」 す る 人 々
第 1 節 は じ めに 本
論で はこ れま で、 3章 と4 章 にお いて
、津 軽地 方で ある 弘前 市鳥 井 野地 区を 対象 にし
、当 地に 伝わ る獅 子踊 りや 祭囃 子を 題材 にし てき た
。 本章 では
、対 象の 地域 を津 軽地 方か ら南 部地 方の 上北 郡七 戸町 の上 原 子集 落へ と移 す。 その 上で
、当 地に 伝わ る「 上原 子剣 舞踊 り」 を題 材 にし なが ら、 地域 の人 々の 芸能 に対 する 関わ り方 を、 論者 が現 地の 芸 能へ と参 入す る経 験を 通し て見 てゆ きた い。 なお
、本 章の 5節 と6 節で 取り 上げ る各 場面 の一 部は 付録
D V D
に 収 録さ れて
いる
(目 次の 次頁 にリ スト を掲 載)
。各 場 面に て対 応の 番号 を 記す
。 津軽 地方 の芸 能の 観察 や参 与に おい ては
、論 者自 身、 芸能 の当 事者 と して も活 動を 継続 して きて おり
、す でに
「仲 間」 とし て周 囲か らま な ざさ れる 関係 にあ った が、 上原 子集 落の 芸能 に対 して は、 外部 から の 新参 者と いう 立場 でア プロ ーチ を試 みた
。 1章 の4 節で 先述 した よう に、 論者 は当 初、 大学 院の 授業 の一 環と し て行 われ た当 地域 での
「集 落点 検調 査」 に院 生と して 参加 して いた が
、そ の後
、個 人的 な問 題関 心に した がっ て追 加調 査を 重ね てい くな か で次 第に 自己 の立 場性 を変 化さ せて いっ た。
当初
、論 者は 外部 から の訪 問者 であ り「 弘前 の大 学か ら来 て調 査の た めに 現地 の家 々を 回っ てい る人 物」 とし て認 識さ れて いた
。そ の調 査 のな かで
、論 者は 地元 の芸 能に 関心 を寄 せな がら 各家 々を 回り 話を 聞 いて いた
。こ れに より
、上 原子 の人 々が 地元 の芸 能で ある
「剣 舞踊 り
」に 対し て様 々な 思い を抱 いて いる こと が分 かっ てき た( 本章 3節 で 後述
)。
「上 原子 剣舞 踊り
」に つい て地 元の 人々 にた ずね ると
、こ の芸 能に
「 協力
」し てい ると 話す 人が 多か った
。本 章で は芸 能へ の「 協力
」と い う言 葉を キー ワー ドに して いる が、 これ は現 地の 人々 の語 りの 中か ら 発せ られ たも ので ある
。当 初 の「 集 落点 検調
査」 の なか で地 元の 人々 か らは
「剣 舞は 地元 の皆 さん の協 力で 成り 立っ てい る」
( 六〇 代男 性)
、
「 剣舞 は村 のも のな ので
、踊 るこ とで 剣舞 に協 力し よう と思 った
」( 六
〇 代女 性) とい うよ うな 話が 聞か れた
。 論者 はこ れら の話 を聞 いた とき
、彼 らが いう
「協 力」 とい う言 葉を 手 掛か りに する こと で、 芸能 を介 した 人々 の関 係性 や、 彼ら にと って の 芸能 の意 味、 ある いは 芸能 が果 たし てい る機 能と いっ たも のを 解く 糸 口を 見い だせ るの では ない かと 考え た。 な ぜ なら
「 剣舞 は村 のも の」
、
「 踊る こと で協 力」 とい うよ うに
、こ れは 単に 剣舞 踊り に対 して 周辺 的 な立 場か ら多 少な りと も何 らか の貢 献を する とい うレ ベル の話 とし て 看過 でき るも ので はな いと 思わ れた から であ る しか しな がら
、こ こに は「 集落 点検 調査
」で 行っ たよ うな 項目 調査 だ けで はす くい 取る こと の困 難な 問題 があ った
。こ の問 題を 明ら かに し てい くた めに は、 言葉 によ って 一つ 一つ の質 問を 行い 返答 を求 める
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と いう 方法 では なく
、実 際に 芸能 が行 われ てい る現 場を 訪れ て、 人々 が 芸能 を介 して どの よう な活 動を 展開 して いる のか
、ど のよ うな やり と りを 行っ てい るの かを 把握
、理 解す る必 要が ある と判 断し た。 とく に
、技 能の 伝承 の場 では
「教 える
」あ るい は「 教わ る」 とい った 行為 よ りも
、そ の集 団の
「仲 間」 にな るこ との 方が 技能 の習 得に 重要 な場 合 があ るか らで ある
。 1章 にて 先述 した よう に、 J・ レイ ヴと E・ ウェ ンガ ー〔 レイ ヴ、 ウ ェン ガー
一 九九 一( 訳・ 一九 九三
)〕 に よ って 提 唱 され た「 正 統的 周 辺参 加論
」(
LPP
論) では
、学 習を 社会 的な 実践 の一 つと した うえ で
、こ れが 共同 体の 再生 産や 変容
、変 化と いっ たサ イク ルの 中に ある と して いる
。こ の理 論の 中核 には
「実 践共 同体
」へ の「 参加
」と いう 考 え方 があ った
。
LPP
理 論に お ける 学 習と は、全 人 格と して の人 間が 実 践の 共同 体に 参加 して ゆく こと で新 たな るア イデ ンテ ィテ ィを 獲得 し
、新 たな 人格 をも つ人 間に なっ てゆ くも ので ある
。こ の際
、当 人は こ の実 践共 同体 が共 同で 行っ てい る何 かし らの 実践 に加 わり なが ら、 そ の役 割の 一端 を担 って いく とい う意 味に おい て「 正統 的」 に参 加、 あ るい は、 その 参加 は全 体の 一部 に過 ぎな いと いう 意味 にお いて
「周 辺 的」 に始 めら れる
。学 習者 はこ の段 階に 始ま り、 ここ から より 十全 的 な実 践を 行う 参加 者に なっ てい くた めの 過程 を辿 るこ とに なる
。 レイ ヴと ウェ ンガ ーは
『状 況に 埋め 込ま れた 学習
― 正統 的周 辺参 加
―』 のな かで
、ユ カタ ンの マヤ 族の 社会 に存 在し てい る産 婆の 徒弟 制 を題 材に した ジョ ーダ
ン(
Jordan
一 九八 九
)の 研 究を 事例 とし てあ げ てい る。 それ によ ると
、マ ヤ族 では 産婆 の家 に生 まれ 育っ た娘 が、
母 親の 産婆 の仕 事を 手伝 わさ れて いる うち に自 然と 仕事 を覚 えて しま う とい う。 娘は
、と くに 産婆 にな るこ とを 考え てい ない にも かか わら ず
、彼 女の 母親 が家 の中 でお 産を 手伝 って いた ので
、い ろい ろな 場面 で 手伝 わさ れて いる うち に、 産婆 術の 実践 のエ ッセ ンス を吸 収し てゆ く ので あっ た。 生田 久美 子は この よう な事 例を 日本 の助 産所 にお ける 助産 師の
「わ ざ
」の 伝承 と重 ねな がら
、両 者に 類似 する 基本 理念 とし て「 明示 的な
「 教え る」 こと を中 心と する ので はな く、 むし ろ「 仲間 にな る」 こと や 活動 へ「 参加 する
」を 通し て自 らの 学び を構 築し てい くこ とを 重視 す るこ とに ある
〔生 田 二〇 一〇
:二 二
-二三〕と して いる
。 この よう にし て達 成さ れる 学び とは
、川 口陽 徳が 宮大 工に おけ る徒 弟 制度 にお いて 指摘 して いる よう に、
「 徹底 的な 模倣 や共 同生 活を 通し て
、身 体 から 身体 へと
「わ ざ
」が 伝わ って いく
」〔 川口
二
〇 一〇
:一
〇 一〕 と いう もの であ り、
「師 匠の 呼吸
」の 体 得が
「何 かの 拍 子」 にな さ れる こと によ って
「気 づか ない うち に」 師匠 から 弟子 に移 され てい く もの でも ある
。そ れは
「語 るこ との でき ない 知」 すな わち 暗黙 知の 継 承と いう 課題 を負 って いる 現場 にお いて 程度 の差 こそ あれ 共通 して 見 られ る問 題で あろ う。
「暗 黙の 知」 を 学ぶ ため には
、そ れ を実 践 して い る人 々の 関係 性の 中に
「参 加」 する こと が学 びの 始ま りに なる
。 この よう に考 えて みる と、 上原 子の 芸能 に関 わる 人々 の様 相を 明ら か にし てゆ く上 で問 題に なる のは
、い かに して 芸能 を行 う集 団の 中に 参 入し てい くか であ った
。も し、 論者 自身 もそ の「 協力
」の 関係 の中 に 入る こと が出 来れ ば、 彼ら が自 明の もの とし て無 自覚 に行 って いる
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行 為や
、あ えて 言葉 にせ ずと も暗 黙の 了解 で行 って いる 行為
、あ るい は 芸能 の現 場で の各 人の 係わ り合 いと いっ たも のの 一面 を捉 えら れる の では ない かと 考え た。 論者 の場 合、 自身 の芸 能の 当事 者と して の経 験 を活 かし なが ら、 当地 域の 芸能 を少 しで も体 験す る機 会が 得ら れれ ば
、外 部か らの 体験 者と して 芸能 を教 わる 立場 をと りな がら
、集 団の 中 に入 るこ とが 出来 るの では ない かと 考え たの であ る。 そこ で論 者は
、い わゆ る調 査者 とし ての 性格 を弱 めて
、芸 能者 とし て 現地 の剣 舞踊 りに アプ ロー チす る方 法を 選択 した
。そ のた め、 自分 自 身が 芸能 に関 心を 持っ て研 究を して いる 人物 であ るこ とや
、弘 前方 面 にて 実際 に芸 能を 行っ てき た当 事者 でも ある とい った こと を前 面に 出 し、 現地 の人 々と の間 に芸 能の 当事 者同 士と して の関 係を 構築 する と いう 試み を行 った
。 すな わち
、芸 能を 調査 する 人物 とし て現 場に 入る とい うよ りは
、他 所 の芸 能者 とし て、 すで にあ る程 度の 経験 や素 養を 有し
、あ るい は、 同 じ芸 能者 とし て、 苦楽 の体 験を 共有 する 相手 とし て認 識さ れる よう に 努め たの であ る。 これ につ いて は次 節で 述べ るが
、こ のよ うに して 論者 は徐 々に 当地 の 芸能 の場 に参 入し てい った
。芸 能の わざ や、 昔の 様子 など につ いて の 語り につ いて は、 芸能 を教 授し ても らう 時間 を重 ねな がら
、場 の雰 囲 気や 話者 との 会話 が波 に乗 って きた とき など
、相 手が
「話 した い」 と いう そぶ りを 見せ てく れた とき にた ずね るよ うに
、な るべ く心 がけ た
。 その 後、 論者 は本 番の 出演 を前 提に した 踊り の学 習を 始め るこ とに
な った が、 これ によ り「 上原 子の 剣舞 踊り に協 力す る者
」と して も認 識 され るよ うに なっ た。 現地 の芸 能に
「協 力」 する 人々 の姿 を観 察し よ うと して いた 論者 自身
、そ の一 員に なっ たわ けで ある
。 以上 をふ まえ た上 で本 章で は、 上原 子の 人々 にと って 地域 の芸 能で あ る剣 舞踊 りに
「協 力」 する とは どの よう なこ とで ある のか
、人 々は い かに して 剣舞 踊り に「 協力
」し
、そ れに よっ て何 を体 験し てい るの か につ いて 明ら かに した い。 調査 期間 につ いて
。「 集 落 点検 調 査
」を 開 始し た初 日が 九月 三日 であ り
、そ の後 の論 者の 個人 的な 追加 調査 の最 終日 とし て参 加し た「 七戸 オ ータ ムフ ェス
タ」 の 開催
日( 一
〇月 二六 日
)ま でを 一区 切り とし た。 筆 者は 上原 子剣 舞踊 保存 会へ の参 加を 現在 も継 続し てお り、 二〇 一五
( 平成 二七
)年 三月 に七 戸公 民館 で開 催さ れた 芸能 発表 会に も出 演を 果 たし てい る。 九月 のヒ アリ ング 調査 では
「調 査方 法論
」の 授業 にて 事前 に作 成さ れ た調 査票 を用 いな がら 行っ た。 剣舞 の練 習会 にお いて は、 ビデ オカ メ ラを 固定 して の撮 影や 観察 によ るメ モの 書き 込み から 始め た。 練習 日 二日 目に 保存 会会 長や 踊り 手の 方々 から 踊り への 参加 を促 され
「棒
」 の 踊り に参 加し た。 その 後、 本番 の舞 台へ も参 加を する こと にな り、 本 番の 参加 を前 提と した 踊り の学 習を 通し て、 芸能 の観 察を 行う よう に なっ
た。 練 習会 への 参加 があ る程 度進 んだ
頃、 練 習の
場に
「 大師 匠」 と 呼ば れる 長老 格の 人々 が現 れ指 導を 始め た。 その 様子 を見 て論 者は 映 像記 録の 必要 性を 感じ
、彼 らの 様子 を映 像に 記録 する こと を保 存会 に 提案 し快 く許 可さ れた
。記 録撮 影を 二日 間行 い踊 りの 指導 の様 子を