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6図い流を結成していることから、 両町は山笠に深ぐ係わっているが 位置的には 「博多」の外側になるからである 。 基本的には七流が
「博多」の《内部》として位置づげられ、 次に博多の加勢町が(内 部〉を占めることになるが、 さらに千代町 ・ 中洲も 「博多」 の 「内 部」に含まれると考えられ、 それぞれの地区で博多の内部という相
互認識が自他ともに異なっている 。 これに対して周辺農村を中心と した加勢は親戚関係を除げば、 どちらかと言うと一時的 e 契約的関
係、である点、で佐賀が異なる 。
加勢は、 博多の《内部》の人々にとって祭の運営のための絶対的 必要と博多の祭であるという絶対的排除という矛盾8引を生じさせ る両価佐を帯びた力として現われると考えられる 。 《内部》は他集 団との間を自ら差異化できるのに対して 、 加勢はあくまでも《内部》
に対して他律的な立場にあるが、 現実の局面でこの関係が逆転する 場合が生じる 。 加勢は《内部》を否定する力として現われるが、 こ の非対称的関係から逆に抑圧を含んだ形で《内部》の同一性(内部 化)と加勢に対する排他性(外部化)という表裏一体の表象が発生す る 。 調和的でない点が重要であるが、 山笠は内部と外部という表象 を作り出し、 別の可能性を閉ざす装置になっているといえる 。 外部 との関係によって反照的に生じる 「博多」 という意識は、 逆に能動 的に認識され、 自立したものとして自明化され、 個々人を内部へと
巻き込むことになる 。
様々な次元で形成される内部と外部の関係、 は、 現実に不均衡では あるがかろうじてひとつに保たれる《内部》間の誇関係と、 階層的
・ 非対称的な役割分担関係、 である流と加勢の関係とに大別でき 、 博 多とそれにかかわる詩集団が位置づげられる 。 後者の場合にその関
係、を変える衝動から紛争が生じるが、 それは制度自体の変換になる ため、 七流からみると認められない要求となる 。 この関係は内部へ と閉じる力とそれを開く力のせめぎ合いの結果として形成され変化 する83)が、 ある内部を解体する力は、 同時にその内部を編成しな
おし、 複数の内部を統合して別の内部を形成する点で二重に両義的 である 。
また祭礼では 「観る一絞られる」という関係、よりも 、 日常生活で は潜在的になっている身体的次元での共感 ・ 排除が重要な要素にな り、 それは空間的な共在を前提条件としている 。 日常生活では薄れ ている合ーの感覚が身体的なふるまいを通して回復されるが放に 、
山笠は人々にとって一層 、 深い意味を持っと考えられるが 、 同時に この同一位の場は様々な差異を再生産する場でもある 。 個々人のレ
ベルでは人々は祭礼の盛り上がりを体験し、 各々の役割を担うこと によってある満足感を獲得するが、 その結果として上で指摘してき た詩集団の不均衡な社会的関係を再生産することになる 。 不均衡な
( 2)
r共向性」の変容関係であるとわかっていながらも、 ある 「共同性」 に属していると
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笠を成立させてきた個別での話合いを一挙に無化し てディア共同体」とでも呼ふ'べき社会的つながりの力が戸大するしまう 「メアイア」の影 響 力の大 き さが表われ ている。
この 「メは、 一方で情報の均質化をもたらすという側面をもち
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集中という相反する動きも生み 出すことになり、人また博多の代表的な商人の ひとりであった渡辺与八郎々 にとってメアイアを巧く利用 することが問題となってくるは電
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ーが邪魔であるならば西公園で山昇をおこなえばよいといっているが、 戸 れは山笠を博多の 「場所性」と切り離して考えることを意味してよ り 、 「文明」 や「時代の進歩」ということから山笠が一部の人々に とって 「浪費」 、 「野蛮」として意識されるようになったこともこ れと関連している 。
さて一連の出来事は内部と外部の差異一例えば博多の内と外一忘 無化し 、 均質性へと還元する 「近代性」の出現を視覚に訴える形二 象徴するものであると同時に 、 これを通じて視覚の優位が次第に確 立されることになったといえる87\ 反対に 、 この過程は締田神位 を中心とした 「場所」のヒエラルヒ ーと反復される行事に基づく一 年間の循環性/円環性とによって枠付げられていた博多部の日常生 活の時間一空間のリズムが次第に弱体化していく過程でもあった A このよ2な循環的時間がエネルギーを蓄積するのではなく分散す与 という?で静態的であるのに対して、 直線的/累積的時間は動態的 であり88)、 博多部においては土居町にあった磁野鉄工所が機工の
交代を告げるためにならしていたチャイムがそれを部分的に表現し ていたが、 こうした 「規律化された時間」 は学校での授業活動や諸
行事を返して最も強く意識化されることになる 。
さらにいうならば博多部の都市機能が福岡地区に取って代られた 理由のひとつには 、 福岡地区の時間一空間のリズムの相対的な無限 疋性が挙げられるのではないだろうか 。
但しもちろんこうした変容は一点で切れるものではなく 、 次第に
手
会の諸階層にズレを持ちながら浸透していくものであることはい つまでもない 。 明治中頃、 福岡市に電燈会社ができない理由として、利益問題以外に電線が山笠の運行の妨げになるので山笠と電燈は両 立できないという意見が挙げられるほど人々の生活は山笠を中心に して構築されていた89 )。 もちろん時代が経るにしたがってそうし
た意識が湾れてきたことは確かであり 、 例えば上述したような山息 き参加を強制するような規則の設定は 、 人々が自主的には集まら与 いことを示しているが 、 若手を中心にして山昇きが熱心に主張され 実際に存
続
されてきたのであり 、 また19 1 0 (明治43)年の山笠廃止議 論の数年後には 、 「一部の新しいもの好きの言い種だ」と皮肉る人 てがいたこー
から考えると 、 こうした意識が諸階層全体に一度に浸 透していったわげではない 。また191 1 (明治44)年1 2月に福博路面電車が御供M小学校の小学生 を際殺した事件が発生しているが 、 福博電車の対応の稚拙さが大き な議論を呼び、 博多のJ 5ケ町の町総代が電車監視員の派遣など手合 んだ会社に対する要望書を市に提出するという事態になった 。 とれ 以前から 「山笠が野蛮なら人や動物をはねる電車のほうがもっと野 蛮だ」という声も聞かれており 、 「近代的なもの」への「不安」と