3 − 1 .衰退する制作現場
第2章で見てきたように日本のアニメビジネスは活況を呈し、国や地方自治体なども将 来的なアニメーションの力に大きな期待をかけている。外側から見るとアニメーション産 業は非常に華やかな印象があるが、アニメーションというコンテンツを生み出す制作現場、
なかでも「アニメ」の制作現場を覗いてみると、そのような華やかさとは無縁の世界が広 がっている。アニメ制作従事者を取り巻く労働環境の悪さは酷く、それを主な要因として 生じる産業の空洞化は深刻な問題としてアニメ産業の将来に暗い影をおとしている。
第3章では、そのアニメ制作現場でおこっている様々な問題について概観し、つづく第 4 章においてはアニメ制作従事者の中核にあるアニメーターという職種に絞り、その就労 実態や生活実態を詳細に見ることによって、アニメの制作現場に存在する本質的な問題点 を探ってゆくこととする。
3−1−1.アニメ制作者の窮状
第1章においてアニメの細分化された制作工程について述べたが、産業の空洞化は主に その中流域、原動画の作画や背景美術の作成などといったアニメというコンテンツ制作の 中心にある「プロダクション工程」で急速に進んでいる。
こういった「プロダクション工程」において産業の空洞化が進んでいるのは、そこに位 置する各種分業工程において就労する制作従事者に対する低賃金や長時間労働、福利厚生 の未整備といった劣悪な労働環境が常態化し、新しく優秀な人材がなかなか産業に定着し てこないことが最大の要因である。労働政策研究・研修機構によるアニメ産業を対象とし た調査では、実に新規採用者の1年以内の離職率は5割から8割という高率にあることが 報告されている74。筆者の経験からも「アニメをやっていては食べられない」というのは アニメ産業における半ば常識と化しており、腕の良いアニメ制作者がゲーム産業などの「食 べられる」他産業に流れてゆく例は数多く見られる。
第 4 章にて詳細については述べることとするが、2005 年に文部科学省からの委託で社
74 労働政策研究・研修機構『コンテンツ産業の雇用と人材育成−アニメーション産業実態調査』(2005 年3月)p.28より。
団法人日本芸能実演家団体協議会(以下、芸団協)が原画や動画の作画を主に担当するアニ メーター職種に絞って活動・生活実態調査をおこなった。調査サンプル数は 83 と少ない が、おそらく初めて公的におこなわれたアニメ制作を担う個人ひとりひとりを対象とした 調査であり、そういった点で意義深いだけでなく、そこに現れ出ている数値も現場の人間 が持っている実感との乖離が少なく、ほぼ正確にアニメ制作現場の現状を反映している調 査であるといってよいだろう。
上記、芸団協調査における収入に関する部分を見ると、1年間の税込み総収入が100万 円未満であるとしたアニメーターが26.8%にのぼり、アニメーターという職種に就く人間 の4分の1以上が年間100万円に満たない収入で生活しているという実態を示す結果とな った。特にアニメーターという職種でのキャリアの入口になっている「動画」の工程に従 事する者の間で、その割合が非常に高く73.7%にも上っている。新規採用されアニメ業界 に入ってくる若者にとって、まず大きな障壁として「経済的な壁」が存在することをこの データは表している。アニメ産業にアニメーターとして定着するためには、その実力以前 に業界に入ってすぐに逃れられない現実としてほぼ全員の新規採用者の前に突きつけられ るこの経済的な問題を何らかの方法で克服することが求められることになる。地方から東 京に出てきたアニメーターには、さらに高い住居費がこれに加わり、多くの新人アニメー ターは主に自分の生活をアニメで得られる収入(新人動画マンの場合は月 3 万〜5 万円程 度)で維持できるレベルまで落とすことでしのいでいるのが現状である75。しかし、こうい った問題に対してアニメ業界や企業側からアニメーター個人への住宅費の補助等といった 経済的支援はほぼ皆無であり、資本金1千万円以下企業の占める割合が69.7%(個人含む) にも達し76、中小零細企業がほとんどである現場のアニメ制作会社にそういった新人育成 支援をおこなう余裕がないのも事実である。アニメという仕事に夢を抱いて上京してくる 地方出身者にとって、アニメ産業が集積する地価、物価の高い東京で生活してゆくことは 非常に大きな負担となり、高い新人離職率の大きな要因となっていると考えられ、実際に アニメーターとしての「技術的な壁」よりも、この「経済的な壁」が原因となってアニメ 産業から去る人間の方が多いとも言えるだろう。「仕事としてアニメ制作作業に携わってい るのに食べてゆくことができないので辞めざるをえない」という他産業では考えられない ような淘汰の機能がアニメ産業では働いているのである。これは背景美術や仕上げ(彩色)
75 「餓死者が出る」という業界内の噂はあまり根拠がないにしても、前掲の労働政策研究・研修機構調 査報告では過酷な仕事と生活が原因で20歳代で亡くなったアニメ制作関係者の話が挙げられている。
76 UFJ総合研究所『アニメ産業の委託取引に関する実態調査及びモデル契約書策定に関わる研究調査』
(2004年3月) p.17より。
といった他職種でも同様であると考えられ、かつてはテレビシリーズで1枚5000円前後 の作業単価が設定され、アニメ産業の中でも比較的裕福77であるといわれた背景作画も現 在は会社間の受注競争の結果1枚1500円のレベルまで作業単価が下がっているという話 もある。仕上げ(彩色)もコンピュータが導入されデジタル化することで 1 枚あたりの作業 時間数は減少し、より少ない人員で数多くの作業を短時間でおこなえるようにはなったが、
同時に1枚あたりの作業単価も下がっているという。さらに仕上げは絵の具でセルの裏か ら色を塗るという熟練を要する技術がデジタル化によって陳腐化し、クリックひとつで誰 でもできるような単純作業になってしまったために海外に仕事が大量に流出してしまい国 内の仕事が大幅に減少し、仕上げを専門におこなっていた会社は、もはや仕上げ作業だけ では会社を維持することができなくなってきてさえいる。
「経済的な壁」もさることながら「技術的な壁」も大きな壁である。特にアニメーター にとってはそのキャリアの入口である動画作業が海外に流出し、新規採用者が「ものを動 かす」というアニメートの基礎的な技術を学ぶために必要である仕事が現場から失われて しまっている。この機会喪失は、これまでアニメ産業における重要な後進育成システムと して機能していた「徒弟制度的OJTによる技術習得」のシステムに亀裂を生じ、国内人材 の育成に大きな影を落とすとともに、一方のアニメブームで需要の増えた作品数をこなす ために、技術的に未熟なアニメーターが困難な作業を担わざるをえないという問題ともあ いまって、現場に数多くの「技術」と「仕事」のミスマッチを生じている。OJTの機会を 十分に与え、しっかりと時間をかけて養成すれば優秀なアニメーターになったであろう有 為な人材も、このような現場の異常ともいえる状況下で「技術的な壁」に突き当たること となり、アニメ産業を去ってゆく例も見受けられる。
しかし、現場において技術習得の機会を得て、その技能を高めることができたとしても 問題はそれにとどまらない。第1章でも述べたようにアニメ制作作業の報酬は出来高払い によって支払われることがほとんどである。発注側が決めた安い作業単価が技術者側に一 方的に押し付けられ、単価交渉の余地は皆無に近い。また、この出来高制は技術者個々人 の持つ技能レベルを一切考慮に入れずに決定されているという点に大きな問題をはらんで いる。つまり経験 20 年の高い技術を持つベテランアニメーターが作業しても、経験数年 程度の技術的に未熟なアニメーターが作業しても、同一のテレビシリーズの「原画」作業 に支払われる金額はほとんどの場合まったく同じである。かなり極端な例え話をすれば、
77 前掲、労働政策研究・研修機構調査では固定給で月収20万〜30万円となっている。
作業単価180円と設定された「動画」作業に対して支払われる額は、日本を代表するアニ メ監督の宮崎駿がおこなっても、研修中の新人アニメーターがおこなっても全く同一の 180円しか支払われないのである。
この個人の技術が適正に評価されないという問題は、人材の定着を考えた場合に非常に 大きな癌となり得る。キャリア形成初期にはあまり問題にならないが、経験 10 年程度を 経て中堅層になってくると深刻な問題として頭をもたげてくる。一人でこなせる作業には 自ずと限界があり、月収はある程度のところまでで頭打ちになることになる。一方で自分 より明らかに技能の劣る新人原画マンが自分と同等の報酬を得ているという現実も目の当 たりにすることになる。このことは技術者、特に30代半ばあたりで業界での経験を10年 以上程度有するようなベテラン技術者の仕事に対するモチベーションの維持にとって大き な支障となりうる事実である。低賃金・長時間労働の新人時代を乗り越えても、身につけ た技術が適正に評価されず、それによって収入も満足に上昇せず、生活も一向に安定しな いとなれば、「仕事」としておこなうアニメ制作作業には、もはや意味がないことになって しまうのである。
3−1−2.「赤字」のアニメ制作
以上、見てきたように現在のアニメ産業は、特に「賃金」、「技術習得」および「能力評 価」において深刻な課題を抱えているがために、新規人材の産業への定着と育成に多大な 悪影響を生じさせている。今のアニメ産業は、将来の産業を担うべき人材がなかなか育た ず、主に人材面で産業の空洞化が急速に進んでしまっている状況にある。しかし、技術者 に対し様々な「技術習得機会」を提供し、そこで獲得された個々人の技能を適正に「評価」
し、それに見合った「賃金」を払うことで、優秀な人材の産業への定着を図ってゆくべき アニメ制作企業側も、個々の技術者と同じく大変な窮状の中にある。
制作会社の窮状のあり方は「元請け」と「下請け」で二種に大別できるが、その窮状を 生み出す原因はひとつである。それは全てテレビ局や広告代理店といった制作発注側から 一方的に押し付けられる「安すぎる制作費」に起因している。次ページの図表3−1でも 明らかなように、スポンサー側から出てきた 5000 万円の番組制作資金は広告代理店、テ レビ局を経るうちに800万円と当初の6分の1以下にまで減ってしまう。一般的なテレビ