本章では,「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(以下,工業等制限 法)」を事例として,土地の利用規制がもたらす立地の非効率性について実証的に検討する。
具体的には,工業等制限法による工場立地規制の横浜市臨海部における規制の一部解除を 自然実験と見立て,差分の差法を用いた実証分析を行う。工業等制限法は,戦後の首都圏 への人口流入をせき止める方策として,人口流入の要因と目された工場(および大学)の都 心部への新増設を原則禁止とした。人口流入の抑制という点では一定の効果があったが,
土地の最有効利用という観点からは正当化できず,政策形成において多面的な評価が必要 であることを論じる。
第1節 首都圏整備法と工業等制限法
製 造 業 が 工 場 の 国 内 立 地 先 を 決 定 す る 際 に 直 面 す る 一 つ の 課 題 が 工 場 立 地 法 や 都 市 計 画法,環境アセスメントといった,各種の法令や規制である。こうした法規制は工場の規 模や立地可能な土地,生産活動に一定の制限を設けることで,住宅地と工業地の分離や環 境汚染物質の排出の削減などをつうじ,社会全体の厚生の改善を図ることを目的とする。
しかし,こうした企業活動を制限する規制は,必ずしも社会全体の厚生の改善につながら ないことが指摘されている。例えば唐渡(2006)は,一般均衡理論の枠組みにおいて土地利 用規制が生産経済に与える影響について分析を行っており,規制が拘束的な地域から非拘 束的な地域に労働者の移動が生じうることを示した。労働者が競争的な条件の下で行う決 定を歪めることは,達成可能な厚生水準を達成させなくするかもしれない。法規制が企業 の立地や生産活動の判断にどのような影響を及ぼしうるかについては,実証的に明らかに することが必要である。
過 去 に 工 場 立 地 に 決 定 的 な 影 響 を 及 ぼ し て い た と 考 え ら れ る 規 制 が 工 業 等 制 限 法 で あ る。工業等制限法は,1956年に制定された首都圏整備法をもとに,1959年に制定された。
その目的は,戦後の首都圏都心部における急激な人口の流入が「国土の均衡ある発展」を 妨げていることから,その最大の要因であると考えられた工場および大学の都心部での新・
増設を実質的に禁止することであった。
しかし,工業等制限法によって工場の新・増設が禁止された区域には,東京23区や,京 浜臨海部の工業集積地も含まれていた。その結果,京浜臨海部は,工業専用地域であるに もかかわらず,工場跡地への新たな工場の建設投資や,老朽化した設備を更新するための
45 本章は小谷(2017)「工業等 制限法による工場立地規制に関する実証研究-工業統計パネルデータを用 いた横浜市臨海部における事例-」『計画行政』40巻4号を加筆・修正したものである。
スクラップアンドビルドが困難になった。企業の生産計画にあった適切な設備投資がなさ れなくなった結果,この地域の空洞化を招く(長谷川(2000))など,製造業の生産に大きな影 響をおよぼしたことが指摘されている。
こうした,法律などの規制によって土地を特定の用途に供することが禁止される場合,
いったん規制が敷かれると,時間の経過とともに実態に合わなくなっても,規制解除が難 しくなる,という規制の硬直性が指摘されている(金本(1994))。つまり,工業等制限法につ いても,1959年に制定されて以降,2002年に解除されるまでの43 年間にわたり,その土 地が製造業に適した地域であるにもかかわらず,規制の硬直性によって,効率的な土地利 用が阻害され,社会的な損失が生じていた可能性がある。本研究は,工業等制限法が,首 都圏における土地利用に与えた影響について,横浜市を対象に,経済産業省の工業統計調 査のデータを用いて実証的に検証する。
工業等制限法は,1999 年に一部地域の規制解除,続いて 2002 年に全体の規制解除と,
二段階にわたって規制が解除されてきた。本研究では,この一段階目の部分的な規制解除 を自然実験と考え,規制が解除された地域を処置群,規制が継続された地域を対照群とし,
それぞれの地域における製造業の立地動向および生産活動に違いが生じたかどうかを,パ ネルデータ化した工業統計調査を用いて,差分の差(Difference-in-Differences,以下 DID) 推定によってあきらかにしていく。
次節では,産業立地政策,特に工業等制限法に関する先行研究をレビューする。第 3節 で国内および京浜臨海部の製造業の動向について概観する。第 4節において推定モデルと 推定方法について整理し,第 5節で推定結果について述べ,第 6節において結果の考察を 行う。第 7節で本研究のまとめと課題について述べる。
第2節 日本の製造業立地の動向と工場立地規制
本研究の対象とする工業等制限法は,1956 年制定の首都圏整備法を母法として,1959 年に施行された。首都圏整備法は,以下の段階を経て,戦後の東京への人口集中の是正を はかった。まず,東京駅を中心とした半径百キロの円を首都圏と定め,その中を東京都特 別区および,武蔵野市,三鷹市,横浜市,川崎市,川口市の一部を含む既成市街地と,既 成市街地に近接した近郊整備地帯,並びに宇都宮市や前橋市などを含む都市開発区域の 3 つのエリアに色分けされた。そのうえで,都心部である既成市街地から人口を押し出す政 策と,人口を郊外部であるその他 2つのエリアに呼び込む政策の 2つの人口再配置政策を はかるというものであった。
郊外部へ人口を呼び込む政策は,「首都圏の近郊整備地帯及び都市開発区域の整備に関
する法律」であり,郊外部へ立地する場合に,補助金の提供などで近郊整備地帯と都市開 発区域への立地を誘導した。一方,都心部から人口を押し出す政策が工業等制限法である。
具体的には,既成市街地に指定された区域において,床面積が 1,500㎡以上の工場の新・
増設を規制した。法が施行されたのち,段階的に規制が強化され,1972年にもっとも厳し くなり,制限施設の床面積が 500㎡以上にまで引き下げられた。さらに,製造業の集積地 である川崎市や横浜市の臨海部までが規制の対象地域となり,工場集積地帯に工場を新・
増設することが実質的に禁止されることになった(表 4-1参照)。
図 4-1は首都圏整備法による区域区分を地図に表したものである。東京特別区,および
その周辺に指定されている既成市街地が工業等制限法の対象であり,ここから近郊整備地 帯や都市開発区域への人口再配置をはかった。
工場の基準面積 制限区域 その他
1983 〃 〃 中小企業のための新基準を追加
1999 〃 京浜臨海部等を削除
2002 工業等制限法の廃止
(出所) 国土審議会(2001)より作成
工場の基準面積 制限区域 その他
1959 1,600㎡ 東京特別区,武蔵野市,三鷹市
1962 1,000㎡ 〃
1964 〃 横浜市,川崎市,川口市を追加
1972 500㎡ 京浜臨海部等を追加 法目的に「都市環境整備改善」を追加
規制強化の時期規制緩和の時期
表 4-1 工業等制限法の制度内容の変遷
また,図 4-2は本章で分析対象としている横浜市における区域区分を示したものである。
臨海部については,ほぼ全域が制限区域に指定されている一方,市内郊外部は近郊整備地 帯に指定されている。横浜市の臨海部は,歴史的に京浜工業地帯の一部を構成しており,
大規模な工業地帯であったため,この地域に立地していた多くの企業にとっては工業等制 限法による設備の増設規制は生産活動の足かせになっていたことが推察される。
なお,図 4-2からもわかるように,この制限区域の線引きは,首都圏整備法および工業
等制限法の施行令にもとづき,行政区画での地番レベルで行われている。つまり,場所に よって地番をまたいだ線引きがなされている。そのため,工業等制限法の影響を,立地制 限区域と非制限区域の比較によって分析する場合,都道府県や市町村レベルのデータでは なく,少なくとも町丁目レベルのデータが必要となるなど分析上の工夫が必要となる。こ の点については,第 4節において改めて論じる。
図 4-1 首都圏整備法による区域区分
工場立地政策や企業誘致政策などの産業立地政策が,企業立地に与える影響を実証的に 分析した研究としては,岳(2000)がある。同論文では,条件つきロジットモデルを用い,
工場の立地確率を推定している。そのなかで,低開発地域工業開発促進法,新産業都市建 設促進法,および工業再配置促進法の,3 つの地域開発政策を,地域指定ダミーの形で推 定モデルに含めて分析した。その結果,企業誘致政策は立地確率に有意にプラスの影響を 与えるという結果をえている。
戦後に制定された工場三法(工業等制限法,工場立地法,工場再配置促進法)が,生産活動 や企業立地に与える影響について定量的に分析した実証研究の一つに,各務・福重(2003) がある。同論文は,近畿圏の工業等制限法ともいえる,近畿圏の既成都市区域における工 場等の制限に関する法律(工場等制限法,1964年制定)の影響について,同法で定められる,
制限区域と非制限区域における製造業の集積の経済を推定し,比較分析している。その結 果,立地規制の間においても,制限区域に指定された地域では業種によって集積の経済が 確認できたとし,同法によって工場の新・増設が規制されたために,本来享受できるはず の集積の経済の効果を十分に生かすことができなかったとしている。
また,本研究の分析対象でもある工業等制限法に焦点を当てて,統計データと資料を基 に記述的に分析した研究に増田(2006)がある。工業等制限法の規制の影響を受けていた制
図 4-2 横浜市の制限区域