誤りである。よって、仮定Kの反対、「動作主と対象は、動詞に対し 異なる親和性を持つ」が正しい。(証明終わり)
観察データを考慮すると、動詞は対象と親和性がある。対象と動詞が結合す る。結合というのは構造の組み立て方である。構造の組み立て方に直接関与 するのは、意味素性でも音素性でもなく、構造素性である。よって、動詞と 対象は同種の構造素性を共有する。
4.1.4.証拠その四
第四の証拠は連濁に関するものである。連濁は転送後の形態部門で処理さ れる(セクション3.1.参照)。連濁とは、複合語W=w1+w2において、後続 語w2の最初の無声音(声帯振動を伴わない音)を、発音パターンを保ったま ま、有声音(声帯振動を伴う音)に変化させる操作である。連濁の法則とメ カニズムに関しては付録2を参照されたい。
動詞と対象名詞の親和性の高さを示す証拠をあげる。動詞と対象名詞が親 和性が高いということは、動詞と対象名詞が結合している、よって、両者は 結合を引き起こす構造素性を持つということになる。
(48) a.虫食い問題・虫食いセーター([musi+kui],*[musi+gui]) b.下手物食い(*[getemono+kui],[getemono+gui])
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何故、「虫食い問題」では連濁が起こらず「むしくい」なのか?何故、「下手 物食い」では連濁が起こり「げてものぐい」なのか?これは「虫」と「下手 物」の構造的位置が異なるからである。まず、「下手物食い」の構造を示す。
(49)
上の構造のTは不定の時制辞主要部である。複合語は主要部結合と仮定する。
proは発音されない代名詞である。[getemono]の最後の母音が、直後の(最
短距離にある)[kuw]の最初の音に影響を与える(順行同化)。すなわち、無 声音[k]が発音パターンを保ったまま、有声音[g]となる。つまり、連濁 が起こる。同様の例として、「共食い」(ともぐい:共は仲間の意味もある)、
「悪物食い」(あくものぐい:獣肉を食べること)、「如何物食い」(いかものぐ い:通常では食用とはならないものを食べること)、「薬食い」(くすりぐい:
寒中の保温・滋養のために獣肉を食べること)、「初物食い」(はつものぐい:
初物を好んで食べること、また、その人。転じて、処女ばかりをねらう漁色 家。)「利食い」(りぐい:取引用語。相場の変動によって利益勘定となった買 玉(かいぎょく)または売玉(うりぎょく)を、転売または買戻しをして利 益を収得すること)、大食い(おおぐい:たくさんのものを食べること、また、
その人)などがある31。これらの例では連濁が起こる。次に「虫食い」の構造 を示す。
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