じていなかったからだとも言える。35章原草稿のなかでマルクスが為替 相場を論じたのは,その第2~5の部分だけだと言い切ることができる。
それでは,マルクスはここで為替相場についてどのようなことを論じてい
るのだろうか。そのことを見るまえに,マルクスが為替相場にどのような関心をもって いたのかということを,35章原草稿以外のものに残されている記述から
探っておこう。マルクスが早い時期から地金および為替相場に強い関心をもっていたこ とは,さまざまの論説での記述やエンゲルスあての多くの書簡からも明ら かであるが,とくに彼がロンドンに移ってからここで作成した多くの抜粋 ノートの内容を見れば,その関心がきわめて大きいものであったことがさ らによくわかる。それらの抜粋ノートのうち,1851年9月までのものが MEGA第4部の第7~9巻の三つの巻で公表されている。ここには,
MEGA編集者が「ロンドン・ノート1850-1853年」と名づけた24冊のノー トのうちの第1~14冊のほか,マルクス自身が「地金。完全な貨幣システ ム〔BullionDasvollendeteGeldsystem〕」と名づけたノートとそれの 続きを含むノート,それに「省察〔Reflection〕」というタイトルをもつ
小論説8)が収められている。24冊のノートの残りの第15-24冊はMEGA 8)MEGA第1部第10巻(1977年)ではじめて原文で公刊されたこの論説を,筆者は 1978年に,「カール・マルクス『論評」-貨幣,信用,恐慌に関する1851年の一論 稿一」という表題をつけて訳出した(『経済志林」第46巻第2.3号)。その後,この訳 稿を『マルクス=エンゲルス全集』補巻3(大月書店,1981年)に収録するさいに,タイ トルを「論評」から「省察」に変更した。この論説はその後,MEGA第4部第8巻にふ たたび収録された。つまりMEGAでは二重に収録されることになったわけである。MEGA第1部第10巻にこの論説を収録することについては,ベルリンのマルクス=レーニ ン主義研究所編集部とモスクワのマルクス=レーニン主義研究所編集部とのあいだに議論が あり,結局ベルリンがモスクワの意向に押し切られてこのような処理になったと聞いている。
「貴金属と為替相場」(『資本論』第3部第35章)の草稿について63
の第4部第10-11巻に収められる予定であり,また同部第13巻には,マ ルクスが「貨幣制度,信用,恐慌〔Geldwesen,Kredit,Krise〕」という
タイトルをつけた1854年11月~1855年1月のノートが収められる。この「貨幣制度,信用,恐慌〔Geldwesen,Kredit,Krise〕」は,抜粋ノー
トからの抜粋で,引用されている文献を列挙すれば,Gilbart,Thornton,Gallatin,Tooke,Torrens,Leatham,Hubbard,J、St・MilLFullarton,
Tooke,Blake,Fullarton,TheEconomistl847,ThePrinciplesandPrac‐
ticalOperationsofSirRobertPeel'sActofl844,Ashburton,Alison,
TheEconomistl845,Petty,D'Avenant,BrowningMesselden,
Boisgilbert,Locke,HumeJacob,delaMalle,Ure,Potte,Steuartであ る。現在MEGAで見ることができるのが第4部第7~9巻に限られてい ることはきわめて残念であるが,既刊の諸巻を見るだけでも,マルクスが 地金と為替相場とについて,これらの巻が刊行される以前に研究者たちが 一般に想像していたものをはるかに超えるだけの文献博捜と考察とを行なっ ていたことがわかる。
マルクスは,よく知られているように,1858年の第1四半期に確立し た6部作の「経済学批判」体系プランのなかで,為替相場については,後 半体系の「4国家における総括」と「6.世界市場と恐慌」とのあいだに 置かれるべき5の「国際的関係」ないし「外国貿易」のなかで主題的に論 じるべきものとしていた。ノート第2冊での2番目のプランでは,「外国 貿易。為替相場。国際的鋳貨としての貨幣。」と書かれており,このあと に「世界市場」がくることになっている。「国際的鋳貨としての貨幣」と は世界貨幣のことであるから,要するに,外国貿易→為替相場一世界貨幣
→世界市場,という構想があったわけである(拙稿「「資本論」の著述プ ランと利子・信用論」,「経済志林』第68巻第1号,2000年,86-87ペー ジ,参照)。
その後,1857年4月23日にマルクスはエンゲルスに次のように書いて いる。
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「ロンドン取引所のある老狼が彼に確言したところでは,いま広がっ ているようなたぐいの慢性的恐慌は,40年もこの仕事をやってきた
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この男がかつて聞いたことのなU、ものだそうだ。これまでまだ手をつ
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けられないできたが,やはりいちど,為替相場と地金との関係を精密
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詳細に研究してみなければならない。利子率と貨幣市場との決定にお
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いて貨幣そのものが演じる役割はかなり著しいもので,経済学のあら
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ゆろ法則にまったく矛盾している。トゥックの『物価史』の新しく出 た二つの巻は重要だ。残念なのは,この老人が,通貨主義の連中にまつ こうから対立することをその動機としているため,自分のすべての研 究にまったく一面的な表現を与えていることだ。」(MEGA,111/8,s 107;MEW,Bd29,S130.)
この文面で見るかぎり,彼は1850年以降,地金と為替相場とにかかわ る膨大な抜粋をしていながら,「為替相場と地金との関係」について「こ れまでまだ手をつけられないできた」と見ていて,「いちど精密詳細に研 究してみなければならない」と考えていたということになる。そしてその 理由として,ここでは,「利子率と貨幣市場との決定において貨幣そのも のが演じる役割はかなり著しいもので,経済学のあらゆる法則にまったく 矛盾している」ということを挙げているのである。ここで「矛盾している」
と言われているのがどういうことかは,『経済学批判要綱』のなかでの次 の叙述(1858年執筆)から読み取ることができる。
「貨幣という第3の規定における貨幣。(それ自体で存在する価値,
等価物,等々。)貨幣がこの規定において-それの直接的形態におい てさえ-いまなおどんなに重要な役割を演じているかは,恐慌,不作 等々のときに,要するに一国民が他の国民と突然に勘定を清算しなけ ればならなくなるたびに,明らかになる。そのようなときには,直接的 な金属的形態にある貨幣が,唯一の絶対的な支払手段として,すなわ ち唯一の対向価値,受けとられうる等価物として現われる。だから,
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貨幣は事実また,他のすべての商品の運動とは直接に矛盾するような
「貴金属と為替相場」(「資本論」第3部第35章)の草稿について65
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運動に従っているのである。諸商品は,支払手段等々として,それが
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最も安い国から最も高い国へ輸送される。貨幣は逆であって,それカメ
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自己の独自な本性をあらわ'こする時期,したがって貨幣が他のすべて
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の商品に対立して,それ自体で存在する価値,絶対的な等価物,富の
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一般的形態として,金銀という特定の形態で必要とされる時期一そ
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してこうした時点は,一般的恐慌であれ穀物恐|荒であれ,つねに多か
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れ少なかれ恐'荒の時点である-,このような時期には金銀はつねに,
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それカゴ最も高い国,すなわちすべての商品価格が相対的に最も下落し
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ている国から,それ力i最も安い国,すなわち商品価格が相対的に高い
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国へと送り出されるのである。」(MEGA,11/1.2,S、732-733;「資本論
草稿集」②,794ページ。)マルクスは貨幣恐慌の時期における世界貨幣としての地金のこのような 運動に注目し,それを「為替相場と地金との関係」と押さえて,これを研
究する必要を感じていたのである。にもかかわらず,彼自身が為替相場について論じた記述として残されて いるのは,残念ながら,ほとんど抜粋ノートでの断片的なコメントだけで あって,多少ともまとまった書きもの見なすことができるのは,35章原 草稿の第2~第5部分でのわずかの言及だけなのである。
それでは,エンゲルスが彼の版の「第2節為替相場」に利用した35 章原草稿の第2~第5部分で,マルクスは為替相場についてどのようなこ
とを書いていたのであろうか。
②
12.為替相場についての35章原草稿での記述
すでに,「1.35章原草稿の概要」の最後で確認したように,第2~第5 の部分のうちで,「地金と為替相場」というテーマについての抜粋が行な われているのは,第2の「〔地金の流出入と為替相場とに関する「銀行法」
1857年からの抜粋〕」と第4の「〔「ロンドン・ノート」からI「エコノミ
66
スト』からの抜粋〕」の二つの部分である。第3と第5の部分で為替相場
について触れているのはごくわずかの箇所である。そこで,第2および第4の部分でマルクスは為替相場についてどのようなことを書いているのか,
見ることにしよう。
全体をとおして,なによりもまず目につくのは,為替相場について触れ られている箇所のほとんどすべてで,問題とされているのは,なにが為替 相場に影響を与えるのか,為替相場はなにによって変動するのかという,
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為替相場を規定する諸要因であって,為替相場が他の諸要因に与える影響
についてはほとんどまったく触れられていない,ということである。為替相場を対象に据えて本格的に論じるのであれば,当然に,為替相場
がなにによって規定され,影響を受け,変動する(逆転する)のか,ということだけでなく,さらに,為替相場の変動が他の諸要因に,すなわち国 際的な地金の運動や商品の輸出入や各国の利子率や資本の輸出入にどのよ うな影響を与えるか,ということを論じなければならないであろう。そし てその考察を通じて,地金や資本や商品の国際的運動の基本的な諸法則が 為替相場の変動に媒介されて「不均衡の絶えざる均衡化」として貫く諸形 態を明らかにしなければならないであろう。だから,ここでの,つまり35
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